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BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

また新しく、はじまる、はじまる…

日常風景・ライフスタイル

どうも昨日今日あたりで急に、不思議な「新年感」を味わっています。
暦通りのお正月よりも、体感的には今の方が新年っぽい。
それにちなんでのタイトルです。

確定申告等で昨年度分のあれこれを振り返った時期だから?学校がある人たちは、そろそろ卒業シーズンだから?もっともらしい具体的理由を考えては見るものの、そういったものからの体感ではないようで。

春分が近い?うん、これはちょっと類似している感覚な気がする。
でも、それがぴったりというわけではなく、私の中ではここらでそろそろ新しい年が明けたようです。

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それで、今味わっているのは「終わり感」。
色々なことが終わったな!という感じ。

物理的に振り返ることはできるけど、遠くに行っちゃって、戻れない何か。
何もかもが同じままでは、同じようには、感じられないから、
それらを「さようなら」と見送っている実感が伴います。

それは先に書いた「卒業」とか、あるいは「何かを成し遂げた感」などではなくて、ただただ止められない「流れ」を見つめている感じ。
自分が河を流れる船を漕いでいるとして、あるところの河岸の風景も気に入ったけれど、自分は河の上にいるので、そこも通り過ぎることは止められない、というような。

美しかったものも、良かったものも、見送る。

そして“今”もまた通り過ぎてゆくので、いつかから今を振り返ったらまた全然違う気持ちで、戻れないものとして今を見つめるのだろうなと想像できます。

そんな風にしていると、多重の、複眼的な視点で自分を眺めていることがわかります。

そのどこにも「唯一の」自分というのは存在せず、
つくづく、自分とは「多次元的な」存在であるのだとしか言いようがない気持ちになります。

空間も時間も、この世界での“お約束”だけど、
心理的には「距離のある」まだ見ぬ彼方の自分へ、

そこではどうだい?
と、呼びかけてみたい気持ちになりますね。

そして実際、私たちはそんな風に、多次元的な自分と途切れなくコミュニケーションしているのでしょうね。

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モノと意識、人の心

創造

普段、私たちはどのくらい、「ここ」が意識によって体験された結果のものだと自覚しているだろうか。

あなたが部屋を出る…部屋とあなたを別々のものとして見ている。
あなたはドアを開ける…触れたドアとあなたは別のものであり、あなたはドアではないと感じている。
道を歩く。空を見上げる。地面も、空も、浮かぶ雲も、月や星などの天体も、あなたとは離れて存在しているように思う。

では、自分の「体」のことならば、「自分だ」と感じているだろうか。

あなたが病気になったとき、あなたは「自分の思い通りにならない体」と感じるかもしれない。自分の意志に反して、それは起きていると。

それはまるであなたと別々のもので、あなたは体を「感じる」ことはできるけれども、
調子が悪いとき、外からのウィルスなり、内側の不具合なり、何であれ自分のはかりしれない原因が自分の体を「攻撃した」ように感じるかもしれない。あるいは、まったく「統制が取れない」ように感じるのだ。
最も身近な「他者」のように、不明なシステムのように、体を体験する。

そして自分ではどうにもできないので、薬など、何らかの信頼を置く物質に頼る。自分の体でありながら、まるで物体のように「よその顔」をしている体に、効果のある他の物体が作用して、化学的に対処してくれるというわけだ。

こうなると、あなたの確かな「自分」はどこにいるのだろう?

一体何をしているのだろう?

不思議に思ったことはないだろうか?


「体外離脱」と呼ばれる意識の焦点の移動や、同じく「夢」と呼ばれる焦点の移動を経験しているときでもない限り、私たちはなかなか自分の視点を(そうと気づいたままで)「体の外」に拡大することがない。

では、日常では…しっかりと、「体の中」に自分の意識を置いている…つもりだが、
よく考えると実は、その体の細胞さえ自覚的に「コントロールできている」とは言い難い。

「私は、私の意志でこの腕を動かすことができるので、間違いなくこれは私の腕です」などと言うことはできないのだ。あなたの動かせるところでさえ、何らかの連携がうまくいかなくなれば、自分の意志で動かせなくなることも起こり得る。それをもって自分だという「証明」にすることはできない。

世界も、同じだ。

あなたと世界は、あなたが自覚していない形で連携しているが、あなたはそれを「無意識に」やってのけている。

あなたが自覚している「自分」と関連性がないように感じるので、あなたは「世界は自分の外にあり、自分とは別のものなのだ」と信じている。
意識の置き方によって、見事に忘れる。それが自分の一部であることを。

物体は物体であり、自分の意識で形作られているなどとは思っていない。
「私」がそこまで広がっているとは、考えていない。

月まで行くのには、○○の速度ならどのくらいの時間がかかる?
太陽系全部ならどうだろう?もっと、もっと、その先は?

あなたの外に、外に、「距離」を見る。宇宙はあなたの外側にあるというように。

「それらはヴァーチャルなんだ」
と、わかったように言うことはできても、それをただ3Dゲームの絵柄や背景のように考えているなら、ポイントを外している。

背後には生命が、生きた意識がある。“あなた”と同様に。

「見せかけ」があるということは、見せかけの奥に「実体」があり、
「見せかけ」だからゼロだということではないのだ。

実体を調べているつもりで、「見せかけ」と取り違えていることはよく起こるけれども、
それよりもっとまずいのは…

すべてを理解したふりをして、ひとまとめに簡単な「虚無」に葬り去ること。
まるで、自分の理解の範疇の外にあるものを、ただゴミ箱に放り投げて「片付いた」と満足するようなものだ。


あなたがあなたを生きながら
この体験をしながら
あなたは今もすべてと連携していて
必要なことを学んでいる

結論を出すにはまだ早い

わかったふりをするにはまだ早い

あなたの旅は、続いているのだから。 

 

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情報とあなたの心・フェイクニュースに思うこと

雑記・音楽

まず雑談から。前回記事でブログデザインをカスタマイズしたお話をしましたが、↓
「個性まで中立化してしまうと人生はつまらない」
ちょうどその翌日、スマホユーザーと会う機会があって…他の話題に夢中になっていた折、
「あ、そういえばねー、ブログのデザイン変えてから表示が見づらくなっちゃったよ!」
と、思い出して教えてくれたので、実際に見せてもらいました。

そしたら、パソコン表示の「幅」を変えたことにより、スマホ表示にもそれが反映されて乱れてしまっていたんですね。
それまではどうだったかを聞いたら、問題なく読みやすかったということなので、幅は元に戻しました。

私が使わせてもらっているデザイン「Simple Gray」はレスポンシブデザイン対応ですから、幅などの設定は(スマホ用に個別にカスタマイズできる人以外は)いじらないほうが得策だったようです。
使い始めるときの、レスポンシブデザインにするための設定は、作者様のサイトの説明を参照しましたよ。↓
はてなブログ『Simple Gray』のテーマをレスポンシブデザインに対応させる方法」

hacolife.hatenablog.com

読みづらい表示になっていた期間、スマホから読んでくださった方はごめんなさいね!
あと色も、想定したほどにはヴィヴィッドになっていなかったので、もうちょっと(読むのを邪魔しない範囲で)調整しました。気分に合わせたアレンジをしながら、自分にフィットしたブログになっていくと嬉しいです♪

さて、今回は「情報とあなたの心・フェイクニュースに思うこと」をお届けします。


近頃はフェイクニュースがよく話題になりますね。
昨年のアメリカの選挙時あたりから特に、この言葉の認識度が高まったように思います。

ネット上ではフェイクニュースが拡散されやすいと言われています。
私も実感したことがあって、ときどき息抜きに海外情報の紹介サイトを見ることがあるのですが、その中で話題になっていた他愛もないニュースが、実は創作だったと後で知ったことがあります。

何かの害になるような情報ではなかったのですが、事実と違うことがわかると何とも言えない気持ちになりますね!

なるべく情報の「ソース」まで見るようにしても、ソースそのものが作り事だった場合、その場で真偽は確かめようがないこともありますよね。

様々な意図からの作りごと、場合によっては本人も信じてしまっている「事実と違う情報」、必ずしもフェイクニュースの定義に当てはまらない情報も含めて、「情報」とどう向き合うか考えさせられる時代になりました。


いえ、言うなれば昔から人類は「情報」に影響されてきたのです。
ネットや現代社会はそれを象徴的に、スピーディーに見せてくれるかもしれませんが。

多くの場合、人間は、確かな「モノ(物質)」によって生きているように錯覚していますが、実は自らの思考、想念によってこそ動くので、どんな情報を自分が信じているか・取り入れて採用しているかが人生に影響します。

となると、「偽の情報を流すな!」とその発信源をどうにかしようとするより、自分自身が何を選ぶか、どうして選ぶかに自覚的になることの方が大事なのです。

昔から、そのことをよくわかっていた人たちの中には、意図的に情報を流したり、「偽書」をあえて作って流布したりして情勢や歴史を動かそうとした人もいました。
そして実際に、「多くの人間の認識のスタンダード」になったものもありました。

でも、そういった試みも、本来は個人個人が「自分の内側に沿って情報を選ぶ」ということを実践していたら、効果はないのです。


じゃあ、信じたいことを信じたらいいの?
と、疑問が湧く方もいるかもしれませんが、そのとき自分の内側を精査する必要があります。

自分の選択の動機となるのは、静かな「直観」なのか。
それとも、自分自身の「情動」に動かされているのか。

たとえば、フェイクニュースやある種の情報には、
人々の情緒に訴えよう、情動を揺さぶろうとする内容が見受けられます。

対象が元々持っている観念にFeed「えさを与えて」、感情を増幅させて満足させる試みです。

「○○が嫌いだ!」、「気に食わない!」と不満を持っている人がいたら、その人がちょうどよくガソリンにできるような情報を提供する。

「感動したい!」、「良い気分になりたい!」と思っている人がいたら、いかにも感動できそうな内容や、心あたたまる情報を提供する。

そして「共感」を狙うのです。

それでも、本人の中に元々持っている観念が関わらなければ、針はどちら側へも揺れない、動かないのですが。


一方で、誰もが持っている「直観」は、そういった情動とは関係のない「目」です。

「どうしてかはわからないけど、これにはのれない」
「なぜかはわからないけど、私はこっちには進みたくない」
「感動すべきなのかもしれないけれど、私の心には響かない」

そんなとき、あなた自身はどこに向かいたがっているかを、あなたの内側が教えてくれているのです。そしてそれは「あの人と同じ」、「皆と同じ」である必要がありません。

「みんなが」・「多くの人が」、こう言っている、こう感じている、だから本当らしい。少なくとも「一考の余地があるはずだ」。
理性は外を参照して、あなたをそのように説得しようとするかもしれません。

ところが、そういったルールや観念に「関係ないところにいる」直観は、あなたの余計なフィルターを通さない「声」なのです。

情報を元に憂慮したり、嘆いたり、立腹したりしていることに気づいたら、あなた自身はどう感じ、何を選ぶかを自覚する方向に意識を切り替えてください。

内を精査する代わりに、感情が外の情報とブランコのように「一緒に揺れているとき」、なぜ自分がそうしているのかを振り返ってみましょう。

すると、その元にあった自分自身の「観念」に気がつくことができ、
「あぁ、私はこういうことを信じていたんだなぁ」
「そこから、こういう感情を抱いていたんだなぁ」
と明らかにすることができます。

どんなに有益に見えるものも、必要に見えるものも、賢そうに見えるものも。
確かめるところは一つだけ。あなたの心には本当に響いているの?
あなたは、そのゲームに、乗りたいの?

それを「あなたの事実」として、あなたの人生(=あなたが創造しているリアリティ)に取り入れたいの?

あなたの心は、ちゃんとその答え、指針を持っていますよ!

 

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