なんの言葉あそびか?と思うようなタイトルですが。
この間、「罪悪感を無に返そうよ」というお話をしました。
(こちらの記事です◆「いびつであることの愛しさ・続き~罪悪感~」
私たちは、夢を見ています。
どんな夢かというと、
「自分たちには、お互いを傷つける力がある」
という夢です。
自分が人を傷つけることもできるし、
自分が人に傷つけられることもありうる。
「ははっ!当たり前じゃない!
だって、実際、そうじゃない?」
そう思いますか?どうですか?
しかし、今日のテーマでは、そのような考えを否定します。
そして、もっと大きな目線から、宣言します。
真実(=実在・リアリティー)は、
影響を受けないから、
真実なんです。
あなたが何をしようと、真実は変わりません。
あなたが何を信じようと、真実は変わりません。
この意味、わかりますか?
「だって、精神世界系の哲学では、よく言うじゃない!
自分の現実は、自分がつくっている。
って!私が信じるものが、私の真実になるんでしょ?」
はい。
外観(APPEARANCE)はそうかもしれません。
あなたは、自分が何を感じるか、どう反応するか、
そして見るものを選べます。
けれども、実在(普遍の真実)と、あなたにとっての現実(外観・appearance)
の違いの説明を、「階層の違い」という視点で試みるならば、こんな感じです。
ある人が、物語を作りました。
地球でいう作家のようなものですね♪
この作者は、自分の性質ゆえに、
「全員がハッピー」なストーリーしか作れません。
いいですか、全員ですよ。全員が最高にハッピーなお話です。
作者は、愛しか知らない人なのです。
ただ、地球の作家と違い、特殊な能力がありました。
なんと、物語の登場人物に、「自由に思考する・感じる・妄想する」
能力を付与することができたのです!
作中の人物たちは、ひとりひとり勝手に、色々なことを考えました。
ちょっと想像してみてください!
小説の中の人物が、みんなそれぞれ好き勝手に色々な妄想をし、
色々な感じ方をし、色々な目線でものごとを捉えているんです。
ただし、
この能力が与えられたからといって、
ストーリー(小説の筋)は変わりません。
このポイント、わかりますか?
なぜなら、ストーリーを書いているのは、作者だからです。
作中の人物がその展開をどう思おうと、どう妄想しようと、
実際のストーリーに影響を与えることはできません!
ただ、登場人物ひとりひとりが妄想できるということは、
その、ハッピーにしかなりえないストーリーを、
ホラーと思う人がいてもおかしくないし、
とんでもない悲劇と思い込む人が出てきたっておかしくないのです!!
意味わかりますね?
ストーリーを作った作者の目線からすれば、何も起こっていません。
自分の作ったあらすじ以外、存在しないのですから。
でも、目線を登場人物側に移すと、
①ストーリー(作者の意図)が見えていません。
②起こっている出来事を、自由に感じ、意味づけすることができます。
つまり、色付けするのは本人次第です。
これが、階層の違いです。
あくまで喩えですが、
「私たちは、真実に影響を与えることはできない」
という意味を、なんとなくつかんでいただけたでしょうか?
最初の話に戻すと、「誰かを傷つけた」と思うことはできます。
「私のせいで」と思うことは、勝手です。
でも、実際は、それは起こっていません。
相手側の本人も傷ついていれば、
あなたの行為のせいで傷ついたように思い込むことはできるし、
双方が「そうだよね」と合意することも自由ですが。
実際は、そういうことではありません。
そして、私たちに与えられた自由の意味がわかりますか??
作中の人物が、何億年、妄想の中をさまよって、
元来のストーリーとは違う道を歩んでいるつもりになろうと、
作者からすれば、何も起こっていません!!
一本のしっかりした道筋があります。
そのまわりを、幻の道筋が、幾万本もふよふよと取り囲んでいます。
妄想で作られ、真実に裏付けられていない、
半透明の、どこへも行かない道です。
その、幻の、半透明の道を、あると思い込むのは自由ですが、
作者は、ただ待っています。
登場人物が正気に返り、
実在の、しっかりした道筋(愛でできたストーリー)を歩むまで。
繰り返しますが、作者の作ったストーリーは無傷だから、いいのです。
それだけしか実際には、存在しないのですから。
作中の人物が歩もうと思ったら、本当はその道しかないのです!
私たちが何を妄想しようと自由。
でも、愛だけしか実際には存在していない。
真実は、何にも影響を受けないからこそ、真実である。
あなたが人に対しても、自分に対しても、何か思うとき、
このことを忘れないでください。
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