夕闇がおりて、薄青い空に星が見え始めると、
毎日のことなのになんだかわくわくしてしまう。
昼間の光も美しいけれど、夜がとても好きです。
昨夜、満月のことを記事にしました。
満月の日の朝、私のみた、ささやかな夢を記録しておきます。
☆☆☆
背景を説明しますと、数年前、大好きだったうさぎが亡くなりました。
生まれて10年を越えていて、もう少し生きていたら11才になるところでした。
同じ種の動物の中でも、個体差があります。
どう説明していいのかわからないのですが、
賢く、人間と暮らしていても「完全にわかっている」タイプの個体がいます。
そういう動物と一緒に暮らしたことがある人には、同意してもらえるでしょう。
彼女は、そういううさぎでした。
それまで飼っていた動物とは全然違っていて、
動物とこんなにコミュニケーションが取れて、心が通じ合うのだっていうこと、
私は知らなかった。
亡くなった後になって、
自分の心を、彼女がいかに支えてくれていたかに気づいて愕然としました。
ぽっかり穴が開いたみたいで、それはどうしても他では埋められない。
動物なのに?って言わないでくださいね(笑)。
長年一緒に暮らした猫をつい最近亡くした友人も、
この前電話で話したら、
「身近な人を亡くした経験もあるけど、そのときよりも喪失感が大きい。
こんな風になるとは、びっくりだよ」
と嘆いていて、私にはその気持ちがよくわかりました。
☆☆☆
ちなみに、いつまでも悲しんでいると「執着」になる、
相手が成仏するのを邪魔してしまう、
という考えを耳にすることがあります。
それは、人間の出す想念の強さというのを考えると、
いかにもありそうな話に思えます。
でも、あえて言いたいのですが、
私はそれは気にしなくていいんじゃないかと思っています。
残された人は、その人が気がすむまで悲しんでいいと思うからです。
逆に言えば、気がすむときがくるから、ということです。
☆☆☆
もちろん、「悲しみ」を、他の何かの逃げの手段、
自分の人生のいいわけとして利用していて、
何度でも自らそこに戻ってどっぷり浸ってしまう、
そんな状態は望ましくありません。
ただ、自然と湧いてくる悲しみである場合、
それを我慢したところで、どこかにしわ寄せがくると思うのです。
☆☆☆
面白いことに、これは依存症や神経症や、直したいと思っている癖、
変えたいと思っていること等、さまざまな状態に共通して言えます。
気のすむまで、やるしかない。
気がすんだら、終わる。
ということです。
この前◆「何もかもがスポンテイニアス」という記事でも少し書いたのですが、
beats-and-love.hatenablog.com「積極的に」、やめたい状態や症状に関わってみると、
それは終結します。
つまり、「やめようやめよう」と思っている間は、
罪悪感が必ずひそんでいるので、その状態から抜けられません。
一方、「私がやりたいから今はこれをやるぞ」
と、腹を決めてそのことをすると、自然とちょうどいいところで終わるのです。
悲しみから逃げようとせずに向き合うと、ちょうどいいところで悲しみは終結します。
同じく、罪悪感なしに、「自分が決意して」依存症や神経症をやると、
それは終わってしまいます。
ひきこもりでも、うつでも、無気力でも、どんな状態でもいい、
実は自分が罪悪感を抱いたり、抜け出したいと思ったりしていればいるほど、
今、それを積極的にやるのだと決めてみてください。
たたかうのではなくて、それをいけないと思うのではなくて、
心を決めて、今は純粋にそれをやってみるのです。それでいいのだから。
(例:無気力なときに、やる気を出そうとするのではなくて、
徹底して無気力という状態を「やって、見る」。)
そうしたときに、どんな世界が広がるか、
実際に体験してみてほしいです。
☆☆☆
話がそれました(笑)。
ただ、今年は大きな出来事が色々あり、
誰かを亡くされたり、悲しい体験をした方も多いのでは、と思い、
この文章を挿入しました。
では、ここから、私にとってはいまだ進行している「癒し」となった、
個人的な夢の内容です。
☆☆☆
明るいきつね色のフローリングの床。
光のさしこむ、どこかの居間。
妹が、赤ちゃんを両手に1体ずつのせてやってくる。
見ると、まだ毛もはえそろっていない赤ちゃんうさぎと、
赤ちゃんのねずみらしい。どちらも大きさは一緒。
なぜか私はうさぎの方を、人間の赤ちゃんと捉えている。
それで、ねずみの赤ちゃんとぴったりくっついて、
ほにゃほにゃの状態なので、大丈夫?と思う。
私が妹に話しかけると、
なんと、赤ちゃんうさぎ(私は人間と思っている方)も、
はっきりとした声で、大人みたいにしっかりとしゃべって、
私たちの会話に参加する。
※私のみる夢では、動物が人間の言葉で話すことはよくある。
こんなに小さいうちから、
こんなにはっきりしゃべれるなんてすごいね!
この子はきっとすごいサイキックになるね、
と、私は驚きながら言って、床にいるその子をなでる。
その子の名前を教えてもらったが、
珍しい名前だったので、妹とその子に、私は聞き返す。
「え?かげは ちゃん?」
「違う違う、こげは(焦げ葉)ちゃん」
こげはちゃんは、なでているうちにみるみる大きくなって、
ぴーちゃん(私の飼っていたうさぎのあだ名)そっくりの大人のうさぎになる。
そして、なでなでしている私の腕に、
体をまげて、力強く鼻をぐいぐいと押し当ててくる。
ぴーちゃんと同じしぐさ、これはぴーの癖、
こちらから見下ろすと見える、そのときのお目々の角度。
私は一瞬にして悟る。
ああ、この子はぴーちゃんの遺伝子なんだ。
ぴーちゃんの、たくさんいたきょうだいたちの、誰かの子なんだ。
同じDNAが受け継がれているんだ。
(※うちのうさぎは赤ちゃんの頃、家に来て、こどもはいない。
同じ春に、同じ親から、たくさんきょうだいが生まれていたと聞いている。)
そのとき、片目から、涙がつーとこぼれた。
しゃがんで焦げ葉ちゃんをなでている私と、
フローリングの床にじかに座っている焦げ葉ちゃんとの間だけにわかる、
低い位置にふわっと、どこからかホットチョコレートの香りが漂ってきた。
☆☆☆
(私は、よくブログにこの世界は幻想と書いているけれど、)
幻想の世界の中でも、ちゃんと「続く生命」のしるしを見ることができる。
あの子はこの世にいないけど、
今もどこかであの子のDNAを共有した、かわいい子たちが生きている。
起きた後、しばらく涙がこぼれました。
読んでくださり、ありがとう☆
☆スピリチュアルカウンセリング☆