このブログで書く「私」という言葉は、
小さなselfと、大きなSelfの間を行き来している。
今日はこの世界の、「個」の目線側からのお話。
「私は知らないのだということを知っている」
自分が何もわかっていないのだということを、常に心にとめておきたい。
そのことに、気づいていたい。
これが、この世界を体験している「私」の、
すがすがしいさとり。
少し聖書的な表現になるけれど、
私は、神の為すことが理解できているのか?
自分が、この世界の一体何を、本当に理解しているというのか。
足元に咲いている花の一輪のことですら、わかっていないのに。
世界の神秘の前に、頭を垂れる気持ち。
万物に対し、驚異とともに感謝する気持ち。
自分がいかにわかっていないかを理解していると、
世界に対する「こうであろう」というお仕着せが消えてゆく。
自分がいかに知らないかに気づいていると、
相手に対する思い込みは消し飛んでゆく。
そこに、真実からの息吹が流れ込むスペースが生まれる。
私は、世界のことを、理解していない。
私は、あなたのことも、あの人のことも、全然わかっていない。
私は、自分がいかに何も知らないかを知っている。
知らない私は、知らないがゆえに、
毎瞬毎瞬を楽しみに生きる。
私の思い描く小さな想像はすべて、
想定外にある素晴らしいものに、
かならずくつがえされるのだということを感謝しながら。
★後に、この考えをさらに進めた記事を書いています。
◆「力の行使者『知っているのを知らないということ』
スピリチュアルカウンセリング