はっろう、えっヴりわん。今日は新月ですねー。
空気も急に、冬の匂いになりました。
新月の話題にふさわしく(!?)、私が新しい視点を感じたときに、
気づいたことなどをシェアしたく思います。
この前みたく歌詞そのものとからめて進めるわけじゃないんですけど、
まさにそのときの気分にぴったりな歌ということで、またしても!
意識世界を描く天才宇多田ヒカルちゃんの曲を貼りつけておきます。
↓ 『Goodbye Happiness』 歌詞はこちら→goo 音楽へ
幸せにさよなら、する気分ってわかっていただけるでしょうか。
歌詞で「甘いお菓子~消えた跡には~♪」っていうくだりがありますけど、
そう、目が覚めたら、“甘いお菓子”は消え…
イコール何が言いたいかっていうと、
相対的に描いていた「幸せ」が消えてった。そんな感じなんです。
「夢の~終わりに~“待った”は無し♪」
っていう部分もピッタリな、後戻りできなさで。
つまり~、
自分(エゴ)が描いていた幸福っていうのは、必ず相対的なんです。
幸福に対して不幸がある、表裏一体の、一方側としての“幸福”です。
よろこび、にしてもそうです。
よい・悪いとかもそう。
全部表裏一体、反対側の概念と対になっていて、
もちろん、自分が「これはどっち側?」って、いちいち判断をしているんですよね。
(だから簡単に反対側にも転じてしまうのね。)
それが、はっと目が覚めたら、そういう幸福とはもう、「さようなら」だったんです。
特定の「基準」は消えてしまう。
そのときそのときの自分のベストは尽くすし、
その瞬間自分がどうしたいかは知っているけれど、
「こうなってほしい!」って、特定のことを、強く願わない。
少しまだそう思うことはあるけど、やっぱりほどけていっちゃう。
☆☆☆
それでね、
前にちらっと、私は、「ある種のアセンション志向にもの申したい…」
なーんて書きましたけど、
「アセンション」と呼ばれる現象自体については、私は特に意見はないのです。
ただ、それを「ある形に限定して目指す」となると、どうか。なぜ目指す?
そこで、特定の未来像を描いて、狭めていないか?
私がかつて友人になった、とあるスピリチュアルな教えを説いていた、
海外の教師が言っていました、
「人に対して祈るとき、ただ最善のことが起きますように、って祈ること」
「自分の描く、“これが最善”と思う結果を祈ってはいけないよ。
私たちは、何が最善か知らないのだから。」
まったく同感です。
私たちが暮らしているこの地球っていう世界、
精神世界の分野では、ときには「世界はあなたが作っています!」と、
きらびやかで万能感すら感じる語句が踊っているけれど、
究極的にはそうでも、やっぱり、
個の体験をしている私たちの視野からは、理解していないことがたくさんある。
地球っていう星の意識や、自然の精霊たち、
人間体験の行く先、
すべての計画が絡み合ったベストがなんなのか、
…その答えがどんなものであれ、ベストが現れるに決まっているし、
私は特定の答えを期待しない、できない。
こうだったらいい!とか、
これだったらだめだ!とか、本当にまったくない。
「目覚め」という言葉は、このブログでもたまに使うけど、
実際のところ、自分が全然目覚めていないのだとしても、
(自分以外の周りの人もまたそうだとしても)、それもまたいい。
思うに、
“被造物側の体験”をしている限り、私たち皆が本当は
「ちっとも同じままではいられない」っていうことを、私たちは意図的に忘れてる。
こっち側の体験は、「一刻一刻、変わらずにはいられない」が正解なのに。
本当は、そのことが怖くて、ときには、しがみついているのだ。
「変われない」、という幻想に。
目が覚めたら、
相対的な幸福に、さようなら。
相対的なよろこびにも、さようなら。
私はただただ、カメラのようにおさめていたいなぁ。
記録していたい。愛する地球世界を。
そんなわけで、最後に、
宇多田ヒカルちゃんの曲をもう1曲入れておきます☆
この曲大好きなんだけど! ↓『Kiss&Cry』 歌詞はこちら→goo 音楽へ
この曲&歌詞に書かれてる感じ、好きだな。♪♪
(※アニメ映像の方の内容は、よく知りません)
それでは、また次回~☆
♪♪甘い~お菓~子♪♪↓
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