本日2度目の更新です。
どうしてもこれを説明せねばなるまい!
ということがあることに、気づいたから。
忘れないように、引き続き、書いてしまいます。
☆☆☆
前の記事◆「創造と作り上げることの違い」に書いた通り、
私たちが体験しているのは、神の世界ではなく、神の子が創造している世界です。
神の性質を受け継ぐ、神の子のしている「遊び」です。
では、それと同時に、
すべてが神の中で起こっているとはどういうことでしょうか。
それは、言い換えるならば、
神は、神の子の「遊び」を知っていて、遊ぶことを許可しているということです。
神は「すべて」なので、神の外で起こるものなどありません。
神の子は、神の中で、神から受け継いだ材料を使って遊んでいるのです。
ただし、神の子の「遊び」の詳細について、ある言い方をすれば神は知りません。
だって、神の子の遊びそのものが、ヴァーチャル(夢)のようなものだからです。
つまり、
神の目からすれば、神の子がどんな夢を見ていようと、
その姿は唯一の神の子のままであり、
夢の内容である“分離”し、ばらばらで繋がることのない神の子は見えないのです。
ただし、
神の子の夢の中で、「恐怖」が生まれ、
夢の中が混乱していることは、知っています。
神は、絶対的な愛なので、
神の子が望むなら、どんな遊びも許可するほどに寛大であるし、
同時に、神の子が助けを求める呼び声をあげれば、いつでも答えてくれます。
(繰り返しますが、ここでも「神」を自分の外にある何かと考えないでください。
あなたの内に、それはあるのです。以下もたとえとして捉えてください。)
だから、神の子の呼びかけに応え、
Holy Spirit(神の世界と神の子の夢の世界の内容、両方を見ることができる者)
をつかわし、神の側からの呼びかけを伝える使者として、
神の子が本来の姿を思い出す(遊びをやめたくなった)ときの案内役
となるようにしたのです。
☆☆☆
これが具体的にどういうことか、理解できますか?
私たちにとって大事なところですよ。
まず、
神は、「体」を作っていません。
「死」も、作っていません。
神がつくったのは、「神の子」というスピリットであり、
スピリットは永遠に存在し続けます。
神は、病気をつくっていません。
それは、神の子が創造した「体の世界」での仕組みです。
神は、苦しみもつくっていません。
それも、神の子が創造した「分離の世界」での感覚です。
神が、それらを、私たちに意図したわけではありません。
それらが皆、「神の意思」であると思うことと、
自分のつくった遊びの中で、自分の意思で、体験できていただけなのだ、
と知ることとの間には、
あまりに大きな差があるとは思いませんか?
☆☆☆
えっ!!ちょっと待って?
全部が神の中で起きているならば、
神がすべてであるならば、
そんな風に、神の「干渉しない領域」があるなんておかしいじゃない!
と、疑問が湧いてきますか?
思い出してください。
この「遊び」が為されているのは、確かに神の中なのです。
神の与えた材料と、神から受け継いだ「創造」という力を使って、
神にゆるされ(許可され)、愛されたまま、神の子がしている遊びなのです。
と同時に、
神が本当に「すべて」であるということは、あらゆる自由を認めるということです。
そうでなくては、神は完全であると言えません。
だから、
すべてである神は、
神の子というスピリットをつくり、
自分の中で自由に創造させ、その中へは自ら干渉しないことで、
すべてでありながら、そのことを忘れる体験ができることすらもゆるしました。
☆☆☆
今日のお話は、今度こそ、ここまで(笑)!
いかがでしたでしょうか?
神(源の自己)をどう見るかで、この世界を見つめる目が変わります。
生きる態度も変わってしまいます。
それは結局「自分自身」への思いにほかならないからです。
この内容が、どなたかの琴線にふれるといいなと思います。
★スピリチュアルカウンセリング★