休息をたっぷりとり、受信したメッセージを携えてがっちり帰ってきましたよ。
ちょうど昨日の記事で「ログオフ」という言葉を出したので、
◆「天使の休息」
これまでコースの言葉や世界観を使って説明したことをふまえ、
今度は私流の表現と、実体験をもとに、
知識を日常で使えるようにシェアしていこうと思います。
ちょっと長くなるかもしれないけど、
なかなか楽しい部分なので、一気に書きますね。
レッツ、ゴー!
☆☆☆
この間、◆「意識のグラデーション」という記事を書きました。
この意識のグラデーション、
図にするならば円グラフや円錐で描き表したいのですが…言葉で説明します。
想像力、お願いしますね(笑)
円錐形、道路の三角コーンみたいな形を思い描いてください。
あれの、一番広がっている底辺のところ、
断面を見たら、最も円の広さのあるところ、
あそこに意識の焦点を合わせてみます。
そのとき、私たちは最も人数の多い「個」に見えるとします。
すると、円錐の、頂点に近づいていけばいくほど、
見える人数は減っていきます。
頂点では、1人、になります。
ここまではOKですか。
さて、それで、円錐の底辺のところ、
この世界の「個」という位置から目線を上方へ移動させて、
「スピリットの目線」になったと考えてください。
このときもまだ、「階層」が体験できると考えられます。
つまり、階層のどの位置に焦点を合わせるかによって、
円錐の途中のどこへ焦点を合わせているかによって、
スピリットの中でも、複数のスピリットのように体験できる階層や、
それよりも数の少ないスピリットのように体験できる階層や、
完全に1つでしかない階層(頂点)へと向かって、
グラデーションが体験できるであろう、ということです。
上の階層に行けば行くほど、広い全体を見渡すことになります。
ただし、どの体験をしていても、スピリットの心、実体はひとつです。
皆さんもきっと、「グループソウル」とか、「オーバーソウル」とかの
言葉を聞いたことがあるでしょう。
それは、スピリットの階層の、どの位置から見た目線か、という話です。
また、コースの中、テキストのはじめの方でイエスが、
「私たちは同等の(平等な)兄弟であるが、
垂直的な(階層的な)位置付けで見た場合、私が兄である」
という内容を語っているのは、これも同じスピリットの中での、
目線の位置の話をしています。
スピリットの円錐形の途中の範囲内(グラデーション)で、
彼の見ている視点の位置を表すなら、
私たちよりも高い位置からものを見ている、
人間体験で与えられた役割をコンプリートしたことのある先輩だから、
お兄さんの立場にあるということを言っているのです。
☆☆☆
さあ、スピリットの世界のことを頭に入れておいてもらったら、
今度は、こちらの世界で実用的なお話です。
過去記事、特に「癒し」カテゴリをお読みくださった方は
覚えていることと思いますが、おさらいです。
この世界での個の体験というのは、
いわゆる「アバター」体験であり、
私たちの本体はスピリットのままです。
生まれてもいないし、死んでもいません。
今もスピリットのまま、スピリットの世界で、
ある言い方をすれば、この仮想世界という舞台と、
「○○○○(氏名)」という個々のキャラクターを投影しています。
そう、この世界は「神の子(スピリット)の作品」世界です。
私たちの本体、「アイデンティティー」はあちら側にあり、
(あちらという位置で表せるお話ではないのですが、便宜上)
それゆえ、あちら側、本体からの指示というのが、とても大切になってきます。
実在する「プレイヤー」はあちら側の「私」だからです。
繰り返しますがそれが自分、「本当のアイデンティティー」です。
☆☆☆
ゲームのプレイヤーと、ゲーム内のキャラクターを思い浮かべてください。
ゲームにたとえるなんてちょっと嫌、と思う方もいるかもしれませんが、
かなり便利なたとえなので使わせてください。
スピリットには、「構想」があります。
このように作品を仕上げたいというイメージがあります。
それは常に、「全体の調和」としてもあらわれます。
それゆえに「動的」なもの、動きをゆるすものです。
だから、固定されたシナリオをなぞるというよりも、毎瞬毎瞬、
スピリットは全体を見ながら、
「個の体験」をしている私たちひとりひとりに、あらゆる形で
「こう動くとちょうどいいよ」というメッセージを届けてくれています。
いえ、メッセージというよりも、早い話が、
こちらが本当にゆだねきることができれば、それは同時にある。
私たちは、全体の調和の、この世界における完璧な表現者となり、
見る者と表現するものの一致によって、すばらしいショーを展開できるのです。
(※過去記事の、この話と一緒です◆「観察意識と罪悪感フリー」)
ところが、私たち(個)が、エゴに没入していると、
つまり、プレイヤーとしての自分の立場(本体)をすっかり忘れ、
ゲーム内のキャラクターに夢中になって入り込みすぎていると、
「(狭い観点の中での)判断」、「妄想」というゲーム内ならではのバグが生じ、
動くべきときに動かず、暴走、迷走してしまいます。
つまり、本体との間に、
通信障害が生じてしまいます…。
自分のアバター、キャラクターなのに暴走!
スピリットは、いくたびでも、それを修正する情報、
たった今、そこから調和できる情報を送信し続けるのですが、
聞いてくれない、受信に気づいてくれない…。
その上、キャラクターの方も結局、苦しんでしまうのです。
本来の自分ではない、アンナチュラルな状態なのですから。
それで、この両者間の接続の状況ですが、当然ながら、
個の体験をしている私たち全員が、スピリットの世界と、
「常時接続」です。
これが切れることは、絶対にありえません。
つまり、いつでも、「全体の調和した目」を知っている自分が、
そのとき、そのときのベストを教えてくれているということです。
エゴと自分を同一視してしまうこと、
自分の思考に入り込み、エゴの声をたえまなく流していること、
これだけが妨害になりえます。
メッセージが届く隙間がなくなってしまうからです。
流しても、流しても、より大きな音で「雑音」が鳴っているので聞いてもらえない、
そんな状態です。
☆☆☆
とはいえ、アバター体験、仮想現実体験の中で、
簡単で、必ずみんながしている、「本体との確実な連絡方法」があります。
それは、この世界から一時的にログオフすること。
はい、つまり睡眠です。
それでもまだ、心の中の「エゴ意識」が混じって、雑音が多くなることもありますが、
基本的には、起きているときに比べたらずっと、
本体(スピリット)としっかり連絡をとり、持ち帰るべきものを持ち帰って、
ログインしたときに備えています。
このシステムがないと、きっとこのゲームの存続は不可能でしょう!
もちろん、睡眠中でなくとも、
日常24時間、トゥエンティーフォーセヴン!
「それはいつでも流されて」いますから、
ふとした「エゴの意識」のすきまに、メッセージは入り込んできます。
☆☆☆
メッセージといっても、言葉で知覚されるとは限りません。
あらゆる形で表現されています。
まず、なんといっても自分の本体、
「自分の意思」に気づくことにほかならないのですから、
自然な内から湧いてくる衝動や、感覚として感じられます。
さらに、スピリットの声の特徴として、「怖れ」は関わりません。
自分に対しても人に対しても、非難の要素がありません。
ただ、過去のデータからはじき出す結論に慣れている私たちからすると、
せっかくメッセージを受信しても、その根拠や理由がないと感じられることも多く、
それが自分にとって「怖い」ということはあるかもしれません。
一方で、エゴの声、これは結局ただの「抵抗」ですが、
こちらは「分離したアイデンティティーから発生する怖れ」を持ち、
「分離体験をもとに学習されたあらゆる記憶データ」を一生懸命参照して、
スキなく自己防衛できるように、アドバイスの声をあげています。
ここでいう「記憶データ」は、自分個人のものとは限りません。
たぶん、歴史を通して、蓄積された怖れ全部…と言えるものです。
エゴの声は、根底に罪悪感があるので、
「他者、あるいは自分への言い訳、弁明」に満ちており、
自分の学習してきた範囲内での理由づけが関わっています。
表面上、だから安心、という気がするのですが、
正直になってみると、自分をだましているのだとわかります。
☆☆☆
スピリットの指示の背後にあるものは、かならず、
「私たちのまだ知らない理由」です。
(だから信頼が必要。)
小さな世界で、
切り離された自己で生きていると思っているものへの、
「そうじゃないよ」というやさしいささやき、大きく開けた可能性です。
「常時接続」に気づくと決めると、本当の自分はよろこびます!
受信してくださいね、源の、自分の送ってくる信号を。
ボリュームたっぷりだったけど大丈夫?途中で切れんかった…。
それでは、また次回!( ^∇^ )ノシ))
スピリチュアルカウンセリング
(対面、スカイプ、電話)