はろー、こんばんは!
最近、コースの用語「Holy Spirit」を毎回書くのが面倒になってしまい、
かといって「聖霊」というキリスト教色濃い訳語を使うのも違和感あって(笑)、
私はただ「スピリット」と表記してしまっていたのですが、
これ、皆さんに混乱を生んでないかな?
繰り返しになってしまいますが、
私たち(=人間と思っている状態)は、今もスピリットです。
ただし、意識がそれを忘れている(自覚のない)状態のスピリットです。
コースの言うHoly Spirit(聖霊)は、そんな私たち「スピリット」の内にある、
100%自覚している部分です。
私たちと切り離された、別の存在ではありません。
Holy Spiritにゆだねると言っても、それもあなたです。
心の奥にある、全部知っている、気づいているあなたのこと、ですね。
あなたが意識を全て回復したら、Holy Spiritそのものです。
以前、「意識のグラデーション」というたとえでこの説明を試みました。
◆「意識のグラデーション」
ですから、このブログで私がよく、
「スピリットとの接続状態」という表現であらわしていることも、
単に、自分の意識の清明度を指しています。
対話形式でスピリットのメッセージを書くことも多いですが、
これも自分 meet 自分、のやりとりであり、
決して「外のもの」と話しているのではありません。
ただし、
私たちがこの世界では「他人がいる」、「個がある」、
と、感じることが可能であるように、
それらを外のもののように知覚して、対話することは可能です。
便宜上、色々な個性をもつ存在のメモリから学んだり、
エネルギーのカラー(特色)を分けて知覚し、
外の「シンボル」として見たり、体験したりしながら自分を知ることは、
この世界の私たちにとっては、意味があるのですよね。
だけれども、それらを「全く自分ではないもの」と勘違いして、
崇めたり、怖れたり、反目したり(笑)することはホントーに的外れです!
「イエスのメッセージを聴くなんて畏れ多い~」
とか、
「私にブッダのエネルギーが感じられるわけない」
とかも、
実は謙虚なのではなく、幻想に入っている証拠で、
聖人たちは、私たち全員とイコールであり、
まだ完全に思い出していない私たちが使うことのできるシンボルなのです。
ここまで、ご理解いただけたでしょうか?
それでは今日のテーマにまいります。
2つの「ゆるし」です。
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冒頭で少しふれましたが、コースの「ゆるし(forgiveness)」についてや、
聖霊(Holy Spirit)という言葉について、
難しく感じたり、表現的にピンとこない人もいるかもしれません。
無理もありません。
この本は、キリスト教圏で生まれた本だからです。
「原罪」という考え、それに伴う宗教的信念体系を改めるために、
こういう言葉が使われています。
私たち日本人は、一般的には、
「生まれながらに罪がある」という考えは、
少なくとも表層意識では、あまり持っていません。
だから、「forgive」という単語からくる「許す、赦す」について、
ピンとこなかったとしても不思議はないのです。
もうちょっとなじみやすい角度からの説明はないかな~
そんなことを考えていて、面白いことに気づきました。
私たちの使っている日本語の「ゆるす」という言葉は、
英語の「allow(許可する)」という言葉を表すこともできるのですよね!
この言葉、allow 許可すること、
こちらの「ゆるし」も、信念体系を手放すのにとても大切です。
ですから、今日は同じことを、この言葉を使って説明してみます。
☆☆☆
どんな信念(belief)に気づいたときにも、これは使えます。
日常の、ふとした思いに、使えます。
たとえば、こんな感じです。
「ああ、世間っていうのはこういうもんだ」
「どうせあの人はわかってくれないんだから」
「自分っていつもこうだよな」
なんでもいいのですが、
何かに対する「思い込み」が出てきたときに、
…はっ!と、
「そうでなくともいいんじゃない?」
「そうじゃなくってもいいんだよね?」
と、気づくこと。
これが、
自分の信念体系を越えた認識・現実への許可(ゆるし)になります。
信念ひとつひとつの「原因」は、わざわざ探さなくてもいいです。
探すと、原因探しの旅が始まってしまい、きりがないから(笑)
そして、結局そのような細部は関係ないですから。
コースを読んだ方はわかると思いますが、
根本は1つ(エゴ)しかありません。
探さなくてもそれは、
とりあえず日常の不平・不満という形でたくさん出てきますから、
その感覚に気づいたら、
別の現実(スピリット)を自分にゆるして(許可して)いけばいいだけです。
コースのレッスンをやったことのある人、
この不平・不満も、ずいぶんレッスンのテーマになってるでしょう(笑)
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そうでなくてもいい別の現実の自分、を許可すると、
あなたは、今までと違った自分のふるまい方に、
おのずと気づくかもしれません。
実はこの時点でもう、例のHoly Spiritが導いてます(笑)
ええ、こういうことなんです(笑)
だから、具体的な結果はケースバイケース、さまざまです。
あなたにとってそして全体にとっての、そのときのベストだからです。
あくまでたとえ話ですが、
「いっつも、私って我慢してばっかり!嫌な役回りばっかり…」
と、被害者意識で怒っているとき、
あれ?そう思わなくってもいいんじゃない?
本当にそうか??
と、あなたが違う現実を許可できたら、
→本当に嫌だったら私がNOって言えるんだよね…。
という風にあなたの意思表示のあり方が変わるかもしれないし、
→本当はこれも私のやりたいことで、よろこびを持って、同じことができるんだ
という側面に気づくかもしれない。
「仕事っていうのは憂鬱で、苦しいもんだな!」
と思った人が、
あれ?そうでなくてもいいよね?
と、やはりそうでない現実を許可できたら、
→同じことをどうせやるのなら、楽しく鼻歌まじりにやってもいいじゃん。
と、仕事をするときの心の持ち方が変わるかもしれないし、
→あぁ、この仕事は、本当に自分のやりたいことじゃないんだな。
と、別な生き方を検討することを始めるかもしれない。
…とまあ、作用はさまざまなのですが、結局、
ささいなことで、私たちは、自分を制限しているということです。
真実に抵抗して、自分の信じていることに基づいた自分を保っている。
こうするには、実のところなかなかのエネルギーが必要でしょうね。
だから、
それに気づいたら、はい、「アラウ!」
自分自身に、そうじゃない現実を、許可!
逆のことを言っているようでこれは以前の記事、
◆「レット・イット・ビー☆」や
◆「それでいいんだよー!」のエッセンスと、まったく一緒です。
自分の思い込みを、手放すということですから。
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そして、これはポジティブなことにも使います。
うまいたとえがあまり浮かびませんが…
「お母さんはいつもやさしいね!」
はい、そうでなくってもいいんじゃない?の現実を、許可!
「男というのは強いもの」
はい、そうでなくってもいい現実をゆるしましょー!
「○○さんは人に親切だ」
ええ、そうでなくってもいい現実をゆるしてみましょうよ!
どうでしょー。こっちの方がより難しいかもしれないですね。
この意味がわかりますか?
「ポジティブ」に見える「型」も、やはり制限になります。
全体(Whole)を受け入れていません。
それはあなたの一部の側面のみをゆるす、縛りになってしまいます。
全体の「愛」というのは、
何かの価値判断の結果下されるものではないんですね。
外観を超えて、いつもそこにあるものです。
こうして、「許可」すること、「ゆるす」ことで、
「私たちは病気になる」
「私たちは死ぬ」
「私たちは体がある『人間』」
…こんな信念体系からも、解放されるのです。
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注意点は、これをやるときにうっかり、
ひとつひとつの要素と「たたかわないで」くださいね。
ただ単に、自分の思う現実に対する
「ふーん!そうでなくってもいいんだな」
という気づき、気軽な気持ち、結び目をほどいてしまう感じです。
え?
これより他の現実があるなんて、信じられない?
そのときはやっぱりあなたの内側、Holy Spiritにきいてごらんなさい(笑)
あなたの葛藤まるごと、「知っているところ」を頼りにしてください。
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2つのゆるし、いかがでしたか?
不平・不満は「ゆるし実行」の親切なセンサーです
それではまた次回☆
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