BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

鬼を作ってしまうわけ

小さい頃から、鬼に関心がありました。

…って、書き出して、ぷくっと笑ってしまいましたけど(笑)

今日は鬼というシンボルと、人間の心の鬼と、
両方についてお話しします。

この世界に、私たちはどうして「悪人」を作ってしまうと思う?

以前、「自分だけがイノセントだと思ってる?」という記事を書きました。

あれと同じテーマです。


☆☆☆

まず、不平・不満、傷つくこと、
怒りや悲しみについてお話しします。

私たちがこのような思い、感情を抱くとき、かならず、
「攻撃された」と思っています。

「攻撃」という言葉にピンとこないなら、
「心の平和を奪われた」という表現に置き換えてください。

「心の平和を奪われた!

私たちはそれが外のせいで起こった、
外から攻撃されたと思い込んでいるということです。

他者が関わる状況でなくともそうです。
たとえば、つらい病気に苦しんでいる場合、
自分が、自分の力ではどうしようもない何かに翻弄されているような、
攻撃にさらされたような、無力な気持ちになりはしないでしょうか?

「どうして私がこんな目に?」


実際には、そういうことは起こっていません。

基準というのは人それぞれで、
あなたがある状況に傷ついたり、怒ったり、苦しんだりしたとしても、
他のすべての人がまったく同じように感じるとは限りません。

そう、ここには個人的な「判断」が関わっているのです。


☆☆☆

「心の平和」を乱すことができるのは、自分のみです。
その都度その都度、自分の決めていることなのです。

「そうはいっても、人間なら当然みんなこう感じるよ!という、
絶対的な状況というのもあるだろう!」

…もしかしたらそうお考えになるかもしれませんが、
そのような「人間が受け継いでいる価値判断」を信じ続けるなら、
この世界の「悲しみの連鎖」は断ち切れません。

あなたはどこかでその決断を、ひるがえさなければなりません。

そうせずに、その世界観を引き継ぐならば、
あなたはこの世界に「悪人」を作るでしょう。

どうしても作ってしまうことになります。

それはとりもなおさず、
あなたを翻弄する「悪意のある絶対的な力」の存在、
服従せざるをえない「気まぐれで横暴な神」を心の中で認めている、
ということだからです。


☆☆☆

昨日(日付は今日)、ちょうど「子ども」の話にふれましたね。

どの人も、どの人も、最初は小さな子どもでした。
イノセントでした。

あなたがどう「ジャッジ」する人間、どう価値判断する人間も、
最初は小さな子どもでした。

私たちは、同じでした。
最初から鬼のように生まれてくる人間はいません。


私たちは、「自分と違うもの」を作るのが好きなのです。
その方が、安全と感じられるからです。

最もこの世で醜いと思っているもの、
最も卑劣で罪深いと思っているものと自分を同一視してしまったら、
自分が崩壊してしまうと信じてます。


あんなことをする人と、自分が同じだなんて?
あるわけない!あるわけないよ!
私はあんなひどい人間じゃない!

そうやって外に「悪」を投影することで、
自分の内なる「善」を確認して、やれやれと安心しているのです。

本当は、私たちはそのどちらでもないんだよ!


☆☆☆

どんな人も、たとえ人類が「重大な罪」と見なすことをした人でも、
あなたがその人になってみることができたとしたら、
あなたは完璧に理解するでしょう。

自分とまったく同じだと気づくでしょう。

どんなにわがままに横暴に生きてきたように見える
(本人ですらそう信じている)人でも、

小さな子どもの心で、傷つき、揺らぎ、悲しみ、
きっと、「助けて!」と天に祈ったこともあったのです。

誰も知らなくても、心の中で。

防御して、防御して、闘って。
痛みから自分を守るために、
いつしか「鬼」の幻想に入っていってしまったのです。


☆☆☆

ちょっと恥ずかしいですがここで個人的なエピソードを書きます。

私は中学生くらいから人生に苦しみ、
それは症状として現れるようになり、
「治したい」一心で、心理学だの、精神分析だのの本を、
かなり早いうちから読み始めました。

ひょんなことで、
それまで関心のなかったセラピーを学ぶようになってからも、
自分の中での本当の解決は訪れませんでした。

不毛なことをしているように感じる気持ちが、どこかぬぐえませんでした。

インナーチャイルド」に「過去世」、
「スピリチュアルな教え」に「エネルギー」、
新しい概念を知り、セラピーの枠が広がっても、
同じ囲いの中を歩いているような気がしたのです。

そんなさなか、
実家から都内の会社へ通勤していた頃の話です。


もともとは自分が「セラピスト」として生活できるようになるまで、
同時にできるアルバイトとして選んだつもりの、精神世界系の会社でした。

ところがすでに社員になっており、毎日忙しいのと、
「精神世界」を扱いすぎて食傷気味になったのとで、
いつしか自分がセラピストになる気持ちは萎えていました。

それでも、会社の人たちのことは好きでしたし、
講師を担当しながらセミナーを見て、学ぶことは楽しかったのですが、

どうしても、どんなに楽しく1日を過ごしてきても、
実家に帰ってくると、玄関先でもう「イラ~ッ」が始まってしまうのです。

理由はなくても抑え切れない、嫌~な感じでした。


自分の親、その頃父は単身赴任でしたから、
それは明らかに母との不一致によるものでした。

実は、私が心理療法だのセラピーだの学べば学ぶほど、
「そんなことを思ってもしょうがないんだ」と、どんなに自分に言い聞かせても、

「母が原因なのではないか?」

と感じる、深いところにある怒りや悲しみと、
「わかりあえない」という絶望感が、完全にはなくならなかったのです。

いや、その原因探しの考え方にはまると、
それは内心の深いところでこっそりと、いやますようにすら思えました。


だって罪は、どこまで辿っても、罪。
親の親、そのまた親…という考えも。
私の過去世、という考えも。

それは答えではないと知っている。

だから、全部をただ、
「仕方なかったんだ。私が選んで生まれてきたんだ。」
って、思おうとしたし、
「終わったことだからゆるす、手放す」って、何度も思おうとした。

でも、それでは、私の現に感じている苦しみ、多くの悲しみ、痛みは?
どうすればいいの?


☆☆☆

…それで、その頃も、お互い勤めて帰ってきて疲れているのに、
母と私は、ささいなことでケンカをしたり険悪になったりを繰り返していました。

セラピーだのスピリチュアルだのでどんなにいい気分になっても、
原因を見つけて癒し、自分の内なる光をそのときは感じたと思っても、

ここでは、こんなにも実践できない!
おんなじじゃないか!

この苛立ち、罪悪感は、二重に自分を苦しめました。


その日も母と口論して、私は非常に腹がたち、食事もせずに、
シャワーを浴びようと脱衣所に向かっていました。

脱衣所に入るとき、一瞬、ちらっと、
リビングで怒った表情のまま食事をとる母のことを見たのです。

その瞬間、私は絶望的に悟りました。

ああ、なんてことをしてしまったんだろう!


私は、こんなにも間違っている。


そのとき私の目に見えたのは、
大人の母ではなく、小さな子どもの姿でした。

傷つき、心を閉ざしている小さな子どもが見えました。

私が戦っていたのは、あの子とだったんだ!
なんていうことをしてしまったんだろう…!!

自分の痛みに夢中で、それに気づくことができなかった。
(「考えて」はいたけど、本当に「見えて」なかった。)

あの子の傷に、傷を上塗りさせていた。

痛がる子の、「痛みの」現実を、私も強化していたんだ。


脱衣所で、号泣しました。


☆☆☆

人が攻撃してくるとき、その人は必ず傷ついています。
私たちが応戦するとき、私たちも必ず傷ついています。

エゴという、
神(全体)との分離を信じ、怖れているちっちゃな子どもが、
自分を守ろうと思って必死にたたかっています。

「私は悪くない!」

うん、誰も悪くないんだよ。

「こんなことが起こるなんて、ひどい!」

見つめ方が、間違ってしまっているんだよ。
神様に、聞いてごらん。


しかも、攻撃しながらも、ちっちゃな子ども(エゴ)は、思いこんでいます。
本人ですら気づかない、ちっちゃな声で…

「ほんとうは、わたしがわるいんでしょ。」
「わたしは、わるい子なんだよね。」

あなたは、子どもの悲しい思い違いに同調して、
傷の上塗りをさせますか?

それとも、ただ示すことによって、真実を教えてあげますか?


☆☆☆

最後に、シンボルとしての「鬼」の話をします。

日本の鬼も、
バリ島でみられる「ランダ(魔女、悪の象徴)」や「ブタ・カラ」、
ニュピ前日のパレード「オゴオゴ」で見られる派手な鬼も、

私はああいう恐ろしげな外見のシンボル達が、
とても愛しく、大好きです。

眺めていて飽きない。

彼らのもつダイナミックさ、強さ、ユニークでおどけた感じ。
全部美しいと思う。

彼らを感じると、心が安らぎます。


それは昔からずっとそうだったのですが、
最近になって、その理由がわかりました。


彼らは、私たち人間の思う「悪や怖れ」を受け止めてくれる、
シンボルなのです。

内にある怖れの、外への投影の対象となり、
その怖れを一身に受けることで、鎮めてくれているのです。


払われたり、退治されたり、大変だねぇ?
そうやって、奇妙でおどろおどろしい姿をして、
私たちを助けてくれているんだね。

彼らシンボルが存在するおかげで、
古来から人間たちは、内なるバランスを取り戻していたのでしょうね。


それでは、また次回!


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