このブログでは、内なる真実の自己のことを、
コース・イン・ミラクルズ用語のHoly Spiritをはじめ、
「スピリット」とか、「ハイヤーセルフ」とか、色々な呼び方をしていますが、
今回は「トゥルー・セルフ」がぴったりなので、それでいきます。
基本的に、すべて同じものを指していると考えて、全然差し支えないです(笑)
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私が、自分の「トゥルー・セルフ(真実の自己)」としっかりつながったとき、
そうですねぇ、ちょうど◆「スピリットの声、大天使、アセンデッド・マスター」
という記事に書いた、「魂的現実」に気づいた頃のことなのですが、
自分自身であるトゥルー・セルフ(前述のように、ハイヤーセルフと呼ばれることもある)に、こう呼びかけられました。
「もうたたかいは終わりにしよう。
その剣を下に置いて。私を感じて。
私はいつもあなたを見て、愛しているよ。」
一瞬にして自分の防御、思い込みが、
どっと流し去られるような愛がなだれこんできました。
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同時期に、こんなこともあったのです。
あるお風呂上がり、自分のつま先を眺めていました。
何も考えずにじっと眺めていたのです。
すると、
トゥルーセルフの目線が、いきなり「個の私」と一体になりました。
そのとき、私は、知ったのです。
突如として体験して、わかったのです。
私が、その存在の目線から、今までどう眺められていたか。
生まれたその日から、この体(パーソナリティ)を持った日から、
その存在の目に、私が、どのように映っていたか。
それは、愛しく、一片のけがれもない、
かけがえのないものに対する眼差しでした。
私が批判し、裁き、ときに不平不満を持っていた身体的なあれこれ、
自分の様々な特徴、そんな何もかもが、
その存在の目から見ると、ただやわらかくて慈しみ深いものであり、
ただただ、やさしく「美しい」と思っているのです。
それを体感した瞬間、
みるみる涙があふれて、私は、むせぶように泣いてしまいました。
なぜなら、私の中の「ギャップ」が埋められ、たまらない気持ちだったからです。
自分はそれまで、なんて自分のことを、粗末な目で眺めていたのだろう。
なんて、さげすんで見ていたのだろう…。
本当は、人間というのは、体を含めて、こんなに尊いんだ。
こんなに、おおきな慈しみの目で、
この世界、小さな私のひとりひとりを、愛しく眺めている存在がいる…。
たしかに、今、ここに。
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たたかいがある時点で、それはエゴの幻想なのです。
「光と闇のたたかい」という表現も、便宜上のもので、
それですら、幻想の範疇です。
外の世界を見ること、
関係性を見ることは、
お互いがお互いの、天使の役と、悪魔の役を、
引き受けてやっているのを眺めることに等しいのです。
見ている人が、自分の分離を癒すために。
外に見えたものを、リアルなたたかいと捉えてしまったら、
私たちは自分の中の「分離」を強化することになります。
そこから映し出されたものを信じることで、
自分の作った分離の、外の表現形態に、翻弄されるのです。
だから、トゥルーセルフは言います。
「もうたたかいは終わりにしよう」
私はあなたを愛しているよ。
今も、いつでも。
誘惑から立ち去って。
その剣を置いて。
それは存在していないから。
あなたがどこに落ちようと、
私がこの腕で受けとめるよ。
なにが怖いの?
目をさまして。
静かになって。
しぃぃぃぃーっ。 (黙って!)
私の目を、感じてごらん。
…いついかなるときも、
あなたが、たたかわずして、真実に目を向けることができるように。
「天使の役」と「悪魔の役」の衣装を脱いだ中にある、
本当の姿を、決して忘れることがないように。
外観にだまされないで、
源泉というのは、いかに壮大でも、どのように尊くても、
あなたの中に存在している。
距離はなく。
今も、あなたの中に。
それでは、今日はここまで…おやすみなさ~い☆
☆スピリチュアルカウンセリング☆