このブログでも使ったことのある「自己責任」という言葉。
私が驚いたのは、社会人、
特に企業の中で仕事をしている人たちが、
「自己責任という言葉は重い」と、続けざまに語ったことでした。
なるほど、
これを、100%自分の自由でやっているんだよ、
という解放の意味に捉えるのではなく、
「責任をとる=重さ」、
つまるところ、成功・失敗という概念や、
罪悪感に結び付けて捉えることもあるのだなぁ、と、感じました。
今日は、この言葉について、別の角度からお話ししたいと思います。
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以前、◆「魔法をとくのはあなた」という記事で、
「自己責任」や、「カプセル宇宙」という言葉を使って、
思い込みからの解放について説明しました。
それにも関連してくることなのですが、
自分、外の人、状況を「ゆるす(解放する)」ということは、
あなたが、それに対するコントロール、
操縦権を手放す、ということです。
私(エゴの観点)が、この世界を操縦したーい!!
私の希望通りに動かしたい!
という、欲求を手放すのです。
あれ~、じゃあ、自己責任はどこへ??
…と、矛盾した感じがするでしょうか???
確かに、この世界は、自分の内が投影されている世界です。
外に、現実はありませんから。
そういう意味で、見ているものは、自分の責任(選択)です。
しかし、ここで大切なポイントは、
◆自分の責任なので、その見方を変える(真実を見る・愛を選ぶ)
ことができる。私たちにはその力がある。
(世界は外にあり、自分と切り離されているもので、
自分はその偶然性に翻弄されている被害者だ…という考えではなく、
これは自分の力による創造・あるいは幻想であるということを知る。)
◆歪んだレンズ(エゴ)を通してではなく、
透明のレンズ(スピリット)を通して見るという選択ができる。
と、いうことです。
歪んだレンズ、誤った知覚である「エゴ」の投影・解釈をせずに、
「スピリット(真実)」の現実をこの世界に映し出すこと、
私たちの本来の姿を、この「夢」の中でも目にするという目的のために、
ゆるしを行ったり、内なる神性にゆだねたりするわけです。
つまり、
自己責任の世界であると知っているので、
自分の中で、その世界の操縦権を神性(真実の自己)へとシフトする
必要があります。
見ている世界の解釈・運営全般を、エゴ主導だ!と握りしめずに、
「全体を知っているもの」へとバトンタッチするのですね。
…これって、とても楽なことなんですよ。
あなたが、
「何がいい・悪い」
「こうであるべき・こうであらぬべき」
「あれをするべき・これをするべき」…
いちいち忙しく判断していた、その重~い役割を、
ぜんぶ「最善を知っているものと共に選択する」ということですから。
なんだか、肩の荷が降りる気がしませんか?(笑)
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さて、
あなたがそうして、「幻想に入ってる!」自分に気づくたびに、
自分の意識をシフトさせていても、
あなたが想定する現実
は、やはり見えないかもしれないんですね。
でも、そういうときこそ、
見ているものに対する重い責任を解放するチャンスなのです。
外に映る世界は、内との一対一対応、ではありません。
たとえばあなたが、外の誰かとの関係を変えたい、とか、
ある人が癒されるといいな、とか、思ったとして、
現実としてその人が変わろうが変わるまいが、
それはあなたの責任ではありません。
あなたの責任は、その人に対する自分の「ジャッジ」を手放すこと。
そこまでです。
結果、何が起こるかはあなたの責任ではありません。
外の状況で、自分を「評価」しないことが大切です。
ここでもやはり、
あなたのコントロール欲(状況を把握したい欲)を、手放すのです。
疑問点があったら、内なる神性にきいてください(笑)
心を白紙にして。
正しいフィードバックができるのは、内なる神性のみです。
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責任、という言葉は、パワーのありかを示しています。
それは、確実にあなたのもとにあるのですが、
あなたの中の、どの部分が手綱を握っているかを、
よく観察する必要があります。
スピリットは、いつも内から呼びかけて、助けてくれています。
それでは、また次回~♪
☆スピリチュアルカウンセリング☆