今回の記事では、スピリットの意識からの、
「恋愛の法則」について書いていきます。
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このブログで書いているようなこと、スピリットの視点は、
日常につなげられてはじめて、意味があります。
かけ離れた「空想世界の面白い話」や、
非日常的な「崇高な話」なのなら、
それって気晴らし、エンターテインメントの域を出ない。
真実は、何においても真実なので、意味があるのです。
それでいくと、「恋愛」というものもまた、
人間に勘違いされている、
エゴの幻想の餌食になっている領域のひとつと思います。
ここでも、スピリットの法則がはたらいています。
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まず、第一に、片想いというのはありません!
はい、ブーイング…?(笑)
でも、やはりないです。
あなたの想いが、エゴから出ているか、スピリットから出ているか、
その違いしかありません。
単純です。
出どころがエゴならば、
あなたの気持ちは、相手の心とずれています。
スピリットならば、あなたの気持ちは、相手の心と一致(調和)します。
覚えていますよね?
この世界は、一者の世界。自分 meeet 自分。
スピリットの心はひとつ、ですから。
自分がスピリットの状態であれば、
相手と自分の望みは一致します。WIN/WINです。
それを知ると、
あなたから見て、叶わなかった恋、崩れ去っていったかに見える恋愛、
そういうものは、後になってみると必ず、
成就しなくてよかった、当時の自分の思い込みが影響していた、
自分がズレていた…と、気づくものなのです。
それでよかったんだ~って。
人間はたやすくだまされてしまいますよね!
自分のことさえ、だましてしまいます。
あなたは、相手の、魂だけを見ているでしょうか?
外観や、この世界的な“着こんでいる衣装”(外的条件)に、
まどわされていないでしょうか?
まずは、スピリットに耳を傾け、心をチェックしてみてください。
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結局、
「あの人を振り向かせたーい!」
「想っても、想っても、叶わない…」
というのは不毛な感覚で、
それはつれない相手のせいではなく、
神様のイジワル(笑)や悲恋でもなく、
自分の気持ち、動機が、どこかしら歪んでいるのです。
何かを錯覚しているのです。
エゴの幻想に取り込まれて、相手を見、
エゴの投影した衣装を着せて、相手にものを思ってしまっています。
真実ではない。
逆に、純粋な、スピリットの心から出る愛、
歪んだレンズを通していない知覚に基づくものであれば、
双方の想いはナチュラルに一致するということになります。
状況の詳細は色々あるでしょうが、想いはぴったりひとつです。
楽な世界ですよね。
なので、恋愛において私たちのできることは、
相手へのアプローチにおける様々なテクニックだの、
自分の外見や、社会的地位を改造する小細工だの…ではなく(笑)、
シンプルに、
自分の心をいつも見つめること、
透明な目で相手を映し出すために、
その想いが純粋なスピリットからの想いか、
エゴの思いなのかチェックすること、
それだけです。
想いがスピリットから発するものだとわかったら、
エゴのおびえに惑わされず、ただ信頼すること、
自分でブロックしたりジャッジしたりせず、
心を開いて、ステップ・バイ・ステップの導きを受け入れる
ことも大切です。
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さて、恋愛の相手、あるいはパートナーを、
「自分の心の隙間を埋めてくれる人」
と考える人がいたら、いずれ、
自身の心の隙間は、相手によって、映し出される(体験される)でしょう。
むしろ、恋愛の相手というのは、タッグを組んで、
何かしらのレッスンを授けるために、自分に協力してくれてる人
と言えます。
「あいつめ…」
「相手さえ、変わってくれたら…」
と、怒り、傷つき、相手のせいにしても(笑)、
それは自分を傷つける行為と一緒です。
コースの中にもこんな言葉があります。
The answer that I give my brother is what I am asking for.
And what I learn of him is what I learn about myself.
私が、他者へ与える答えは、私の求めているものである。
私が他者から知ることは、私自身について学んでいるのである。
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このことをふまえて、相手に感謝しながら、
あなたに訪れた恋愛やリレーションシップという状況の中で、
誠意をもってするべきことは、
自分に正直であること
です。
嫌われようがなんだろうが、本当の自分を相手に出さなければ、
嘘の関係を続けるか、破局は時間の問題か、しかありません。
自分をごまかすことは不可能です。
装っても、その歪みが外に映し出されてくるだけです。
あなたの目の前にある関係を、神聖なもの(リアル)にしたいのなら、
勇気を出して本当の気持ちを伝えてみる、
できるだけ素の自分の姿から逸れない、それを隠さない、
そして、
あなたも、オープンな気持ちで相手に耳を傾ける、
相手の見せてくれる等身大の姿もそのまま認める、
これが大切になってきます。
コミュニケーションには色々ありますが、
コミュニケーション自体を避けたり、
その中においても自分を防御するための嘘いつわりを混ぜると、
「着こんでしまった思い込みの鎧」を、
お互いが脱ぎ合うという素晴らしいチャンスが、ふいになってしまいます。
あなたは、誰かの率直な現状をさらけ出した姿、正直な姿を見て、
ぐっと心を動かされたことはありませんか?
人間が無防備になって、すべての鎧を脱ぎ去っているとき、
そこに見えるのは「光」です。
人間体験をしていると、みんな、それぞれ「怖い」のです。
だから、着こんでいます。スキなく心を閉じる癖がついています。
それらをぜーんぶ、とっぱらっても、
「あれ?何も怖くなかったね?」
って理解するために、ゆるし(解放し)、ゆるされる(解放される)ために、
人間関係があなたのもとへやってきます。
あなたの実践の相手をよく見てください。
その人は、あなたがひとりではできないことを、
一緒にやってくれるsavior(救い主)です。
相手に「罪」を着せそうになったら、自分の目が曇りそうになったら、
スピリットへゆだねてください。
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本当は、誰も人を傷つけることはできません。
この世界では、人それぞれが、自分の中にあるフィルターを通して、
それぞれがジャッジして、自分の現実を体験しています。
それでも、外でどんなによそを向いて見えようと、
リアリティーにおいては、
誰も閉じていない、離れていない、互いのズレは幻想です。
だから、私たちが真実においてつながっているからこそ、
関わりを通して起こる奇跡、交流によって開く扉があり、
境目が消える体験
が、あなたが邪魔をしなければ、自然と起こってしまうのです。
自動的に、いつもある愛の目撃者になります。
皆さんの日常の関係性に、どうぞ奇跡が表れますように!
おやすみなさーい。
☆スピリチュアルカウンセリング☆