BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

ソウルメイト2

あけましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願い致します。

新年明けて、さっそく、
記事にしてお伝えしたいと思うインスピレーションが降りてきました。キラキラ☆

その記事への個人的な前段階として、この記事を書きます。


前回の「過去世とソウルメイト」という記事では、

beats-and-love.hatenablog.com

「恋愛の法則」からいただいたご質問を意識して、
恋愛関係にあるソウルメイトについてテーマをフォーカスしてみましたが、

今回は、もっと身近かもしれない、
自分の人生で、すでに、とっくに出会っているソウルメイトのお話です。

☆☆☆

私は以前、記事の中で(「上級の優しさ」)、

beats-and-love.hatenablog.com

人は人(他者)に依っているのではなく、
神(内なる源)にのみ、依っている。

ということを書きました。

本人の内なる力でのみ、
その人は立ち上がることができる、前へ進むことができる、という意味です。

ただし、この「本人の力」を思い出す手助けをすることは、
周囲の人にもできます。

そういう意味で、人生において、
私たちは皆つながって、お互いを助け合っています。キラキラ☆ハート②


皆がそうであるということはれっきとした事実で、
その意味で言えば、特定の人のことを考える必要はないのですが、

自分自身を「この人生の主人公」と感じる私たちの立場から、
この人生において、というものの見方で見た場合、

ある人が、自分にとってまさに「守護天使」のような役割
をしてくれていると、気づくことがあります。


あなたの人生の中で、もしかしたらそういう人は、
すでに身近にいるのかもしれない。

いえ、誰の人生という「計画」の中にも、その存在はあるのです。
そう思いながら、私の体験を読んでみてください。


☆☆☆

私にとって、それはたしかに一種特別な感覚で、
前回の記事を書いてから急に、

きっと、
よく言われる「ソウルメイト」とはこのことを言うのだろう、
と、腑に落ちました。

☆☆☆

さて、どんなソウルメイトもそうですが、

その人がひとりの個である人間として、聖人のようであるとか(笑)、
いつも自分と心を通い合わせてくれて考え方がぴったりだとか、
決してそういうことではなく

それぞれがごく当たり前の人間として色んな体験をし、
それぞれ色んなことを学びながら人生を歩んでいるけれども、

そこに、外観(各人生の詳細)を超えた深い愛と絆があり、

どうしてだかわからないけれども、
この人が生きていることが、ただ自分の力になる、支えになるとわかる。

私の人生の中に、この人という存在がなかったなら、
私の人生はきっと、今の私の人生にはならなかったであろう、

と、ただ感じるのです。

☆☆☆

記事の中に何度か登場している、とある友人や、
自分の妹は、私にはソウルメイトです。


まず、<友人>ちゃんに関して言えば、高校で知り合った友人でした。

入学の初日、知り合いの誰もいないクラスの中で、
お友達と話している彼女の姿を見たときに
(彼女には同じ中学からの同級生がいたのです)

私には、当時は意識していなかったけれどその後もたびたび体験する、
「自分と関わる人が白く光ってみえる現象」が見えて、

理屈を超えた感覚が、しきりに、
「彼女に話しかけなければならない。」
と、語りかけてきたのでした。


それで私は、彼女に他愛もないことで声をかけましたが、
話しかけたときは見事に初対面らしい丁重さで対応され、それだけでした(笑)

すぐにうちとけて仲良くなった、というわけではありません。

その後まもなく、親しい友人になりましたが、それでも、
べったり一緒にいるような友人関係でもなく、
今ではたまに連絡をとったり、1年に数回会うか会わないか程度です。


外から眺めた場合、私たちの人生や性格はあまり似ていません。
内面的な思想も、一致するところもあれば、そうでないところもあります。

私にとっては根本となっているスピリチュアルな思想に、
彼女が否定的なのも以前書きましたし、
ケンカして数年、互いに絶縁状態になったことまであります。


それでも、彼女の持っている「根底にある愛」、
外観を超えた存在のようなものを、私は絆として感じ取ることができ、

それは私を非常にくつろがせるのです。

私はイノセントに返ります。
私の思いきりわがままで、だめなところを全部さらけ出しても、
また、私も彼女のそういうところもたくさん目撃しても、

私たちは本当には嫌いにならない、だめにならない、
どこかでそう思っているのです。

それは決して育んだ類の友情ではなく、
ただ、そうなのです。

☆☆☆

もっと身近なソウルメイトが、私の妹です。

この人がいなければ、私は途中で自殺していた可能性があります。
率直に思う個人的事実です。

この人生を途中でやめずに、
私がなんとかかんとか生きて、スピリットと自らつながるようになったのも、
妹の存在、彼女の見せてくれる愛が、私をここに引き戻してくれたからです。


妹がいるということが、たびたび私を、
「ここから逃げよう」とする衝動から、助けてくれました。
ただ、私の人生に存在してくれているだけで、そうでした。


これまでいっぱいケンカもしたし、
今だってお互いに成長過程の人間なのですが、

それでも彼女は私の心の守護天使です。


この人生での私の立場は彼女の姉ですが、
妹の見せてくれる「根底にあるもの」の大きさを、
私はただ知っています。

それを感じるとき、

「これに、どんなお返しができるだろう?
私は、どう報いることができるだろう?」

私がそう自問自答して、自分の存在を小さく感じるほど、
そこにあるものは大きいのです。

これは、前述の友人に対してもそうです。


どっちが先とか後とかの順序はなしに、
「私」としてこの人生に入るときに、お互いの存在なくしては、
成り立たない気がするのです。

妹についても、妹には妹の人生があって、
私と同じ人生の目的や、私と似たようなシナリオ、
私と同じ考え方、同じ感じ方をしているわけではありません。

けれども、お互いが存在すると知っていることが双方にとっては大きい、
そしてその深い感覚は、この人生の詳細を超えている気がするのです。

彼女がいるから、私もここに来た。
私がいるから、彼女もここに来た。

きっとそれだけではないけれど、それもあってここに来た。
そんな感じの、絆、です。


☆☆☆

私の人生の中で、はっきり自覚できる2人のソウルメイトについて書きましたが、
他にもそういう出会いはありました。

その関わり方は様々でしたが、共通しているのは、

「表面で何が起こっていようが、根底にある深い愛がわかること」

でした。

表向きは、どんな風であっても、
私たちは、その奥にあるものでつながっている。

そのことを思い出させる媒体となるのが、ソウルメイトなのだと思います。


本当は、すべての人にそれが感じられる。
それが、私たちの真実だから。

でも、すべての人にそれを感じることが、
この分離して見える世界の中では、ときにむずかしくなってしまうから、

それを思い出させる「置き石」として、
私たちの魂、スピリットの記憶を取り戻す引き金として、

ソウルメイトとの出会いがある
と思うのです。


思い出された愛は、外に拡大されていきます。


その人との間だけにあるもの、
そこに閉じ込められる性質のものなのではなく、

そこで感じた愛は、たしかに自分の生きる勇気となって

すべての人、すべてのものごとに対して拡げられてゆくのです。
ただただ、そこにある大きさに、感謝を捧げながら。


ここから得た気づきが、次の記事へとつづきます♪


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