BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

裸の王様

この世界で生きていると、嘘がいっぱいある。

みんなで手でもつないで、「いっせーの、せっ!」で信じると、
まるで嘘が真実になるかのようだ。

いや、実際、そうできているのがこの「世界」なのではないかと(汗)、
最近とみに思うのです。


「裸の王様」というストーリーがあります。
みんなが、自分が馬鹿だと思われるのを避けるために、
見えたままの本当のことを言わずに、王様の「見えない服」をほめたたえ、
イノセントな子どもだけが真実を口に出した、というお話ですよね。

「王様は裸だ!」と。

「インディゴの課題」という記事で書いたテーマともかぶってくるのですが、

beats-and-love.hatenablog.com

本当は人間というのは、別に「インディゴ・チルドレン」なんかじゃなくたって、
自分の嘘にも他者の嘘にも気がついています


ただ、たいていは、

「嘘をついていた方が楽」と信じているから、
その方がまるくおさまると信じているから、
もしくは都合がいいと思っているから、

そう、メリットがあると信じているから、
それで痛みを避けられると思いこんでいるから、
場合によっては「善意」で、

嘘の状態を続けるわけです。


だから、表層意識ではそれを「嘘」だと思っていないかもしれません。
これでいいんだ、これが私なんだ、と納得しようとするかもしれません。

自分を、自分で説得しようとしているとき、嘘が存在しています。


ありのままの考え、感じたことを「いけない!」と判定しているので、

自分の思う「正しい」自分を前面に出したいと思っているので、
嘘の自分を作り上げようとしているのです。


でも……

「ムリな力」は、「ムリな力」です(笑)

押して、押して、押して、自分をある位置に祭り上げたって、
それが真実という土台に支えられていないのなら、
いつか「どどど~っ」と、勢いよく崩れゆくのは、目に見えてます。


むしろ、注目すべきは、なぜ私たちは、ありのままの自分よりも
「嘘をついた方が都合がいい」と思っているのか。
「作り上げた自分が必要だ」と思っているのか。


なぜ、そのままの自分ではいけないのでしょうね?


立派な人間とはこういうものだって、信じているから?
本当の自分を出したら、人を傷つけると思うから?
今のままを肯定したら、堕落する一方だと思うから?

嫌われたくないから?
批難されるのがこわいから?
自己嫌悪に陥りそうだから?
ほにゃららら?(お好きな言葉を挿入してみましょう)


でもねぇ…!

人というのは、
自分が完全に肯定していること、無罪と認めていることについて、
外から何を言われても、気にならないものです。

問題になるのはいつも、自分の「内なる裁判官」の方なのです。
自分だけが、自分を傷つけることができるのです。

それなのに、

裁く自分というのはそもそも、それ自体が「嘘の自分」です。

笑ってしまえませんか?
だって、裁いている自分、「裁判官」、その自分こそがニセモノなんだよ!


当然、その判定の「基準」だってニセモノですよね。
なんていうカラクリでしょう。

王様の、見えない服と一緒です。
そんなの、
ないんです。

本当は存在していない「罪」というものを信じる私たちは、
自分を裁いて、裁くがゆえに、罪を感じて。

いや…罪を信じているから、裁くのか。

そうして罪を感じるがゆえに、他者を攻撃したり、自分を防衛したりする

☆☆☆

「罪悪感」が出てきたら疑ってください。
本当に?それ、悪いの??本当に?

あなたのハートが痛むとき。
それは、罪のせいではありません。

この、罪というのを、外のものに認めようが、自分の内に認めようが、
結局同じことなのですが。



あなたが感じているのは分離です。

その分離とは、かならず、内なる神性とのズレのことです。
スピリットの自分との、ズレです。

ただひとつの自分ではなく、
別な自分、ニセモノの自分が登場しているぞ!という警鐘です。

☆☆☆

とあるあなたのパーツが、内から呼びかけます、
「あああ、王様は裸だー!」

外のあなたは、抑圧します。
だって、都合が悪いもの!
この子ったら!

「しっ、黙って。お前は間違ってるよ。
王様が裸なはずないじゃないか。
なんて悪い子だろうね。
お前を閉じ込めるよ。消し去るよ。」

言いたいことを言ってはいけない
感じたことを感じてはいけない。

だって、都合が悪いから!

どこに対して都合が悪い?

…この世界に対して。

この世界に属する自分

自分の思う、外の世界に適応したい自分に対して。

(なんてこと…あなたは、本当は、この世界に属してはいないのに!)


象徴的なたとえですが、私たちは自分の内側で、
こういうことを頻繁にしているのではないでしょうか。

自分の正直な声をないがしろにすること

これほど、大きな犠牲を払うものはありません。

そこには、宝物が隠されているからです。

それは、あなたのみならず、

人類にとっての宝物です。
世界へ与えるギフトです。


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