タイトル「いいも悪いもへったくれもない」は、
私のスピリットから受信した、いさぎよ~い今日の言葉です(笑)
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私たちの身に起こっていること、体験していることを、
短いスパンで評価することには、まったく意味がありません。
長いスパンで見て、はじめて、何かがわかるのです。
「人生全体」を見なければ、わからないことがあります。
「時の流れのさなかにいる」と感じている私たちが、
いかに見えていないかを、実感できますか?
個人を超えた「世界全体」の目線で眺めることができてはじめて、
その「意味」を知るのだと、納得できますか?
私たちは、錯覚しているがゆえに、自分を「評価」しようとします。
関わる人も、状況も、評価しようとします。
「これはいいことか、悪いことか」
自分の思い込んでいる過去や未来を往復して(想定して)、
それと「今」を照らし合わせて、独自に判断しようとします。
自分の基準に沿って「よい」と判断すれば満足しますし、
「悪い」と判断すれば、いやな気分になるのでしょう。
満足できなければ、それと取り組んで、なんとかしようとすることもあるでしょう。
しかし、私のスピリットが言いました、
「いいも悪いもへったくれもないよ」と。
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◆「ゼロに戻る自由」という記事にも書いたことです。
等身大の自分と「別な自分」を想定するから、葛藤が生まれます。
パラドキシカルな言い方ですが、だからといって、
あなたに選択の自由がない、
いつも決まったレールの上を黙々と歩かなければならない、
…ということではありません。
ここでお伝えしているのは、
「今」からずれる考えに、意味はないということです。
「今」を肯定できなければ、
そこから派生する過去も未来も、やはり否定的なものでしょう。
ズレた目には、ズレたものしか、映し出すことができないからです。
全体を眺めることができないものが、
チャンク(細切れ)になっているほんの一部分をつまみ上げて、
「これはああだ、こうだ」と、判断する。
これがいかに愚かなことか、私たちは知っていますね。
評価をするのは「見えていない自分」ではない。
「知っている自分」のみが、正しい評価をすることができるだろう。
そして、「知っている自分」が聞かせてくれる答えは、
いつも「right(正しい・それでいい)」なのです。
私たちが何に直面していようが、それは最善のために用いられる。
人間の目で、出来事や人生をどう評価しようと、それは関係ないのです。
そこにある本当の意味なんて、わかっていないのですから。
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ですから、どんなことが起きても、
自分が自分の、(あるいは人の、世界の、)
「すでにしてしまった誤った選択」に悩むようなことがあったら、
「はっ」と、気づいてくださいね。
「いいも、悪いも、へったくれもない!」
評価しているのはただ、自分であると。
あなたが自分を裁いている限り、
いやな気分は続きます。
正当な評価を知らない自分が裁いたことをもとに、
その自分が“不適切”だと判断したことをもとに、
「起こったことを変えようとする試み」は、もうしない。
別の自分(人、世界…)を想定する試みは、もうしない。
シンプルに、そう決めてください。
本当に、どうにもこの世に不適切なことは、起こることができません。
(イコール、起こったことはすべて、何らかの形で役に立つ、糧になる。)
あなたが「今」に目を向けるなら、
それ以外の「他のとき」という幻想にだまされないのなら、
すべてのものがもつ「適切さ」は、正しいときに明かされてゆくでしょう。
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