BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

ひとつの夢とリアリティー

こんばんは!引き続き、間隔のつまった更新ですバラ

前回の記事、
「偽装としての創造」、意味は通じましたか?
今回は、その補足として、また、別の表し方でも説明します。


このブログでは、コースA Course in Miracles)という本の世界に沿った、
「神」や「神の子」などの表現を使いながら説明をすることも多いですが、

コース学習者でなくとも、本質が伝わるように…と願って書いています。みどり

そしてまた、一見、多種多様に見える精神世界の知識の、
橋架けができたらいいなとも思っています。


ですので、記事で、意味がわからなーい!という箇所がありましたら、
他の表現も可能ですので、遠慮なくご質問くださいね
ハート


さて、コースという本の学習もそうですが、真実と向き合うことは、ときに、
私たちの内にあるエゴを追い詰めます

真実は、私たちの思い込みのリアリティーを壊すからです。
エゴの存在意義である分離を終わりにするからです。


今日は、前回の記事アップ後の、
私自身の体験を交えながら、始めてみましょう~♪


☆☆☆

まず、私は前回の記事をあげてから、しばらくして、
自分がイライラしていることに気がつきました。

その内容を見ていくと、「罪悪感」が出てきました。

スピリットに、思いをぶつけます。(自分の中での分裂のやりとりです)

vanillatree(以下、v.t):

「偽証っていう言葉が気に入りません!
あの内容は、この世界を冒涜しているような気がするんです。
裏切るという言葉もそうだし、これを書いたことが私は嫌です。
私たちが、何か、悪いことをしているような気がするんです。
この世界を、否定しているような悲しい気持ちになるんです。」

スピリット(以下、S):
「偽証という言葉を使ったが、それは罪を指すのではない。
神は裁かないがゆえに、罪というものは存在しない。」


v.t:「でも、人間の世界では、裁判での偽証罪という言葉に代表されるように、
罪と結びつけて考えがちな言葉なようです。」

S:「思い出しなさい。罪を信じているのは、エゴ(分離した心)のみだよ。」


v.t:「分離を説明するのに、罪悪感が介入しないような、
他によい表現はないのでしょうか?」


…そこで、私が分離について受信したことを、だいたい言葉にするとこうです。

(分離の仕組みはわかっていても、私はその成り立ちを完全にわかっていません。
ですので、基本的には前回の記事と同じ本質をあらわすための、
ひとつの可能性としての、別の側面から見たストーリーだと思ってください!)


まず、神(源)は何が起こっても裁きません。
罪という概念が、ありません。
罪を感じたり、裁かれると思ってそれを信じ、
怯えているのは私たち(エゴ)のみです。これはOKですね!


分離が起こったのは、そもそも、すでに完璧なものに対し、
「もっとよくしたい」という望みが生じたことがはじまりでした。
もっと何かを加えたい、と思ったのです。

そうして、創造を繰り返すうちに、
私たちは、自分が何であったかを、忘れてしまったのかもしれません。
(自分が神とつながった、神の子であるという自覚がなくなっていった。)

「忘れた」と言っても、それは自分自身のことですから、
自分の内側にあるものを、完全に忘れることはできないがゆえに、
私たちはその記憶をぼんやりとした違和感として感じることができました。
その内なる感覚を、「罪」だと勘違いしました。

実際は、その違和感は罪ではなく、
「間違ってしまっている認識」への気づきのことなのですが…。


罪という概念が生まれてからは、自分の信じている罪を証明するための現実が、
次々と外の世界にあらわれました。
そうして「分離」のイメージは強化されたのです。

私たちは創造の力を「止めることができないから」です。
それが思い込みであろうと、自分の心の内容を、常に外に映し出しているのです。


神は、物質世界を創りません。
(物質世界は、真実をまねて作った影のようなものです)
しかし、私たちの本質(スピリット)を創造したのは、神です。
どこにいても、神なしで、私たちの存在はありえません。

結局、神は、私たちが信じる物質世界の、
「形態を超えた」背後にある源の力として、存在しています。

私たちが神と意識を合わせれば、
この「物質世界」という覆いの向こうにある、真実にふれることができます。


☆☆☆

私たちは、たくさんの選択肢があると思い、
自分が創造者であれば、たくさんの創造ができると信じていますが、

はっきり言って、それらがいくつに分かれて見えようと、
実際は2種類しかないのです。

愛(全体意識・神性)という真相か、閉じた心(個の意識)から出る妄想か、です。

妄想の種類は数多くあり、人や世界を細かく分けて(距離を作って)いきます。
たくさんのシリーズを生みだします。問題を作ります。

でも、愛に基づく創造は、ひとつです。融合を促すものです。

つなげる力と、分離する力。いつもその2種類です。


☆☆☆

この世界は、あなたの見ている夢です。

この物質世界という夢は愛しいけれど、私たちは、いつしか、
これが唯一のリアリティーと錯覚して、執着するようになってしまいました。

夢を見ていた者が、夢の中で、夢に囚われてしまったのです。


忘我の境地にある私たちは、それぞれが、
たくさんの夢を別個に持っているつもりでいます。
人と共有せず、自分個人の、特定の夢を生きているつもりでいます。

エゴ(分離した意識)のものの見方では、それは事実です
共有できる夢は、ありません。

それぞれのエゴの見る夢と夢には差異があり、
それゆえに両者に距離が生まれます。 孤独です。
ばらばらの私たちは、いつまでも一致することができません。


けれども、リアリティーにおいては、
夢はひとつしか存在していません。

ひとつのものが、色々な角度からの目線を鑑賞しているように…

この世界の参加者は、一者の描き出すピクチャー、送ってくるパルスを、
一緒に実現しているのです。


それに気づいて、全体の目線から見ると、私たち(個)は、
ひとつの夢を完成させるパーツ、登場人物の位置づけに見えます。

その登場人物達が皆、ひとり残らず連動しているのはもちろん、
外的状況に見える夢の中のすべての要素は、つながっているのです。


しかし同時に、

登場人物…のように、夢の特定の角度から「様々な自分」を体験している者は、
本当は、夢を見て、創っている者、その本人に他なりません。

その本人、いえ、“存在”というのが適切でしょう…

目覚めながら夢を完成させている一者
は、私の、あなたの、大きなSELFです。

それは共通の私ひとつの心です。


選択というのは、その一者の呼びかけを聴くか、
夢の中で迷子になった、影法師の声を聴くか、なのです。


☆☆☆

それでは、次回またお会いしましょう♪ (*^ ・^)ノ⌒☆


↓読後のクリックお願いします☆

広告を非表示にする
サイトポリシー
Copyright©2011 BEATS AND LOVE All Rights Reserved.