BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

切り離したいという望み

今日のテーマは「切り離したいという望み」です。

自我が持っている根本的な怖れとして、

「自分がなくなっちゃう」

という怖れがあります。

自我といっても、
それが外からやってきた別の生物で、私たちに張り付いているわけではなく、

自分の中の
勘違いしている、ごく一部の意識でしたね。


「私」=「自我」ではありません。

あなたは、意識のフォーカスを動かす者、
視点を全体~個へと自由自在に調節する存在です。


意識の中の、どこを自分だと思うか
を、選んでいるのはあなたなのです。

自分が誰だか錯覚しているとき、自我と自分をイコールだと思っているとき、
自我は、そんな「錯覚の自分」を保とうと、がんばっています。


この意識の見地からすれば、真の自己という「全体」を思い出すと、
自我自体は虚構であり、
仮のフォーカスポイントにすぎないと、気づいてしまうため、

つまり、「自我中心の夢」はほどけていってしまうため、

統合されることは、自我には脅威です。
自分の存在意義がなくなると感じているのです。


本当は、統合されるということは、すべてがになるわけではなく、
存在すべてが「アライン(整う)」状態に戻る、
境界の無いひとつになるということなのですが、

自我に「存在のリーダー」をやらせている限り、意識の中で、
全体から分離しよう、分離しよう、とがんばってくれるわけです。


全体意識であるということを知っていながら、それに沿いながら、
充実した「個」を生きることができるのだということ。

このことを、自我に示すことで、
自我は安心して、「リーダー」の役から降りることを学び始めます。

相変わらず色々と訴えてくるかもしれないし、
それ自体の働きをすぐにはやめないかもしれませんが、
それとは関係なく、自然な力の入れ替えが起きます。

あなたが、どこに力を与えるか、選ぶようになるのです。

自我に力を注いで暴れさせるのも、
神性のもと、ひとつの秩序のもとに整列(統合)させるのも、

あなた次第です。

あなたは、自我意識を観察するもの。
その、地である存在。

存在(PRESENCE)の力、
「真の自己」の認識にこそ、根拠があります。


☆☆☆

あなたが、自分は誰であるか、を知っているとき、
あなたはただ、存在しています。

あなたの心にとって、脅威はありません。
平和です。静かです。

「渇望、願望(WANT)」から解放されています。
足りないものなどないと、わかっているからです。

あなたが動くとき、
それは、「不足」の認識からではなく、
「しなければならない」からではなく、

「ただそうしたいから」、内から湧く純粋な息吹のために、動くのです。


大きいあなたです。
自由を知っています。
創造の本質を知っています。

「愛」というものは、BEING(在ること)であり、
方程式を持たないと知っています。


一方、自我という限定した意識は、

それ自体が生み出している分離の感覚から、
「一体になりたい(全体に戻りたい)」という衝動を覚えており、
同時に、「分離したい(保ちたい)」と願うのです。

2つの、相反する働きに葛藤しています。

自我意識がもたらすものすべてに、
この2つの相反する力が働きます。

愛も、そう、

出来事に対しても、そう。

起こったことから、自分を切り離したい。
人から、見えている世界から、自分を切り離したい。

私は、私のためだけの私を、取っておきたい。

自分の思う安全のために、
自分の思う清らかさ(※自分だけがイノセントだと思うこと)のために、
自分の思う正しさのために、……etc.


☆☆☆

しかし、私のためだけの私は、ないのです。

それは、虚構なのです。

私は、創造主(全体)のものであり、
源に属するものです。


それに気づきたくないがために、
「私のためだけの私」を信じるために、

虚構の現実を維持するために、

自我は、自分なりの「解釈」に頭を忙しく働かせ、
自分の性質である「葛藤」を外のものとして見て、

「この世界から出られない」と嘆くのです。


ありません…そのような現実は、存在していません。

これは、意識の中で、描いた世界です。いわば夢です。
本当はあなたの希望した、たくさんのギフトのつまった夢なのです。

それなのに、自我が生み出すシリーズはいつも、分離を維持する夢です。
夢に夢を重ねて、袋小路に入ってしまいます。


そこから自分を解放しようと決めたとき、アイデンティティーに気づいたとき、
あなたは、「違ったものの見方」を受け入れます。

「自我を超越した視点」で、ものを見るということです。
小さな、限定された視点から生まれる解釈に縛られないという決意です。

そこから見えるのは、自我の目では決して眺めることのできなかった世界です。

それもまだ、夢の中にあることに変わりはありませんが、
「真の自己」が映し出すために、「真実の夢」と呼ぶにふさわしいものです。


☆☆☆

コース(A Course in Miracles)
に出てくる「ゆるし」は、

誰かが、何かが間違っているので、「ゆるす」のではありません。

起こっていないことを、ゆるす(取り消す)。

つまり、自分の作った錯覚を手放し(無効にし)、
「自我を超越した目で捉えなおす機会」を作っているのです。


「私」は、この夢の夢主であるがゆえに、
心の世界を外に見ます。

しかしそれに気づかぬ間は、自分が起こしたことを、
自分と無関係なものと見なし、切り離して生きています。

外の世界は、肉体と同じくらいには、自分の「体」と呼んでもいいものです。

自分とほんとうに「無関係」な現実は、自分には見えない、起こらない、
体験することができないからです。

人は、世界、対、自分という構図を信じています。

自分と別に、「世界」があると思っています。

しかし、そのような世界はありません。


これは、

あなたを外から攻撃するもの、あなたの平和を奪うものなど、
何もなかった。どこにもいなかった。

ということです。

外の世界は無害です。

自我というフォーカスに縛られていることに気づいたら、
何かを「切り離したいという望み」にかられていることに気がついたら、

あっさり、「白旗」をあげてください。
「自分だけの自分の思考」は、あきらめてください。

「いつもそこにあるサポート」に心を開くのです。
それはただ、あなたの許可を待っています。

「真の自己」から送られてくるもの、それが語ろうとしているもの、
そこから映し出される視点を「自分として」、どうぞ受け入れてください。


それでは、また次回お会いしましょう~♪


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