BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

進化は、はかれない

ここのところ、意識の第二の目覚め、とでも呼びたくなるものを、
体験している気がするvanillatreeです。


第一の目覚めが、「真の自己との再結合(気づき)」だとすると、
第二の目覚めは、「世界の、別な姿の開示」と言えそうです。

コースでいうところのREAL WORLD(本当の世界)を見るということです。


そこで見えるものは、目に見える世界の根源となっている、「本質」です。
それは、「心の目」でしか、見えません。

普通に生きていても、人はそれを「感じている」ものなのですが、
ここにきて、ばっとヴェールを引き払ったかのように…
その「相」の存在を実感しつつあります。少なくとも、視点の移行を感じます。


それに意識を合わせると、「言葉」で表現しているものが大方「虚」であること、
目に見えるリアリティーが、いかにたびたび本質を歪めてしまうか…ということが、
なかなか衝撃的です。

この歪みについては、睡眠中の「夢」の認識が、参考になります。


夢の情報の、私たちが起きた後に記憶している「具体的詳細」は、
すでに「頭脳(表層意識)の翻訳、歪み」を受けて、変化してしまっています。

その奥にあった本質は、感触として覚えているかもしれませんが、
起きている意識で「夢の内容」を振り返っても、
日常の頭脳で分析、解釈を試みると、大きく道を外れてしまうことになります。

夢の本質は、「外の世界を知覚している意識」によって、適当に、
なじみのある現実に結び付けられているからです。


これと同じことが、起きている間の現実でも起きていると言えるのです。


私たちは一見、本質のみで構成されている世界との間にある、
「ヴェール(意識の中の境界)」を越えられません。

でも本当は、自分の気づかないところで、
1日に何度も、その境界をやすやすと越えているのです!

これは、同時に存在しているのに、隠された世界。
見ているのに、見ていない現実…

まるでそんな感じのものが、れっきとして存在しているということです。


ここのところ、「統合」についてお話しすることが多いのは、
内なる統合へ向かうことで、
私たちは現実の別の側面に気づいていくと思うからです。

前記事で、「ハウルと動く城」の話を出しましたね。
(見たことのない方、すみません!ここからそれについて語ります。
結末にもふれているから、楽しみたい人はご注意!)


☆☆☆

私は、あの映画を見たときに、その世界がまるごと、
自分の内面の、象徴的なストーリーであるかのように感じたのです。


まず、私は、ハウルそっくりでした。

自分のマジカルな力を知っており、向上、学ぶ意欲もあり、
それを自分の許可できる範囲内の、安全な現実の中では使ってもいました。

でも、同時におびえていました。

(赤ちゃんをあやすかのような色とりどりのおもちゃや、気休めのお守り、
たくさんの魔術的な品々に囲まれて、「怖いんだ…」と告白していたハウル
ベッドで休むハウルの姿を思い出してください。)


そしてまた、ハウル同様、「人知れず世界と戦う」ことで、
それ(自分の中の怖れとの戦い)を充足してもいました。

でも、その試みは間違っていました。


私の中には、ソフィーもいました。

自分の美しさを否定し、一見「事故的な」外の要因からくる魔法のせいにしながら、
本当はおそらく、自分の心によって老けこんでしまったソフィー。

何かに耐えるように生きてきて、若さを失ってしまった。


2人とも、対極的なキャラクターのようでいて、
自分を制限しているという点では同じです。


でも、ハウルとソフィーが手をとりあったとき、
愛によってお互いがお互いのために目覚め、自分を解放したとき、

あの映画の中では、あっさり外の世界の「戦争」は終わってしまいましたね。


あの部分、急速な展開については、批判もあったと聞きますが、
私はあのストーリーは、あそこで戦争が終わってこそ、意味があると思います。


カルシファーですら、あの現実の中で、排除されませんでした。
それは、「契約」を解いただけで、自由になっただけで、去りませんでした。

流れ星の降る中で、「孤独な」少年ハウルは、
カルシファーをのみこみました。自分の心臓と引き換えに、契約しました。

それによって、魔力を維持していると思っていました。

でも、契約が無効になっても、大丈夫でした。
魔法はとけても、ぶじでした。


これらの一連のすべての光景が、私たちの内面的リアリティーの「象徴」に、
感じられるのは私だけでしょうか?

私たちの持つさまざまな要素の「統合」が見えたのは、私だけでしょうか?


☆☆☆

時間は幻想です…。

各時代の歴史が、一直線上に続いてある、と見えるのは、
きっと、私たちがそう思っているからです。

そう見ることで、そこから学ぼう、と思っているからです。

本当はたぶん、各時代、各時代の「完成」があり、
私たちが、文明的なものも含めて、過去のいつかと比べて「進化」しているとは、
必ずしもいえないのでしょう。


私は、「アセンション論者」ではありません。

ただ、厳密に、「今」のことを思います。

この体験をやっている「今」、
どの人もが、全体の一部であると同時に個でもあり、
意図された「完成」に向かっており…

その内容は、目に見える形や、頭脳の提示する基準でははかれない。
スピリチュアルな、精神世界的な基準ですら、形式は、あてにならない。


ただ今の「輝き」を、目にしたとき、言葉も知的概念も意味がない。


「神」を外に想像し、色々な衣装(観念)を着せるのは、人間の習性です。
「リアリティーの真相」を見ると、ちっぽけな「判断」は、崩れていってしまいます。


今回はなんだか散文調でした(笑)
ここにある、エッセンスが伝わることを願います~。


それでは、よい週末を☆また次回!♪(*^ ・^)ノ⌒☆


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