BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

合意の現実と死

さて、前記事のつづきは、「死」の話題にふれていくので、
ここで先に、あるテーマを挿入しようと思います。

「合意の現実と死」です。

今日のスカイプ・セッションを受けてくださった方が、
「自殺」についてのご質問をくださいました。
(掲載の許可はとってます。どうもありがとうございます。)

「現実は自分が創っているということなら、
身近な人が自殺したという現実も、自分が起こしているのですか?」

と。これについて、実際のセッションでのご回答とはまた別に、
ここでもまとめておく必要があると感じたので、書きます。


本当は、「死」についての説明を先にしないと、
人によってはへヴィーな話題になってしまうかもしれません。

でも、人間の価値観から自由になってみるつもりで、
心をオープンにして、もし共鳴するようであれば受け入れてください。


☆☆☆

私たち個のレベルでの意志決定というのがあります。
それが自由意志です。

それによって、本来の流れとの間で、調和、不調和というのがあります。
ひとりひとりが、調和も、不調和も作り出すことができますが、
それらは独立したものではなく、エネルギーレベルで影響を与えあい、
集合意識を作っています。

個のレベルで見ると、他の人の選択、外の世界の出来事は、
自分にはどうにもできないことに見えますが、

より高いレベルでは、他の人のその選択にも、自分が合意しています。

自分が許可していない現実は、あらわれません。
「私」が、この人生の作者だからです。

つまり、いつでも目の前にあるのは、合意している現実だということです。
言い換えれば、それは偶然や事故ではなく、自分がそこに参加することを、
選択しているということです。


これをどうか、「罪」や「善悪の価値観」と結び付けないでください。
その現実を体験する背後の理由は、たくさんあるのです。

ですので、人は、ある意味では、起こる出来事を前もって知っています。
自分の選択に気づいて変えられることもあれば、変えられないこともあるでしょう。

有名な祈り、
「変えられないものを受け入れ、変えられるものを変える勇気を」
という言葉がありますよね。


ただ、知っていただきたいのは、
「自殺する、決められた運命にあった人」というのは、いないのだということです。

そしてまた、人の「死」というのは、
すべて自分で決めた死であるということも事実です。

その点においては、「自殺」が特別なわけではありません。
そこに「罪」だとか、「裁き」は介入しません。


また、ひとことで「自殺」といっても、その背後にある事情はさまざまです。
自殺を決意した人が、どんな状態にあったかも、それぞれ違うのです。

まわりの方が、それに対して「罪悪感」を感じる必要はありません。
自分がそれを、「積極的に引き起こしたのだ」と考える必要など、
もちろんありません。

それは、最終的に、その人自身の選択でした。

しかし、大きな視点から見ると、「私」の現実でそれが起こったということは、
そこから読みとれるメッセージ…先へ活かせる、ギフトがあるわけです。

あなたはそれを体験しました。

それは、「失敗」や「事故」や、「無慈悲」ではないのです。

どんな出来事の中からも、あなたは、学びます。
その中に見えたギフトを人生に生かすことが、大切です。


☆☆☆

これは「人間の思う罪」や、「死に対する考え」を抜きにしないと、
誤解されてしまうお話です。

自然災害についての考えもそうです。

地震津波で死んだ人が、皆それを選んでいたなんて、ふざけるな!

と、怒る人もいるかもしれません。


でも、考えてみてください。
それを「かわいそうな不運」と思いたいのでしょうか。

それとも、スピリットとしての「選択」の結果、
そういう「別な世界へのシフト(死)」の方法を選んだと信じますか。

この概念が人にとって酷だとすれば、
それは、「死」というものが、人にとって「悪いもの」だと考えられているからです。


これから私は「死」についての記事を追って書くつもりですが、
こういうことを書いている私も、残念ながら「死別」の悲しみはあります。
いまだに、それを怖れている部分もあります。

それでも、この現実をお伝えしたい、それが真実だと思うからです。


☆☆☆

ある印象的な夢がありました…

はじめてバリ島に行った直後のことですので、5年くらい前のことでしょうか。

夢の中で、バリ島の「オゴオゴ」などに出てくる、日本の鬼にも似ている、
灰色の大きな精霊が出てきました。

オゴオゴを知らない方は、まあ、日本の鬼そっくりな姿だと思ってください(笑)


私は、目の前に並んで座っている2人の人間がいることに気が付きました。

ひとりは若い男性で、頭を抱えてうずくまっています。
隣りには、まだ幼いかわいい女の子が、ゲーム機か何かを持って、
楽しそうに遊んでいます。

夢の中ですので、何も説明されなくても状況がわかりました。

この2人はすでに亡くなっています。
そして、男性は、この幼い女の子を連れ去って殺したのでした。

女の子は、恨みも何も持たず、まさにイノセントという感じで、
その自分を殺した男性の隣りに腰かけて、遊んでいます。

でも、男性の方は、自分のしたことを悔いて、
罪の意識にうちひしがれているのです。


灰色の精霊が私に向かってつぶやきました、

「裁けたらいいだろう…とくに、このような、いたいけなケースでは…」

と、つぶやくが早いか、その大きな足で、2人をめりっと踏みつぶしたのです。

私は息をのみました。
2人の姿は、消されました。


そして意味を理解したのです。

ああ、人間の思う裁きというのは、本当に存在しないのだ…と。


殺された女の子のスピリットは、その状況で亡くなることに合意しました。
それが運命づけられていたとは、私は思いません。
でも、魂からみた何らかの事情で、そこに合意して出来事に参加したのです。

男性の方は、きっと、その事件を起こさない選択がありました。
でも、起こしてしまいました。それも本人の選択でした。

そのような事件を起こすために、「決められた運命」など、ありません。


私はその2人の、意識の状態を見たのではないかと思います。
それぞれの、死後の感じ方を見たのだと思います。

けれども、そこに、裁きはありませんでした。


☆☆☆

よく、自殺者の死後について、恐ろしいことを言う人がいますが、
皆さんは、たくさんのサポートがあるということを思い出してください。

本人の意識状態も様々なのですし、
生きているときの私たちにサポートがあるのと同様、サポートがあります。

もし、身近に、そのような形で亡くなられた方がいた場合、
悔やんだり、あるいは批判の気持ちを持つよりも(自分に対してを含みます)、

その人が生きていてくれた日々のこと、
それから、そこに至るまでに残してくれたメッセージのことを思って、

どうぞ、あなたの人生を輝かせることで、その方への弔いとしてください。


あなたの心を通じて、その方の存在の輝きと一体になり、
ともにした愛しい記憶を抱擁してください。


表現するのがむずかしい話題でしたが、伝わることを願っています。


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