この話は、◆「旅立つ君へ(死のこと)3」から続いています。
ある者の死の瞬間に立ち会うことになった人も、
立ち会わなかった人も、
それは偶然ではない。
そこには合意がある…それぞれの、愛に基づいた選択がある。
☆☆☆
すべての状況は完璧だということにひとたび目を向けると、
癒しが訪れます。
思えば私は、そのように、
見える世界と見えない世界のメッセンジャーでありたいと望んでいながら、
夢の中で、それを「要請」されていながら、
その役割をできる限り否定、無視してきました。
認めるのが怖かったからです。
シリーズで書いていた、
うさぎのぴのが亡くなったときのことをお話しします。
そのとき、私は友人と、スカイプで通話していました。
すると、父が私の部屋へ入ってきて、
「もうだめだと思うよ」
と、声をかけました。
ぴののことでした。
私は急いで友人にいとまを告げ、
走って下へ降りていきました。
その数日前からもう、ぴのは、起き上がって座っているのがやっとで、
せつないことに、人が部屋からいなくなると横になるのですが、
誰かが部屋にいると、がんばって体を起こして、
普段通りの姿で振る舞おうとするのです。
いつも通り、なでてもらおうと、ふらふらになりながら、
ケージの隙間に鼻を押し付けてきたり…。
だけどもう、その日は、完全に体を横にして、ふせっていました。
動くことができないようでした。
すでにもう死んでいるような状態でした。
☆☆☆
私がそっと触ろうとすると、急にぴのは動き出しました。
あたかも「仮死状態」で待機していたのを、解いたようでした。
私が来るのを待っていたみたいだったのです。
(今でも私は、それは本当にそうだったのだろう、と心から思います。)
そして、「死に始めました」。
つまり、死に向かう、けいれんに近い動きをし始めたのです。
家には、父と私しかいませんでした。
私は途中から、そっと、ぴのを抱き上げました。
そして胸に抱えました。
ぴのは、静かでありながら苦しそうな動きを繰り返していましたが、
そのまま決定的なことは起こらなかったのです。
しばらく時間が経過すると、…なんと!!
父が不意に、
「ちょっと散歩に行ってくるから」
と、言い出しました。
夕方でした。
特に用事はありそうになく、ふだんからマイペースな父ですが、
このときほど私はびっくりしたことはありません。
えっ、散歩!?ぴの死にかけてるよ?いいの?
と思いましたが、父は野球帽をかぶってすたすたと出ていきました。
家のドアが閉まり、ぴのと私だけになった…そのときです!!
ぴのが、突然、どこにそんな体力があったのだろう?と思うほど、
(そしてまた、父が出て行ったことを確実にわかったのだ、
と言わざるをえないタイミングで、)
全身の力をこめて、横になっている姿勢のまま、
首だけを垂直に曲げて私の方へ顔を起こし、
真正面から私を見ると、とても大きな声で叫んだのです!
はっきりと、わざわざ顔と顔が向き合う姿勢を取って、何かを伝えている!!
私は度肝を抜かれました。
(うさぎは鳴き声のように聞こえる色々な音を出しますが、
普段はそんなに大きい音ではありません。
亡くなる間際に、体から悲鳴のような声が出ることはよくあるようですが、
この頃の私にそういう知識はありませんでした。)
その目と、表情を見ながら、胸に飛び込んでくる感覚に、私ははっとしました。
そして言いました、精一杯の力と心をこめて。
悲しさを精一杯抑えて。
あふれる涙は止められず、鼻水をたらたら流したまま、祈るように。
「大丈夫!こわくないよ!
ぴのちゃん、もう行っていいよ!!大丈夫だから!」
私の恐怖が…別れたくないという強い気持ちが、
ぴのに影響を与え、この移行をとどめているとわかったからです。
そう話したとたん、ぴのは首の向きを戻し、
「ひー!」という悲鳴のような声をあげて、体から出ようともがき始めました。
そのとき父も帰ってきました。
父は、一変したぴのの様子に驚き、それを活気づいたと勘違いしたのか、
「あれ!?動いてるじゃない!持ち直したんじゃない?!」
などと、トンチンカンなことを叫びました(笑)
(そう思いたかった父の気持ちを愛しく思います。)
けれどもぴのは、そうして力いっぱいもがき始めると、
大きく口で息をしながら、あっという間に肉体を後にしました。
亡くなったのです。
☆☆☆
あの瞬間…ぴのが私の目を見て、
肉体の最後の力をふりしぼって、真正面から私の顔を見て、
伝えてくれたこと、
そのことを何度も私は思い出しました。
自分が情けなくて泣けてきました。
ショックでした。
私は、精神世界の仕事をしておきながら、
どこかで、「嘘」だと思っていたのです。
自分がぴのと心で会話していることも、
見えない世界のことも、みな。
ぴのが亡くなる瞬間に、全身全霊をもって、
ああして伝えてくれたことで、はっと目が覚めたのです。
こんなにも現実だった。
私はずっと、こうして、思い込みなんかじゃなく、
ぴのとつながっていたのに。知ってたのに。
ぴのは家に来た小さな頃からずっと、
一緒にいるときも、いないときも、私とつながっていた。
どうして?
どこかで私は、「それは私の勝手な想像だ」なんて思って、
ぴのと本当にやりとりしていたこと、
ぴのにも心があり、豊かな思いを伝えてきてくれていたことを、否定したのだ。
五感が捉え、頭脳が捉える「うさぎという動物の、肉体のぴの」ではなく、
私は、魂としての、ぴのという存在を感じていたのに。
そことこそ、つながっていたのに。
それを否定して、否定して、死の瞬間に目を覚まさせてもらった。
その最後のエネルギーは、「伝えよう」という気持ちは、
とても美しく、強く、
原子爆弾なんかをはるかに凌駕するほど、大きな力でした。
死に向かう日々の、どのときも、そうでした。
思わず頭が下がるほどの、尊い愛を見せてもらいました。
小さな体の「うさぎ」としてあらわれる、ひとつの魂が、
これだけの力を持つのです。
そこにある愛の大きさは、測れるものではありませんでした。
私は今まで何をやっていたんだろう?
ぬるま湯のように、半端に、あるときは信じ、あるときは信じない、
そんな風に精神世界とつきあってきた。
こんなにも目の前に、すべてがあったのに。
☆☆☆
私は、こうして死の瞬間に立ち会うことで、
最後のギフトとして、ぴのからそれを教わったのです。
私がそこにいたこと、ぴのが旅立ちを待っていてくれたこと、
私とぴのだけの時間があったこと、すべて偶然ではないのです。
それは、私の今後の人生に不可欠で、起こったことです。
その夜は、家族が集まってぴのを悼みました。
みんなとても悲しかったけど、暗くなってもしょうがない!という、
みんなで共有したからこそ生まれる明るさがあって、
妹のだんなさんも駆けつけてくれ、食卓を囲んで、
ぴのがどんなにすばらしいうさぎだったか、
どんなに家族の天使だったかをたたえ、
それは、いい夜でした。
(妹のだんなさんは、痛々しくて見ていられなかったよ、
と、後に語っていたそうですが 笑)
☆☆☆
それからしばらくして、私は気がつきました。
当時は、今ほど大天使のエネルギーに気づいていなかったのですが、
その頃、常に、自分のまわりにやさしい光が見えることに。
バニラクリーム色や、淡い玉子色…と表現できる光。
大天使だ、ということだけひらめいたので、
資料も調べながらそのエネルギーを精査していくと、
それは大天使アズラエルでした。
大天使アズラエルは、「死の天使」です。
他に「カウンセラーを助ける」という意味もあると言われています。
それから十分な時間が経過してから、私は、やめていたブログを、
新しく始めることにしました。
そのときにも、アズラエルはそばにいました、
だから私は、このブログの根底を為すであろう、
背後にある隠れテーマを知っていました、
それは夢の中でもずっと教えられていたこと、
それはこちらの現実とあちらの現実に橋をかけること、
その中には、死後の世界とこちらの世界の「見かけ上の溝」を、
メッセージを伝えることで、つなぐことも含まれます。
それが私の役割です。
少なくとも今認識しているのはそうです。
私はずっと、「あちら(夢)の現実での自分になること」が夢でした。
その私は、魔法使いみたいで、憧れでした。
今、実際にそう生きることで、
この地球で、皆さんのお役にたてることを願っています。
これで「死のこと」シリーズとしては、ひとまず完結します。
(補足:その後書いた関連記事に、◆「愛うさぎ・ぴののこと(『死のこと』シリーズ、おまけ)」と、
beats-and-love.hatenablog.com◆「いつもそこにあるギフト」があります。)
これを書くことができたので、今後は、「死後について」も、
適当なタイミングで、私の書けることを記事でふれていきたいと思います。
ご読了、どうもありがとうございました!
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