BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

自作自演

この「霊的な話」カテゴリの中で書いたことについて、
(ゴム人間や人の想念の話、バリから帰国したときの出来事など)
読み方によっては、誤解(というか怖れ)を与えてしまう可能性もあるので、

「自分のキャパシティ(4話まであります)」

beats-and-love.hatenablog.com

「帰ってもらえる?」

beats-and-love.hatenablog.com

それらの出来事に共通して感じ取った「私の見解と、個人的な背景」について、
ここに書いてみたいと思います。

☆☆☆

「ゴム人間襲来」現象があった頃、私は今よりも、
自分に対する誤った観念をたくさん持っていました。

こういう言い方もできます…
自分に対する「許可」が低かったのです。


それは、自分の価値うんぬん、というだけでなく、
この世界をどう見るか、
人をどう見るか、ということに直接関わってきます。


私は、人をいつでも助けなければならない(助けたい)、
役立たねばならない(役立ちたい)、と、そう信じていました。


逆に言えば、それができないと無力感を感じることになりますし、
それができない自分には、存在価値はないことになります。

明らかに、私は人のために存在していると信じていました。

だから、「自分勝手な自分」(少なくとも自分がそう見なすもの)なんて、
許可できませんでした。ゆるせませんでした。

そのような自分は、この世に存在する価値がないのです。

迷惑をかけるくらいなら、消えた方がいいのです。


わかりますか?

この状態では、いちばん耳を傾けるべき、知るべき「自分」が、
抜け落ちていますよね。

外を見て、内をそれに合わせようとしていたのです。


だから、人の言うことや感じていること、外のことばかりに気を配り、
自分の感情や、心で本当に思っていることは、わからなくなりがちで、
人の状態、人の人生まで抱え込んでは、それを背負い込んでいました。


これは本人は一見「奉仕」のように勘違いできますが、とんでもない!
(たびたび引き合いに出される 笑 「上級の優しさ」参照)

beats-and-love.hatenablog.com

自分の存在価値がかかっているので、それが動機となり、
他に仕方がない(選択肢がない)のだと信じている以上、
被害者意識や無力感だって当然感じていたのです。


それを「現象化して」体験させてくれていたのが、
あの「ゴム人間現象」や、想念をいっぱいくっつける「子泣きじじい現象」、
だったと思うのです。

私の内は、あのような形で協力してくれるキャストを集め、
私に必要なメッセージを届けて知らせたのです。

「あなたは、自分の人生を侵害していますよ。
自分のパワーを忘れていますよ。」



そしてまた、そんな私は、感情の扱いも下手でした。

とくに怒りについては、「それが人を傷つける」と信じていたので、
それが湧いた時点でなんとか消そうとしていたのでした。

無自覚にそれを行っていたために、自分が怒っていることにすら気づかない。
ずいぶん経って、あとで自分の感情や、そのときの思いに気づくのです。


当時の自分を振り返れば、たぶん、こういうことが起こっていたのでしょう。
怒りを感じた自分を速攻で裁き、「いけない!」と、抑圧するのです。

思えば、「天使の目線、天使の目線…」と、よく心でとなえていました。
実際、天使になれたらいいのに…といつも思い、努力していました。

(たびたび書いていますが、どんな思いも感情も、
自分の中から湧いてくるとはいえ、自分とイコールではありません。
私たちは、その「ベース(存在)」なのです。表現は表現。)


だから、目指す自分になろうとするがゆえに、
出てきてしまった思いや感情を、ためて、ためて、我慢して、我慢して、
限界になったときに崩れるように噴出してしまう…。

なので、「怒り」と「自分の希望」をそのまま表明したとき、
「ゴム人間現象」は、ほとんど終結をむかえた、というのが、
興味深いと思っています。

それから一度、似た現象があったと書きましたが、
そのときはもう、「怒る」必要がありませんでしたしね。

☆☆☆

私は、自分のわからないこと、
腑に落ちていないことについて解説はできないので、
自分が「ゴム人間」と呼んでいるものそのものが何かについては、
やはり、何とも言えません。

ただ、それは私に役立つキャストでした。
私の「気づき」に一役買ってくれました。

あのとき、愛の波動や大天使ミカエルが効果がなかったというのも、
体験劇場のすばらしい仕組みを彷彿とさせます。


なぜなら、私が自分で気づきたかったのは、

「自分の心をふみにじっているのは自分。
湧いてくる素直な思いや、感情を怖れないこと。」

これだったのですから。

あそこで、ミカエルがさっと現れて助けてくれたり、
なんとか意識を切り替えて起こす「愛の波動」がすべて解決して、
「やっぱり無理してでも愛に集中せねば…」
という観念を私が強化したならば、

私はその根底にある、同じ観念を握りしめつづけます。
私の中で「未消化」になっていた一部が、
またしても置き去りになってしまいます。

そして偽りの、「いつでも百%の愛にむかってがんばるぞ仮面」が、
保持され続けてしまうのです。


愛とはそういうものではありませんでした。

☆☆☆

そして加えていうならば、
私は、見えない世界、心の世界に対する興味という、
自分で望んで選択しているテーマがあります。

はっきりとそこについて「知りたい」という欲求があります。

そのために、私にとって、
エネルギー世界で起こる様々なものを観察することは、楽しみであり、
そこを通じて人生の理解を深めていくことは、よろこびでもあるのです。

その意味でも、やはり望んだ「自作自演」と、言えるのでした。


実際のところ、そういう見方をするようになってからは、
もはや「怖い」と感じる現象は、ほとんどありません。

必ず、必ず、その核には、

「あっ」

と思う、自分へのメッセージ(ギフト)を見つけることができるのです。


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