BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

全体と個、現実の関係、JUST RIGHT

昨日はひさびさに、ジャーメインさん(聖ジャーメイン)のエネルギーを感じました。

状況はおなじみのシャワー中でした。
口述用のICレコーダーがあれば…と、またしても思ったよ(笑)

1日経って、もう詳細を忘れているんですが、
何に関連したどんな話だったかなど、ベースを覚えているので、
これを書きながら同じところに到達するのではないかと思います(笑)

前回の記事「自分の中心から放射し、移行(創造)する」に関連して、

beats-and-love.hatenablog.com

私が大事だと思うポイントを書きます。

まずはおさらいです。

☆☆☆

世界は、ぜんぶひと続きで切れ目はありません。
(これは机だ、これはパソコンだ、これは私の体で、あれは壁だ…
という風には、分かれていない。)

私たちは、この世界で、自分の反射(反映)データを体験します。

何に反射するか。

反射させる「スクリーン」それ自体が自分の延長、実在の素材といってもいいし、

(この点で、「ない」とか、「幻想」という表現を使うときに、
それに対して「在る」のは一体何なのかを注意して考えてくださいね。
私たちが体験しているのは、たとえれば、特殊レンズを通して知覚している、
その「表れ」なのです。)

結局ひと続きのものなので、
(私はよく、中心から円盤状にひろがる、大きなアメーバのような自分の体のへりが、
裏返って自分と向かい合っているようなイメージが浮かぶのですが)

私が、私に向かい合っているといってもいいと思います。
自分を鏡に映して体験するような感じです。

だからイメージするならば、あなたが見ている世界はスクリーンのようなもの。
あなたが送りだしたものが、反射してかえってくる。

こういう言い方もできます。

この世界に、人はいません。ものはありません。
これは誤解をまねきやすいので、言い方を変えると、
見ている世界は、別の視点から見ればリアルではありません、という意味です。

元データはあります。
(私はそれを、スクリーンにある網目のように想像します)
あなたという個が、AさんともBさんとも違い、
今のあなたであると体験できるのも、元データがあるからです。

つまりこうして体を持っていて、この世界の中に存在している、
個人の私という人間…という体験も、
この説明でいくと、元データ(前回の書き方では「種」)です。

データプログラムというたとえを使うと、
何か固定的にきっちり条件づけられているようですが、

それはいわば、すべての可能性を含んだ種子のようなものだと考えてください。
ホログラフィックに、膨大なポテンシャルを含んでいるのです。

それぞれの種子に、意図を「送り出し、反射させる」のはあなたです。

変な言い方ですが、あなたは、あなたの背後にある存在です。
この意味で、データの一部である「個人の自分」も、あなたという存在の反映です。

要するに、肉体を持っている個人と思っている自分の、
もっと奥にあるもの、もっと広い存在があなたです。


そして、他者にとってみれば、
やはりあなたも同じように「種子(元データ)」として存在し、
他者は、その人自身のエネルギーをあなたに送りだして、
反射させてかえってきたものを、「あなた」として体験しています。

ここで、くりかえしになりますが、
「他者」についても、中身のない幻影のようなものだと思うのは、間違いです。

源はみなひとつの、たくさんの分身がいるというように想像してください。

それぞれが鏡面のようなものであり、まわり全体を映し出すバブルのように、
自己に全体を含有しているのです。

源という「幹」から派生し育ったそれぞれの葉っぱたちが、
ひとり一個の宇宙を持っているイメージを描いてみてください。

あるいは、ぶどうの房を思い浮かべてもらうのもいいでしょう。
ぶどうには、まるい実がたくさんなっていても、全部つながっていて、
ひとつのぶどうですよね。

実の部分だけを見れば「たくさん」ということになりますが、
源はひとつです。

それをふまえた上で、
あなたの関わる人たちは、あなたバージョンの人たちで、
あなたの世界は、あなたバージョンの世界であるとわかれば、

(共通の「種子」、「元データ」はあるけれど、
あなたの体験する世界はあなたの反射なので、
それは監督の指示を待っている俳優のようなところもあるのです。)

あなたの送り出すヴァイブレーションがいかに重要かということに、
気づかれると思います。

☆☆☆

私の見解を完璧に言葉にできてるとは思いませんので、
ご自身で、内側からこの内容を確かめてください。

この世界で体験しているあなたという「体のある個人」も、
データ(種子)に、「存在であるあなた自身」が送り出すものの反映であるということに、
留意してください。

あなたは体のある個人の自己より、大きな存在です。
意識の注意を限定した自己に絞って、自分自身を催眠にかけているので、
それ以外は自分ではないと思えるだけです。

「個」は、あなたの体験の一部ですが、
あなたという「存在」の芸術家の、表現の形態でもあるのです。

さらにいえば、体験している個人的な現実まるごとが、あなたの表現なのです。

☆☆☆

前回の記事で書いた「自分の中心にある」ということは、中立であるということです。
何に対しても、批判を持っていないということです。
それは心の中を含めて、どんな様子の自分に対しても、です。

自分の「至らない、これではだめだ」と思って非難しているところ、
なんとか変えたい、と思っているところ、
「これはいけないことだ!」と抑圧していることに対しても、同様です。

全状態をそのまま中立に含んでいるとき
(無理に愛そうとか、「肯定」しようとか、修正しようとか、
あれやこれやの圧力、策略はいりません。
それは対立の力を生み出します。
心の中でも何かをよそおう必要はないのです。
本当にただそのままで受け入れるということです。)

あなたはゼロのポイントに立つことができます。

それはオープンな姿勢です。静止状態です。
さまざまなものを「アクティブ」にしません。

JUST RIGHT.

ただそれでいい。

ほんの一瞬、中立になるだけでもこわいと思ったら?
……あなたがDVDを見ていたら、停止ボタンを押すのに、葛藤しますか?
たぶん……そんなことはなく、ただ押しますよね。

中立な、静止状態。

そこが足場です。

そこからあなたは、「繰り返し再生」ではなく、
今のあなたが新しく放つヴァイブレーションに沿った現実へと、移ることができます。


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