こんにちは♪
前回に続きまして創造性をテーマにお送りします。
◆「アーティスツ・ウェイと、夢という癒しの媒体」
タイトルの「いい人やめます」のいい人とは、
あなたの中で「こうでなくては」と思っているいい人のことです。
実際に、それが他者から見た「いい人」かどうかはわからないものですよね。
その基準を採用しているのは自分だけかもしれないし。
それでも当人の中で、そのとき確かなのは、
自分自身の望みよりも、他者のために何かを優先しているという意識です。
実際の自分そのものではなく、
「こうであることがいい人だ」と思っている型に向かってがんばっています。
後回しになったり、却下されたアーティストチャイルドはぐずります。
「きいて、きいて!」
「あれをしようよ。」
「どうしてこういう時間をとらないの?」
☆☆☆
抑圧されたアーティスト・チャイルドの訴えが大きくなればなるほど、
外の状況もうまくいかなくなってきます。
なぜなら、自分の中のエネルギーの通りが悪くなるからです。
心の中に、うっぷんがたまっていくからです。
たとえば、それにともなう人からの称賛や、地位の安定、何らかの形の報酬など、
あたかも見かけ上の「等価交換」ができているかのように、
本人の意識が錯覚していれば、しばらくはごまかせるかもしれません。
でもそれは自分をだましているようなものです。
一時期のぬるま湯とひきかえに
失っているものはないかい
それはほんとうは失われない
あなたが目を向ければ
息を吹き込めばいいだけだ
☆☆☆
だいぶ自分のハートに従って生きることができてきたようだ
私は直感を、インスピレーションを大切にしている!
そう思っていても、根強く残っていることがある根っこ。
それが「いい人」のトラップです。
その「いい人」の基準はどこから生えてきたものか。
本当に自分はそれを好きなのか。
口やかましく「そうなれ!」と言うのは誰なのか。
きっかけは誰かの善意から教えられた何かだったかもしれない。
しかし、それはほんとうにあなた自身のものだろうか。
好きでないものを好きなふりをやめてみたらどうだろう。
あなたが「いい人」を降りるとき、
はだかで、
まな板の上の鯉のように全身さらけ出している気分になるかもしれませんが、
その怖れに身をさらす価値はあります。
一応書いておきますと、
思っていた「いい人」をやめても、
あなたの内から湧いてくる本当の思いやりや優しさは、なくなりはしないのです。
義務じゃなくてもそれはあります。
自分への強制(have to)をやめても、それは湧いてきます。
あなたは他者を思いやるし、世界を、人を、愛することもできます。
ただ、それは自然と湧いてくるものです。
むしろそれをせき止めているのが「こうであらねばという形」の方なのです。
☆☆☆
あなたの中の恐怖の声はこう言うかもしれない、
「素の自分を好きな人なんていない!
素の自分のままで、愛してなんてもらえない!」
(思い出して、世界は内にある。)
だからあなたは自分を装うの?
まだ何かになろうとがんばるの?
あなたが必死で声をあげて守ろうとしているあなたでさえ、
本当のあなたと言えるかい?
それは理屈や防御に固められた、
「こうあろうと思っている自分」じゃないのかい?
それを崩壊させられるのを、人は何よりも嫌う。
私の信じる私、でいたいのだ。
でも、ほんとうの素の自分は、信じる必要などない、というのが逆説的である。
また、人に信じさせる必要もない。
それは誰の力によって作られなくても、あなたの中に存在しているのだから。
ただ、自分自身の中でそこに重きを置いて、大切に育む必要はある。
あなたがすすんで、そこを見るのだ。
その結果は、子どもじみて好き放題でいるというあり方とも違う。
場合によってはここをはき違えてしまうこともあると言えるけれど、
そういうこともまた、経験しながら通る道の過程だろう。
子供じみた状態とは、たいていは、
「大人でなくてはと我慢を強いられてきた満たされていないチャイルド」
と同化してしまっているときである。
あなたのバランスは、調和は、あなた自身で実現することができるもので、
あなたが何もつけ加えない素の自分を本当に慈しむとき、
あなたの内にあるこの世界が
あなたにそのサインを見せ始めるだろう。
思い出して。
世界はまるごとあなたの内にある。
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