BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

アーティスツ・ウェイ8 神聖なる退屈

創造性をテーマにお送りしてきました私風のアーティスツ・ウェイ、
今回が最終回です。

これまでの記事はこちら (
      


☆☆☆

“神聖なる退屈”


退屈をおそれるな。

以前の記事で、埋めようとしない、という話をしましたね。
(第6話「見る」)


ぽっかりした状態。
退屈と認識する状態。

それをおそれるために、いつも通りの何かをする。
既存の、安心できる気晴らしをする。
ルーティーンの範囲内にいる。


人はサバイバル・モードにあるときには退屈できない。

もしかしたら、おなじみの争いや危機的状況など、
自分の「安全圏内」にあるピンチをつくり出すかもしれない。

あるいは、自分を「向上」させようと邁進するだろうか。


そうしてやれやれと、退屈しなくて済んだ、
一時的なエキサイトに「空回りの充実感」を味わっていないだろうか。

ところが…欠乏は強調され、退屈をおそれる気持ちはなくならず、
次なる何かに手を伸ばしたいのだが、そこから出られずにいる感覚が残る。


☆☆☆


退屈であるということは、
新しい何かが訪れる直前だということができます。

これはもう満ちたよ、別のものに変化するよというサインのように。


冬の間、枯れ枝のように見える木々が、
春にいきいきと芽吹くように…

みずみずしく、輝くばかりの若緑色を放つ、あの見事なやわらかい新芽は、
どこで準備されているのでしょうか。


不毛に見える状態の中でも、水面下の働きがあるのです。


「動き」がないように見えるときも、動いているのだと、

私に見えていると思っているものはすべてではないのだと、

胸の奥にある、ひとしずくのあたたかな“源泉”を感じてください。


☆☆☆

退屈はおしえてくれる。

それとともにいよう。

じっと耳をすましていれば、それは次なるものや別な何かへの案内に変わる。

創造性が、芽吹く。


今あるものが、変化する前触れを(第3話「変化」)
おそれるあまり、避けたりしなければ、
あなたは、湧いてくるものをキャッチすることができる。


☆☆☆

~エピローグ~

この連載をつづける間に、私は「行動」について考える機会が増えており、
今朝も、適当に開いた本の中にこんな言葉を見つけました。

かつて、こちらの記事(「ビヨンド・エリア」)でご紹介したことのある本
『セス・ブック 個人的現実の本質』の474ページの中から一部抜粋します。


『……問題を解消するためには自分が孤独をつくっていると気づき、
思考行動を一緒に変えようと決意しなければなりません。

行動とは身体的な動きをともなう思考であり、外に表された思考です。』


今の私にはようやく納得を伴いながら、この言葉がとても響くのです。


このことを見える世界と見えない世界、と言い換えてもいいのですが、
それらは両輪で、どちらかをないがしろにできるものではなく、

この世界におけるあらわれ――「行動」もそろっていなければ、
“作品”は片手落ちになってしまうということ。

一致、統合、バランスの話とも言えます。


と同時に、私がここでお伝えしたい「行動」の意味は、
「何かしなくちゃ(have to)」ということではありません。

「今」しかないから、「今」を逃したらできなくなるから、
急いでやらなくちゃ…

そう自分を焚きつけ「奮い起こす」とき、
エンジンを空ぶかしさせるように、余計な負荷をかけてしまう気がします。

それはたとえれば、BGMのボリュウムが大きすぎて、
心の奥からささやく小さな声を掻き消してしまう感じです。


今、今、今…
いつも timeless な「今」がある。


そんなゆったりしたくつろぎのもとに、
「心の中の指揮者」と一緒に音楽を奏でる。

ときには休符を、ときには流れるようなメロディを。

次の音が鳴らないのではないか、休符が長すぎないか、
リズムが遅すぎるのでは、早すぎるのでは、
ミスするのではないかなんて心配しないで。

あなたの創造性が描く模様…美しいダンスを、慈しんでください。


ご読了、感謝です!


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