今回も夢のお話。
今朝はオーソドックスな、夢らしい夢でした。
ストーリーに心当たりはないのですが、
登場人物が自分の旧知の人たちだったり、自分の家族だったりと、
あぁ、何らかの形で自分の世界であることがわかりやすいなぁ、という形。
でもやっぱり夢だから、こちらの現実ルールには縛られていなくて、
さりげなくぶっとんだ展開なんですけどね。
夢の中の人物のせりふや表情などがいちいち、今の自分の心に響くのです。
そして、現れた情景や場面の展開から伝わってくる事柄も多いのですね。
つくづく、夢は源から差し伸べられる手であり、
自分同士のインターセクション、
見えないところを解析してくれるガイドみたいなものだなと実感します。
☆☆☆
今回の夢では、ストーリーが展開するうち、とあるインド人男性が登場しました。
(私の夢にはたくさんの国の人々が登場します。
国というか、ときには多生物、多宇宙の規模で。 )
その人は若い男性でした。
登場人物である、外見は私の旧知の人に見える女性が、
旅行で彼の国を訪れたときに結婚した相手という設定で、
私はこちら(起きている間)の現実で、
そのようなインド人男性の顔を見たことは一度もないのに、
夢の中の私は、その男性の顔を見ると心がぱぁっと広がって、とても安心しました。
(彼はたしかにインド人なのですが、特徴的なインド人顔とは言い難い顔です。)
夢のストーリーでは、男性は、
「ろくな人でないのかもしれない」と(結婚した女性は旅行中から騙されているのかもと)、
結婚相手の女性の周囲から、噂を立てられているような立場にあったのですが、
本人をひと目みるなり、皆のその誤解はたちどころに解けたのです。
☆☆☆
さて、夢ではときどきこのように、
その存在に会うだけで自分が回復するような、無条件に心の支えになるような人物
が登場します。
それが男性のときも、女性のときもあるでしょう。
老人、若者、少年少女、ときには赤ちゃんだったり、年齢もさまざまでしょう。
同時にあるたくさんの人生という目で見れば、
自分の繋がっている他の人生の人物ということもあるでしょうが、
私は基本的にこれは、アニマとアニムスの考えが的を射ていると思っています。
それも、男性にとっては女性、女性にとっては男性と、異性に限定するものではなくて、
私たちは誰でも、自分自身の内に女性と男性の両方を含む存在だということです。
今の「人間としてのあらわれ」が一方の性別だからといって、
内側までそれオンリーである、ということはないのです。
これを、「内なる女神、男神」のように体験する人もいるかもしれません。
☆☆☆
私は、ソウルメイト(ロマンチックな意味での)という概念も、本来は、
内なる男性・女性という、自身の中に存在するアニムスとアニマについての記憶では、
と感じています。
求める異性(同性)、あるいは夢に出てくる癒しの源泉となるような象徴的な異性は、
現在の自分が奥底では知っている、源にある自分の性質のあらわれなのです。
すると、それ(その存在を求める衝動)は、外に探すためにではなく、
(感覚としてはまるで外に探しているように思えるでしょうけれども)
自分の内で起こっている動きなのだ、とわかってきます。
そうした「対象」は、性別のある存在として必ずしも感じなくてもよく、
夢では動植物だったり、あるいは肉体という形態をもたない存在であっても、
そのときどきに必要な癒しやバランスの源泉となってくれることが多々あります。
ただ、人間としての今の経験で、自分が一方の性別をあらわしていると、
アニマとアニムスの要素は度々夢に出現しては色々なことを示し、
あなたの男性性・女性性のバランスを支えてくれているのです。
(人によってはそれを、内なる母や父の存在として体験するかもしれません。)
異性としての「別な自己」に出会い、その要素を体験することは、
深い、深い癒しであり、
(やっぱり一方だけの性別になり切って、集中するのって疲れちゃうからね!笑)
ああ、自分の中にこういう側面があったのだと、力強く思い出させてくれます。
夢を通して現れる、男性と女性の存在……それに合わせて、
ご自身の中にあるアニマとアニムスを意識してみると、面白い発見があるでしょう!
それでは、また次回☆
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