BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

わかっていないからできること

昨夜からぜひこのテーマで書こう…と思っていた他の内容があるのですが、
どうも先にこれをアウトプットしてからでないと書けない感じになりました。

もともとの記事は、明日にでも書けるのではないかと思います。
内容が今日の記事と関連しているようです。


☆☆☆

この世界に焦点をあわせ、私たちが個として生きているとき、
自覚してない、見えてない、わからないことがたくさんあります。

すべて知っていたら
自覚していたら
見えていたら…

そんなことは絶対にしないだろう、ということもあるでしょう。


わかっていないがゆえに、
気づいていないがゆえに、できることがあるのです。

それだって、存在の深いところでは、気づいているものなのですが。


見えていないということは、
狭窄した視野の中で、
どこかで、本人がその正当性を信じてしまうということです。

自分にとってはそれが最善であると、
それしかないと、信じてしまっている部分がある。

いかにそれが、端からみて歪んでいても、です。


この世界で人と関わるということは、
多かれ少なかれ、誰もが手さぐりの中ベストを尽くしているということ。

全部見えている人はいないのだから。

自分もそうであるし、

そのことを棚にあげて、罪を糾弾したり、
人のことを修正しようとしても、意味がないのです。


いつもできることは、
外がどうであれ、自分自身を確かめ、
自身の中心、根源からずれているように感じたら、
静かに自分自身の在り方を整えることと、

それぞれが同じ源につながっていて、
ひとりひとりに見えるどんな人にも、叡知が宿っており、

その部分が彼/彼女の面倒をみているということを信頼することです。


そのとき、それが何にせよ、
あらわれているものから「ただ目を逸らす」というのは、
私は少し違うかなと感じています。

現状を否定する、ないことにするというのとは違う…という意味で。


相手の魂、根源的なところに焦点を合わせるのですが、
現状のその人が、いないというのではない。

ともにありながら、一緒にここにもいながら、
足場はあちら(根源)にあるという状態でしょうか…。


説明がむずかしいのですが、
うわべだけのポジティヴ・シンキングのようなことではなくて、

(→たとえば「スピリットは完璧です」という言い方ひとつにしても、
それはそうなのですが、
人としての現状を否定して、理想を投影するようなことになっては、
これまた相手の重荷になりますよね。)

自分自身が巻き込まれずに、しかし現状を否定せずに、
しっかり見ているとき、
全容とはいわないまでも、感覚的にわかるはずなのです。

そこに何があるか。

それは知的な理解ではなく、ただわかる、感じるとか、
「ふれる」という感じかもしれません。

そのとき自動的にあらわれるのが、
きっと、本当の知恵なのではないでしょうか。


でも、

自分の方も同じレベル、
同じカメラワークの位置から眺めてしまっているときには、
それが見えません。

また、差別的になって、自分だけが超越していると信じてしまっていたら、
それでもやはり、見えなくなることでしょう。


…今日はこんなお話でした。(^-^)ノ


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