BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

意識のあり方と夢のパターンの変化

前々回につづきまして、夢の話です。

前々回はこちら「繰り返し見る夢の新展開、内なる自分と手を結ぶこと」

beats-and-love.hatenablog.com

上の記事の中で、パターンを打破する、夢の中の新しい展開について、書きました。

驚いたことに今度は、私の今朝の夢で、
やはり繰り返し見ていた別の夢のパターンにも、新展開があらわれたのです!

☆☆☆

ときどき、でも長期にわたって、たびたび見ていたその夢の内容とは…

私が夢の中では高校生か、大学生のままである。
(↑このへんの境界が、夢らしく曖昧に変化するのです。)

「卒業できるのかな。まずいなぁ…」と、内心不安に思っている。

そして、よくわからなくなる。

あれ?私、高校は卒業したんだっけ?
それとも、まだで、これから大学受験するんだっけ?

…大学、受験したくないなぁ。
今からがんばってもきっと無理、間に合わないよ。

(ここで、それでも具体的に学習計画をイメージしてみたりする。
なんとか間に合うかどうか。)

そもそも、高校だって出席日数とか単位とか、足りてるのかな…
卒業できるのかな?

それに私……本当は大学に行きたいかな?
何か、他の道へ進むことはできないだろうか?
それがあれば、大学を受験しないってきっぱり言えるかもしれない。

そうだ、自分で決めて言ってみよう、
私は大学には行きたくない。大学を受験しないで他のことをするって。


そういうことを真剣に考え、悩んでいたりする夢で、
この、「卒業できるか否か」とか、「受験はどうするのか」とかが、
重くてすごいせっぱつまってるんです(笑)

ちなみにこうした夢の中での状況や感情は、過去の私そのものではありません。
実際の過去の私は、大学は「受験するものだ」と思っていましたし、
高校の出席日数だとか卒業への不安といったものは、皆無でした。

でも、夢の中ではこうした「迷い」が登場するのです。

起きてからもしばらくその感覚を引きずっていて、
こちらの現実 に焦点がきちんと合ってからはじめて、

ああ~
私、大学に入って、中退してるじゃん。
ぜんぶ、もう終わってるんだ……今は大人で、自由なんだ

と、ひどく安心するのです!溜息


この夢をみる私の背景として、大学中退の話など綴った記事もあります。
「絶望世代がもの言ふ!」

beats-and-love.hatenablog.com

ただし、上の記事に書いたような内容が、
直接、この夢の原因になっているのとは、ちょっと違うんですよね~。


つまり、私のような特定の経験をした人でなくとも、

たとえば、テストや試験の夢なんていうのはけっこう見るのではないでしょうか…。


学生だったのなんて、もう何十年も昔のことなのに!
と、思う方もいるかもしれません。

でも、思い出してください。

夢は、そういう状況設定シーンまるごとを、
「映画作品」や「象徴」のように使って、私たちに何か伝えてくれてるんです。


つまり私の場合でいうと、
その当時リアルに思っていたことと、夢の中の自分が考えていることとには、
ズレがあるし、
実際の大学中退という行為そのものに悔いが残っているということは無いけれど、

では、これは何を語りかけているかというと、
前々回のトイレの夢と似ているのです。


夢の中の「受験」も、「大学」も、「卒業」も、概念。

私の中にストックされている概念を、“絵文字”や“記号”のように使って、
それによって、語りかけている。

夢が教えてくれていることの一例を示しますと、

私は、私の乗り越えたい課題
(「課題」って言わなくてもいいです。自分で、やってみたいことですね。)を、

夢の私が思っている通り、「このままだとできないな。なんとかしたいな」って、
葛藤したり、迷ったりしているっていうことです。


みなさんも夢を観察するときは、
夢の奥にある「質」、「感じていること」に注目してみてくださいね。

☆☆☆

それが今朝、どう変化していたかというと。

今度は、夢の中の私は、すでに大学にいる学生でした。

実際の過去の私は、実家から大学に通っていたので、それが片道2時間近く。
授業が1限と5限なんていう日もあり、すごく時間をもてあましてしまうし、
もう少し大学に近いところでひとり暮らししたいな…と、切に願っていたのですが。

この夢の中では、私は、

今(大人の私)の生活のままで、
住んでいる場所は大学のすぐ近く、

という設定になっていました。


そしてキャンパスを歩いています。

すると、驚いたことに、高校時代親しかった友人達に出会います。

(理系の者もいるし、みんな進んだ大学はそれぞれ違うんだけど、
夢の中ではそれをわかっているうえで、
同じ敷地内にいるという設定も自然に両立できている。)


その中の1人の家が、大学の敷地内にあるアパートで、
(私の住んでいる所とすごく近所だったんだなぁ)と、びっくりしながら、
みんなでその友人の家にあがります。

このとき、その部屋の部屋番号が、夢の中の私の住んでいる部屋番号と、
まったく同じであるという一致もありました。
(ぞろ目の3ケタの数字です。
これも、受け手にとってわかる特定の意味がある場合、メッセージになる。)

そして、みんなで膝をつき合わせて、楽しくおしゃべりします。

みんなの顔を見回しながら、
ああ、こんなに近くに友人達がいたんだ。
心強いなぁ。これから何があっても平気だ…

というようなことを、私は感じています。バラ

☆☆☆

この夢の展開はなかなか興味深く、
この間の夢に続き、自分の内面の変化をフィードバックしてくれてる様子です。

さて、日々の私の意識の中で、その変化にあたるのは…?と眺めてみたときに、
近頃の自分の心的態度で、めぼしい点をあげると。

誰か……外の人や物事が、自分の人生を完璧にする
と、信じるのをもうやめた

というのがあります。

英語でもよくあるじゃないですか。

You complete me.

(直訳だと、「あなたが私を完全にする。」
あなたがいないとダメなんだ、みたいな意味。)

という謳い文句。

せりふ自体はロマンチックなのかもしれませんが。


私は、「自分を完成させる素材探し」は、もうしたくないんですね。
どんな人や物のことも、そのように見たくないし。

(まるで、すべては自分にとって利用可能なパーツか否か
みたいな見方になるのは、寒々しい。私の望むところじゃない。)


とてもシンプルなところに立ち返っています。

そう、
究極的に、matter は自分だけ。

(※英語の、What's the matter?
「何かあったの?」、「どうしたの?」の呼びかけで使われる単語で、
“差し支えのある(意味ある)何か”とか、“物事”にあたる部分)

この在り方が完全に身に着くまでにはなっていないけど、
すでに(ようやく)ベースをシフトさせたということはわかるのです。


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