BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

私の過去の歩み

こちらの記事は、スピリチュアリティーに焦点をあてた「過去の歩み」の紹介です。
ブログを始めて2年以上(2013年11月)の現時点で、一度、書くことにしました。

それまでは、伝えたいこと・大切なことが記事の中で表現できれば、
私の個人的な歩みを取り立てて書く必要はないと思っていたのですが、

どういう経緯で私がスピリチュアリティーに関わるようになったか、
ご関心のある方もいらっしゃると思いますので、ざっとですが綴ることにしました。

☆☆☆

masumi と申します。

このブログでは、途中までvanillatreeという名前を使っていました。

文章を書いたり絵を描くこと、表現すること全般が小さな頃から好きで、
漠然と音楽や芸術の道に進むことを思い描いたことはありましたが、
「スピリチュアルなこと」や、「サイキック(第六感が働くこと)」について、
昔はあまり意識していませんでした。

ただ子供の頃から「敏感」、「繊細」などと言われる側面はあり、
そう思われないようにと、がんばった時期もあったものです。

夢が鮮明で、現実と変わらないくらいリアル、その上よく覚えていたため、
まるで沢山の世界を同時に生きているようだったことと、
色々なことを教えてくれる「内なる声」がきこえていて、それが普通でした。

後に、精神世界・スピリチュアル分野ではそれが「透聴(クレアオーディエンス)」とか、
「内なる声」と呼ばれているということを知りました。

自分の感じ方やものの見方と、世間とのズレを自覚し始めたのは、
小学校高学年くらいからだったと記憶しています。
活発に、自分としても楽しんで外の世界に適応していた時期もありましたが、
中学生のとき、心と体に症状が現れはじめました。

その頃は、摂食障害(拒食症、過食症)、ウツ、自分が嫌い…!
と、カテゴライズすれば色々な“問題”がありましたが、

それは全部、表れ方は違っていても ひとつ のものだったんだなぁ
と、後にわかりました。

摂食障害の発症から根源的な完治までは十数年かかり、その間には、
学生生活、アメリカへの高校留学、色々なアルバイトや活動、仕事……

環境の変化も、様々な経験もありましたが、
一時的に症状が出なくなったり、
ずいぶん軽くなることはあっても、
“本当の治癒”とは言えない状態でした。

その頃あったのは、物理的な意味ではない“居場所のなさ”、疎外感、違和感……
この世界が愛しいけれど、自分には価値がないという思い。

帰りたい、自分を消してしまいたいという絶望的な気持ちが消えることはなく、
外であかるく振舞っていても、「生き辛さ」を感じていました。

☆☆☆

二十歳をちょっと過ぎた頃から、ひょんなきっかけで、
「スピリチュアル」「精神世界」と呼ばれる分野に関わるようになりました。

それまでの私は、症状を治したい一心で、
十代の頃から独自に本を読んだり、心や精神の勉強をする他に、
精神科や心療内科、それに伴う心理カウンセラーの所に通ってみた時期もありました。

でも、何件か通っても、私にはしっくりこなかったのです。

「症状に見合う薬を出すことが中心」の治療方法や、
患者を一定の型に当てはめるものの見方も合いませんでしたし、
(個人と向き合うより先に、摂食障害の患者は○○であるという定義があるなど。)

さらに今思えば、ときには、
相手(お医者さんや心理カウンセラー)の思いが伝わってきてしまうことがあり、
それも、違和感を感じる要因になっていました。

そのように(当時は自覚なく)心を感じ取ってしまうことのある私にとっては、
信頼できるスピリチュアルセラピストの方と出会ったことが、
人生に差し込む光になりました。

そのセラピストの方に向かって話しているとき、はじめて、
この人は、自分を「○○の患者」として見ていない!
透明な(中立な)姿勢で、話を聞いている…!
と、はっきりと感じることができ、びっくりしたことを覚えています。

はじめは、ひたすら自分を癒すためにそのセラピーに通っていましたが、
この出会いがやがて、私を「セラピストになろう」という新しい気持ちにさせました。

それから、そのセラピストの方による養成講座をはじめ、
他の複数のセラピーも学んだ後で、スピリチュアルセラピストとして、
自身がセラピーをさせていただいたり、教えさせていただく立場になった他に、
現在に至るまでに、ご提供するセッションのスタイルは変化しましたが、
2003年からセッションをしています。)その活動と並行して、
精神世界・スピリチュアルな書籍・ワークショップを扱う会社にも勤めていました。

その分野での会社勤めは、結局、2社になり、担当した仕事は幅広かったです。

最初メインとなったのは、スピリチュアリティーについて教えるために来日する、
様々な分野の海外の講師と、その多彩なイベントや講座を担当することでした。

会社内の仕事を担当しながらも、私自身がすでにセラピストであったため、
同種の講座においては担当講師から直に、講座アシスタントや、クラスの実習監督を任されるようになりました。

会社を退職後も数年間、フリーランスで、セラピスト養成講座の英文テキストの翻訳者や、
講師が来日した際の講座アシスタント、クラスの実習の監督を務めていました。

その頃にはもう、私自身に様々なスピリチュアル体験や気づきがあって、
癒しの道を歩みながら、ものの見方が相当変化していたのですが、

それでも自分の問題が本当の意味では解決していないと感じていたので、
「これはもう、一生のおつきあいなのかもしれない…」
と、あきらめかけていたこともありました。

つまり、具体的な症状がどのくらいあるか・ないかに関係なく、
根本にある心の苦しみ(生き辛さ)が完全にはなくならなかったのです。

同時に、この人生の過去であれ、“別の人生”の別のときのことであれ、
「今」以外のところに原因があるとして、それを探し、
さかのぼって解決しようとするセラピーでは、
根本解決にならないということに気がついたのもこの頃です。

そんな折、2006年のはじめのことでした。
ある雨の日に、ふと気が向いて、
十年分以上たまっていた夢日記を読み返したのをきっかけに、
まるで 「記憶喪失が猛烈な勢いで回復するような体験」をしました。

それによって、これまでもずっと存在していた別のリアリティーや、
根源的な自己(「私とは何か」)について、はっきり自覚をしました。

それは、「真のアイデンティティーの回復」でした。

以後はずっと、今のような独自のスピリチュアルセッションをしています。

☆☆☆

そのしばらく後、2007年のはじめ頃には、強烈な閃きの体験をし、
それによって根本から、残っていたわずかな症状と、苦しみが完治しています。

(※そのときの体験を記事にしました。
ただし、実際には記事に書いた以上に、その気づきに至るまでの歩みも関係しています。
「私が治ったとき・別の人間にシフトすること」

今となってはもはや、症状を持っていた頃の自分を、
リアルに思い出すことはむずかしいです。

治るとか変化するって、そんなものなのです。

その後もあえて注目すれば、
ウツ的な感覚だけはときどき「深い落ち込み」という形で出ていましたが、
これは、「死」についての認識が真の意味で改まったときに完治しました。

こうした省略した説明では、具体的なところが理解しづらいかもしれませんが、
私が体験した様々なこと、思い出したこと、認識をエッセンスとして染み込ませ、
言葉で表現しているのがこのブログです。

また、ご自身の力を思い出し、活用していただくために、
提供しているのが個人セッション講座です。

☆☆☆

「私とは何か」

それを思い出すことで、人生は違ったものになります。

あなたという存在も、「現実」として経験できる舞台も、
日常で気づいている以上にずっと広大で、バラエティーに富んでいます。

目覚めたままで、あなたがユニークで素晴らしい夢(現実)を生きられますように!


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