BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

私が治ったとき・「別の人間にシフトすること」

こんにちは(*^▽^*)


記事を書くとき、前後の流れも含めて、

意識して構成を考えたりはしないのですが、

アウトプットしてから眺めると、一連のテーマが続いていたり、

構成らしきものが存在していたりします。


あ、これを先に書くことになったのは、これを伝えたかったからか。

というようなことが後でわかります。



さて、今日の記事の内容に入る前に、未読の方は、

「私の過去の歩み」

と、昨日の最初の記事

「スピリチュアル・カウンセリング後のうれしいニュース」

を、読んでいただくようおすすめします。



今日のテーマは、

「私が治ったとき・別の人間にシフトすること」

です。


☆☆☆


あなたは、あなたのままでいい。


これはまったく正当で、心に留め置きたいことなのですが、

それでも、こうして語りかけたいお話があるのは、ご本人にとって、


「色々なものをまとって苦しんでいる状態」


というものがあるからにほかなりません。


そういった体験ですらも、私たちの中に、

すでに「折り込み済み(予定にある)」

というのもまた、ひとつの側面ではあります。


ですが、だからといって「修行」のように、

その状態にとどまらなければならないのだ、

人生とは苦役なのだ、

というのも、また、違っているのだと私の体験からお伝えします。


その意味で、私は、

「選べる」

という言い方をしています。


今日はこれについて、

実体験をお話ししながら解説をします。


☆☆☆


先にご紹介した2つの過去記事(私の症例とクライアントさんの体験)両方に、

いわゆる、

「シフト」

(まるでギアチェンジのように、

エネルギーが別な状態に切り替わる変化)

が存在しているということ、お気づきになられたでしょうか。


これを、今日の記事タイトルにあるように、

私は、

「別の人間にシフトする」

という言葉で表現しました。


これは具体的には、どういうことでしょうか。



たとえば過去、摂食障害という症状で悩んでいた私がいました。

ほぼ症状と無縁になり、あまり気にならなくなっても、ごく稀に出てくる…

そんな状態のとき、私にまだ「シフト」は起こっていませんでした。


一方、このシフトが起きたときには、

私はすでに、その体験を持続させていた私とは異なるのです。



誤解ないようお伝えするのですが、

これは、過去を否定するということとはまったく違います。


過去の記憶はありますし、

そこで得た色々な経験、「宝」になる理解も携えています。


ただ、もはや、リアルな、

そこ(症状を持っていた自分)へと直接、

今もエネルギーが通い合うリンクが存在しなくなる

ということです。


これを、

「別の並行現実への移動」

と表現してもしっくりきます。


さりげないけれども確かに「切り替わった」感覚をともなうのです。


☆☆☆


具体的には、「シフト」が起こる数年前に、私は「過去の歩み」に書いたような

「自分が何であるか思い出す」体験をしていて、


その後の、症状がなくなる「シフト」が起こったその日には、

こんなことを考えていました。


☆☆☆


私は子供の頃、家族が信仰しているわけではないけれど、

イエスに関する子供向けの本を2冊持っていました。


ひとつは、自分で小学校のバザーで、なぜだか

「どうしても欲しい」

と、前日から目をつけて、まっしぐらに買った本。


もうひとつは、たぶん近所の教会からもらった、3冊組の絵本。


どちらも記憶に残っていますが、

その中の絵本の方に、こんな話がありました。

(あとで聖書を調べたら、イエスの話だったかどうか定かでないのですが。)



足の悪い、歩けなくなった男が治療を求めてきた。

イエスは、ただ、


「立って歩きなさい。

お前は癒された。」


と、言った。

すると男は歩けるようになり、よろこんで杖を捨てて帰っていった。


☆☆☆


これについて、私は熟考していました。


滅多に出なくなっていた「症状」が、わずかとはいえ久しぶりに出た後で、


私は、もはや「症状の分量や回数」で評価する、ものごとを計るというのは、

無意味。あるものはあるのだ。

と、わかっていたので、

根本が治癒していないことを実感し、絶望して泣いていたのです。


もはや、過去の自分や、家族関係を含む、

「過去を顧みるセラピー」では、

根本は治らないのだと、私は感じていました。

(自分がそれを施す側も体験した上での、私の感想です。)


エネルギーヒーリングもそうでした、

対症療法であることに変わりはない。


そんな風に実感していました。



そんな私は、このとき、

なぜだか頭から、その逸話が、


「立って歩きなさい。お前は癒された」

この言葉が、


これで、どうして治るのだろう

と、


その考えが頭から離れず、

私は、すごい集中力でそれについて考えていたのです。


そして、

あっ

と、わかりました。

あかるい緑色の閃光が、ぱぁーっとはじけました。



この閃光を、当時親しかった感受性の強い友人は感じたらしく、次の日に、

「昨夜、何かあったでしょ?私、よくわからないけど、

masumiちゃん、もう大丈夫なんだなってわかった。」

と、電話がかかってきたというエピソードもあります(笑)




言語化するなら、こういうことです。


症状のある私を、どうにかして治すのではない。

症状のない私になるだけだ。


症状のない私に、ただ、なってもいいんだ!

(それはすでに存在していた!)


そう気づいたんです。

これが、「お前はすでに癒された」の言葉です。


人間はこのとき、たいてい、

「症状のない私に、ただなってもいい」

(その許可を自分で出してもいい)

とは考えず、

何か、別な自分になるための根拠 を探します。


たとえば、

逸話の男にとっては、自分を治してくれる「救世主」が必要でした。


とても感覚的なことを、一生懸命言語化しますので、

ぜひついてきてくださいね(笑)


では、「治療者(イエス)」はというと、

足の悪い男治そうとしたのではなく、


同じ彼の中に潜在する、

「健康な足の男という並行現実」

を、現実化した(波長を合わせた)のです。


男は、足が健康でも・そうでなくても、

大きな意味では、同じ人
ですが、

ある側面から捉えると、

「健康な足の男」は、

常に同時存在する「男の別のヴァリエーション」であり、

「別の人」なのです。



エネルギーの定義(その人を、その人たらしめているもの)

が、変わるということは、別の人になるということなのです。


その意味では、誰もが 毎日、毎瞬、別の人ですが、

ここでのシフトは、

「定常化(習慣化)」していたエネルギーの定義が、

がらりと変化する
という意味で、

本人も周囲も実感できるほどに「別の人」なのです。


これが、私が身をもって体験し、みなさんにお伝えしたい

「選べる」ということ、

「並行現実」ということ、

そして、「シフト」ということです。



それでは、今日はこのへんで!☆ヾ(^∇^〃)


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