BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

節度のある悩み方♪

こんばんは

昨日の記事に続いているお話です♪

前回「重いのもいいじゃない カウンセラーからのメッセージ」

beats-and-love.hatenablog.com

こちらの中で、
重くたっていいんだよ、それを嫌ったり恐れなくてもいいよ、
ということをお伝えしたわけですが。

そのことをさらに突っ込んで書いていくと、つづきがあります。

それはね、このブログ全体でお伝えしているようなこと、
自分って、何か。この人生・体験への、より大きな捉え方……
その認識や実感が、ほんとうに身に染みてくると、

ぜひぜひ知っておいていただきたいうれしい特典があるのです

少なくとも私は実際に経験していますから、お伝えしたいんですよ。

それは、「節度のある悩み方」ができますよっていうこと。
いわば、自分の底辺が底上げされる感じと言えばいいのかな。

心底、自分を(または何かを)憎んで、憎んで、
あるいは、絶望して、絶望して……、
全身全霊で……それこそ、自分自身をも殺してしまう勢いで、
悩んじゃうということは、なくなるんですね。


ええと…

たとえば子供が、何かで怒ったり泣いたり駄々をこねながら、
「ママ(パパ)、嫌い!」
って言ったとしても、それは本当の嫌いとは違うでしょ。

それってわかりますよね。

ごく小さい子供のころは、自分という存在の正当性を疑わないというか。
ちっちゃい子供がビヤーッて泣いても、
大人みたいに世の中への恨みつらみをそこで複雑に集積したりはせず、
しばらく経つと、ニコニコしてオヤツを食べたり遊んだりしない?

「悩みの節度」も、そんな感じです。

“悩みゼロで常にハッピーな人生が保証されます”とは、
私はこれからもきっと、言わないなぁ。

ただ、より大きな自己という感覚がわかっていれば、
自分という存在の正当性(存在意義)を疑うことがなければ、
何が合っても、トータルな絶望というのは味わうことがなくなります。

自分の一部が、波乱を感じても、揺らがないベースがあることもまた、
同時に自覚することができるんですよ。

悩みと、自分とを、同一視しなくても済むのね。

自分まるごとを、特定の悩みや苦しみと同一視してしまうことと、
このこととはだいぶ違うのだって、想像していただけますか。

「私はこれだけ」(←特定の悩み・苦しみイコール自分と思い込む)という、
狭い視野に縛られることがなくなるのです。

すると、悩むときにも、自分自身をショートさせたり、
回線が焼き切れてしまうようなのめり込み方をしないで済みます。

悩みや苦しみがニセモノだって思うわけではないのですけど、
それを体験し、感じながらも、
もっと奥深いところを汲んでね、
自分自身に対しても、どこか優しくあることができるの。

どんな自分をも、
静かな変わらない愛をもって、
見守ることができるようになるんですよ。
にっこり


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