BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

並行する人生☆私はだぁれ?たくさんのあなた!

今回は、「並行する人生☆私はだぁれ?たくさんのあなた!」です♪

同時存在する色んな自分のお話です。

☆☆☆


「時」で分けたものの見方をベースに、一般に「過去世」や「未来世」と呼ばれている自分のほかにも、もっとたくさんの自分がいます。

それらは前とか後ろとかもなく全部同時に存在しているし、
「場所(舞台)」を見た場合には、この地球だけではありません。

また、今のあなた(=今自分だと思っている個人)についても、
この人生においての、並行現実がたくさんあります。

こうなってくると、どこまでを自分と呼ぶのか?
自分という定義付けがあやふやになっていくと思うのですが、

今のあなたが他と差別化して“自分”という感覚を持っているように、
他の自分を体験していても、「これが自分ね」と、わかっているものなんです。
自己感覚があるのですね。

フォーカスしているものが自分なのだと言ってもいいな、と思います。

☆☆☆

ときどきブログに書いているように、
私はほんの小さな頃から、夢の中で別の自分を体験していました。

日常のつづきのような夢ももちろんありましたが、
まったく関係のない、どこから出てきたのか謎なSF映画のような壮大な夢だったり…
夢の中で体験している「私」は、
現在の人生で体験しているこの自分ではないことも多いのでした。

今日も、夢の中でまったく別の自分を体験していました。

場合によっては、夢の中で見る期間は空いていても、
繰り返し、同じ設定の人生にアクセスすることもあるので、

「あ、これは、あの人物の人生ね…」
と、前にも見たということに気づくことがあります。

「別な自分」は、色々な人物がいますし、時代設定や背景も様々です。

今日の夢の中での私は、褐色の肌の女性でした。
(彼女の人生も何回か繰り返し見たことがあります。
まるで自分の人生と同時に進んでいる映画や、ご近所さんを見る感じです。)

地球といえば地球なのですが、何かちょっと違う。
現代に似ていますが、もう少し近未来的な感じがしなくもない。

この違いは、単に場所が日本ではないから、ということでもなさそうです。

私には腹違いの弟がいました。
(もしかすると血はつながっていないかもしれません。)

弟は2人。
両親の人種が違う結婚だったのか、弟たちの肌は白いです。

私は、非常にアクティブな性格の持ち主で、
ファッション関係の仕事をしているようです。

とても華やかな香りの香水をたくさんふきつけ、口紅、すてきなドレス
きらきらした人工照明のきらめくクラブで行われる、
新鋭デザイナーのファッションショー。

私は頼まれると、ときどき、にわかモデルのようなこともやっているようです。

そんな世界にいました。

私は、すぐ下の方の弟と、すごく親密でした。
彼は、よき理解者であり、友人であり…

弟たちは、さきほど書いたように、私と違う白い肌で、コーカサス系の外見。
一番下の弟は、体格もよく、ずんぐりがっしりしていますが、
仲良しのすぐ下の弟の体は、身長はあるが華奢な感じで、
髪の毛は、金褐色の混じった巻き毛。

意思は強そうだけど心が繊細な、芸術家タイプというのかな…。

この弟が、ものすごく姉(夢の中の私)を慕ってくれています。
一緒にいて、私も相手を愛しく思っているし、幸福ですが、
なんでこの人はこんなにも私によくしてくれるのかな?と思うくらい。

夢の中で、私がケガか病気か、キルティングのかかったベッドでしばらく休んだり、
仕事場へ車椅子に乗って行ったりしているシーンがあったのですが、
そのときも、弟がとてもよく世話をしてくれて……

付き添って、車椅子を押してくれたり。

ふだんから、自分の別の仕事をやりながらも、
私のマネージメントも手伝ってくれているのかな?という感じでした。

夢ではその他色々なシーンがあったのですが…

この自分は、性格も外見も境遇も全くこの私と違うのですが、
やはり「私」として体験しているのです。


……こういう夢から目が覚めた後は、

「こちらの自分(=現在の私)」にフォーカスし切るまで、
その感覚がすっかり戻るまで、
ややぽっかりした気分と、郷愁のようなものにかられます。

あちらも、自分の一部なので、
(その言い方をすれば、今の私も、自分の一部ですね)
その「私」のそばにいた親密だった人々が、無性になつかしくなるのです。

こっちの世界では、あの人はいないんだなー
というミッシング感。

実際は、自己同士はネットワークというか、
こうして別の人生を生きている今も、同時存在としてつながっていて、
決して、誰も切り離されていないし、
そこで作られた存在同士の絆だって、ちゃんと生きているのですけれどね。

それでも、目覚めた私からすると、
「別の劇からまったく別の劇に放り込まれたように」

あれ…
今はここだったか

という感じで、かるく混乱するのです。

このように、もし、「私」という感覚が、
“現在の人生における自己”にうまくフォーカスされていなければ、
私たちは、アイデンティティーが混乱してしまい、
今のように当たり前に「自分として」生活はできないだろうと思います。

今の人生を、こんな風にかるがるとやってのけるのって、奇跡!!

同時存在している別の自分はすべて、実在しています。
一般に思われているような「夢」や「空想」ではありません。

それらを「まぼろし」という言い方をするのであれば、
今体験している、この人生の自分も、同じくまぼろしです。

そして、どの人生も、繋がりを持ちながら独立しています。
どれも「終わっては」いません。
(時間の概念に縛られないで想像してみてね!)

どの自己にも、「すべて」の一部が入り込んでいるので、
どの自己も、「まぼろし」ではないですし、自身の意思をもって、在り続けます。

一度生み出した作品が、消えないのと同じです。
ただしこの場合、作品がそれ自体の生命を持ち、生きているのです。

☆☆☆

あなたにも、たくさんの、別のあなたがいます。
たくさんのあなた同士の、ネットワークもあります。

あなたが何かのテーマに奮起しているとき、夢や見えないところで、
そのテーマが得意な別の自己が、助けてくれているかもしれません。

また、あなたも、自分では意識しないままに、別な自己を助けているかもしれません。

どんな場合でも、どの自己であっても、
私たちが「今」として知覚しているところから、
フォーカスを定め直し、変容の波を起こすことができます☆

あなたの起こしたその波が、他の自己へ、
インスピレーションや不意に浮かぶメッセージとして伝わるかもしれませんよ!


☆このエピソードには続きがあります。
「それぞれの人生経験を、それぞれが活用できる☆」

beats-and-love.hatenablog.com

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