BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

ブレイクスルー

こんにちは~(*´∇`)ノ


きのう、散歩中に、おじさん2人のうち1人が、

「そう、俺、ショウガ食べるようになってから、ますます健康になっちゃってさ!

体がカッカカッカして、ほんと元気!」

と、ドラ声でまさに元気いっぱいに話していたのを目撃したvanillatreeです。


おりしも花粉症の記事の前半をアップした後だったので、

「ますます健康になっちゃう、か!いいな!(笑)キラキラ☆

と、こちらも元気をいただいた気持ちでした。



ところであの後、私にはブレイクスルーがありました。


それはもう飽和状態をむかえてる流れの中にいたのでしょうが…


とくに昨日の、 花粉症の記事後半 のしめくくりに書いた、


私の地球への思いについて、そのまんまを認めたことで、

ついに解き放たれたような気がします。




…今日はそれについて詳しく書いていきます。


記事でご報告した、

私がさまざまなインスピレーションに導かれて

「自分の中にある地球」を癒していたのは、

「病んでいる地球を、私vanillatreeが癒してあげましょう☆」

という意味ではありません。


そうではなく、私が幼い頃からずっと持っていた、

自分の、地球に対する思い

と、つながる(再認識する)必要があったのでした。


そのことがよくわかりました。



最近とみに思うのですが、コメントでいただいたことが、

そのまま私にとっても役に立つ、補助になる、ということが非常に多く、


今回の気づきの中では、少し前からの、

greenさんからいただいた一連のコメントを思い出しました。


それは、「自分からというのが第一歩」という記事と、

「花粉症レポート・植物の声をきく1」の記事にいただいたコメントです。



他にも、コメントではそれぞれがご感想を提供してくださいながら、

共通のキーを授けてくださっていることがわかります。


読んだことのない方はぜひ、コメント欄も読んでみてください!



では、私のブレイクスルーのお話です☆


☆☆☆


結論を先に言うと、私はこの地球が、

たとえ完全なフィクションであろうが、

この自分というものが(仮に)完全消滅するものであろうが、


そういうことは別にどうでもよく、

(そこは重要じゃないという意味で)


実は、これが紙芝居の中だろうが物語の中だろうが、

この世界のハッピーエンドを見たいのです。


具体的にあれがこうなって…という細かい計画などではありません。

ですが、心が知っている概念として、それがあります。


ものごころついたときから、その夢がありました。


先述のように、「形ある夢」として認識していたわけではありませんが。


それは義務とか使命とかではなく、私の希望です。



地球体験はすばらしいものですが、

現時点では、多くの傷や痛み、歪みがあります。

(もちろん、巨視的にはそれはどれも「悪いもの」ではないですし、

そこから多くを学んできたのです。

また、それらは私自身の意識のあらわれです。

働きかけるのは私の意識である、というのは大前提として。)


私は今回、

幼い頃から私を制限していた、コア・ビリーフ(核となる観念)に、

気づきました。


それは、


「そんな風では、この世界で生きていけないよ!」


というものです。



それは基本的に、私の感じることを否定しなさい

という命令のように、私の中で機能していました。



いちいち、人や物や植物や動物や…

色々なものに共感したり、考えたりするのをやめなさい。


テレビや新聞、学校できいたニュースに涙したり、

動揺するのをやめなさい。


(でも、大人になった今でも私は、

それが架空の物語だと知っている映画などでも、

「罰を受けて当然の犯罪者」をこらしめる結末など見ると、

胸が詰まってしまうくらいなのです。


「あの人(犯罪者)の心の闇は?

なんでこの人がそういう行為を起こしたかに、興味はないの?

誰もがそうなる可能性があるのに、その人は特別凶悪なんだ、

で終わらせてしまうの?誰もわかってあげないの?」

…などなど。私が知りたいのはそちらの経緯なのです。)



そんなの考えても仕方のないことなのだから。


あなたはやさしいね。色々感じるんだね。

でも、そんな風では生きていけないんだよ。

現実って、そういうものなの。」


「もっと強くなりなさい。平気になりなさい。」


「割り切りなさい。」



ある部分では、それが必要だったのでしょう。


その教えは実際に、私を守ったこともあったでしょうし

(経験するために自分が採用したのですからね)、

現実社会の一部を、見事に体験させてくれたと思います。



でも、そのままでは私は分裂してしまいました。


「本当に、私はこんな風に生きなくちゃならないのだろうか。」


と、意識的に問うまでもなく(笑)

病気や精神的な落ち込みとして、私のことを止めてくれたのです。



「このままでは私、生きられないよ!」

「違うよね!」


って、自分で言っていたのです。



それから私は、自分を見つめ直していく流れの中で、

精神世界・スピリチュアルな思想とも出会っていきました。



自分自身の発見のほかに、

色々な「教義」や「世界観」、

「これが真理だ」と述べるものに出会い、参考にしました。



同意できないものも多数あったけれど、

私は基本的には、いちいちそれを吟味する習性がありました。



自分の理解や直観とズレがあるものでも、

「私の方が間違っているだろうか。その見方はどんなものだろうか。」

と、いったん取り入れたのです。

(それは必要な姿勢でもあったと思います。私のあり方ゆえに。)


ところがそこでも、今思えば、同じことを自分にやってしまいました。

まさに、観念があるうちはその現実をつくるという見本です(笑)


私は、精神世界の中でも、

「あきらめなさい。平気になりなさい。割り切りなさい」

「ただ安らぎなさい。」

「なぜなら世界は幻想で、本当のあなたとは関係ないのだから。」

という風な教えと対峙することになったのです。


具体的には、私自身がすすんでそれを採用していたというより、

現実において私の周囲にあらわれる人や、

どうしても関わってしまう仕事…などなどとセットで、

あたかも「一見、それが勝手にやってくる」という方法で、

自分がそれと対峙していました(笑)


私の本音は、

「フィクションならどうでもいいの!?それは本質とズレてない?」

「それを知ってて、ここにいるんじゃないの!?」

というツッコミを入れたい気持ちでいつもいっぱいでしたが


(というか、ブログでもツッコミ発言、すでにしてきましたよね!笑

でも、言う相手を完全に間違えていたと思います。o(_ _*)o

この状況を起こし、その体験の中に自分を入れたのは私自身

私の信じていることが先にあったのにね。


…ちなみに、言及した思想の中でも、「くつろぐ」「平和になる」、

心の状態を先に整える、自分がそれになるという、

その部分は非常に大切だと思っています。

また、その他の部分も、楽になるきっかけをつくる方便としてなら

機能すると思うから、全否定ではないです。)



そうして今度は私は、自分の

「地球世界に対して抱いている情熱」

に、否定的な疑念を浴びせることになりました。

(あたかも外の人にそうさせられているという形もとって。)


恥ずかしさもあり、これまでは遠慮がちにしか書けなかったのですが、

私はこの地球世界を愛していたので、ここに来たのです。


それが完全な理由です。

「来させられた」とか、「そうなってしまった」のじゃありません。



一片の曇りもなく、ずーーーーっと、それを知っていたのに、


…精神世界の思想によると、どうも権威あるらしい人や古の人が、

それとは別のことを言っているようだ。


なんだか、この世界を体験している者はもれなく、

その「システム」の中にあると認めなければならないかのようだ。


そして、そうではない認識は、「エゴ的な考え」だと、

無効(無意味)にされるみたい。


私はそうではないと感じているが、

それを覆すには、私はあまりにも無力だ…。



繰り返しますが…

本当の問題は、その「見方」があることではなく、

私が、自分自身の感じていることを曲げて、

自分にそれを採用したこと、こそなのです。


こんなのって、自己虐待です。(>_<)



…地球ももちろん、私の意識の中にある「場」のひとつです。


そして私は、私なりの挑戦をするために、

ここに意識を合わせています。


私は、私の目的を知っています。


それを否定することが、どんなに自分を傷つけてきたか~!!


そこにはっきり気づくと、涙がたくさん流れてきました。

私の中にある私は、相当無理を強いられて、悲しんできたのです。


私が、私の知っていることを否定して、

そのままの在り方で「生きることはできないのだ」と決めたことが、

ずいぶん苦しみをもたらしたのです。


謝罪は自分自身に向けるものだなと思いました。

そんな状況を引き起こしてしまった自分に。

自分の訴えに耳を貸さなかった自分が、自分に謝るのです。



私がかつてよく、

巷の「願望実現」や「成功哲学」を好きになれないと言っていたのは、

その「目標例」とされがちな、

「私がこうなって、ああなって、こんなものを手に入れて…」

ということに全然魅かれなかったからです。

そういう目標については、胸ときめかないし、作れなかったからでした。



また、精神世界・スピリチュアルの

「悟り」思想が好きじゃないと言っていたのは、


それを求める意味がわからなかったし(ちょっとズレてる印象)、

自分の目的とそれは関係なかったからです。


ここでお伝えしたいのは、


「否定」自体は、決して「悪いもの」ではありません。

「自分が何か(肯定するもの)」を浮き彫りにしてくれます。



ただし、「批判」に転じてしまうと、それは自分の首を絞めますね!


この世界に存在するものすべて、

自分の意識にあらわれてくれるものすべては、

それぞれに意味があるのですから。


「批判」をするとき、自分が弱められていると信じている、

脅かされると信じているのだと、私は学びました。


自分自身の存在根拠を危ぶんでいると、

その気持ちが起きるのです。

(なので自分が何かを批判していると気づいたときにも、

ただ「批判した自分」そのものを切り捨てようとしないでくださいね!)


☆☆☆


それぞれが、それぞれの目的があって、

それぞれの在り方を十分に表現しています。



私は、私に授けられた、私自身のものでもある夢を、

この世界にあらわしていいのだとようやくわかりました。


やっと、「独立」できた、という気持ちです。



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今回の発見で、あらためて「観念」っておもしろいなと思ったよ。
いつも応援ありがとうございます!

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また次回~(・∀・)/☆

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