BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

新しい扉

こんにちは、はう や どーぅぃん?(How ya doing?)

ごきげんいかがですかー。


こちらでは桜、だいたい五分咲きくらいにはなったかな?

来週末はお花見のピークになりそうです~。



今日のタイトルの「新しい扉」は、今私が感じていることです。


記事でご報告した、なおさんへの絵が完成した際浮かんだキーワード「開花」

昨日の記事で掲載しました、たまごさんがくださったご感想のキーワード「卒業」


そして私の心に昨日訪れたのが「新しい扉」



私も、新しい扉を開けたのです。



ここ最近の動きがすべて、そこに近づきつつあったこと。


たとえるなら、その先に何があるかは、もう遠くの景色のように見えていて、

それが本当にあるということと、

おおよその感覚がわかっていたので、進んでいた感じ。


それが、機が熟したのでしょう、

「おおよそ」の距離感からもっと近づいて、いつのまにか、

実際に扉を開けるところまで、来た。


すると!


想像していたよりさらにずっとスケールがでかい!


ということに、私は軽くショックを受けました。



なんの話だか、具体的にうまく説明できなくて申し訳ないのですが…、


最近の記事だと、

「全部自分の意識であることと、個の意識が両立するとは?」

「死後のこと&意識の使い方☆」


このあたりの記事で説明した内容と、関係しています。


とはいっても、自分でもそこで百%満足のいく説明ができたとは思いません。

言語化するにあたって、もっとよいたとえが、そのうち思いつくかもしれない。芽


が、現時点ではこれでも、言葉で説明できている方だと思います(`・ω・´)ゞ



ところで人によっては、こういうことは、

(はなから興味がないという人は除いてね…)


◇知らない方が気が楽

◇とりあえずのところ、今の現実に関係あるようには思えない、

実用性を感じられないから、知らなくていい

◇そこは神の領域だ!(人間が知るべきところではない!)


…などなどの思いがあるかもしれません。

(ちなみに3つめの「神の領域」はジョークのつもりだよ 笑)いえー



でも私は、着実に、

自分の意識を知ることから、


つまり、ここで生きていること、身近なあれこれ、眠ってみる夢、

人間や自然への興味、インスピレーション…


ちっとも自分の日常と切り離されていないところから、

そういうことを知っていったし、これからも知っていくのです。



それは、「大きな自己としての私」からすると、

いうなれば自分の内部を探検するような

反転する動き
なのであるけれど、


個の意識としての(特定のポイント・構成要素の)自己が、

私としてそれをすることに意味があるのだと、今の私にはわかるのです。


「大きな自己としての私」も、それはそれで、

そんな活動を沢山内包しつつ、それらを活かしつつ、やはり探検しているんだよね。



そして、話を日常レベルに戻すなら…


ありがたいことに、

意識の内から湧いてくるものにしたがって先へ、先へと進めば、


それまで「難題」に思えていたことが、

日常ではむしろ「前提」と捉えられるくらい簡単なものに変わっていく。


ハードルが、いつのまにかハードルじゃなくなる。



そんなことを、実際に経験しています。バラ


☆☆☆


私自身のことを振り返ると、

自己紹介ではふれませんでしたが、記事のどこかには書いたかもしれません、


もともと、精神世界に興味はありませんでした。

育った環境で、周囲にそういうことに関心を持つ人もいなかったし。


ですから、ある時点まで、自分の感覚や体験していることを、

そういう枠組み・目線で捉えたことがなかったし、

(それはそれでよかったと思います。必要な期間でした。)


その頃の本人からすれば、あたかも度重なる偶然のように「そうなっちゃって」、

この分野に深く関わるようになってからも、

かなり長いこと色んなことに懐疑的でした。



ヒプノセラピーを含む退行療法や色々なセラピーに携わっていたときも、

(役立った要素はあったけれど、)

「これは何かが違う」と、ずっと感じていて、


それは、心で自分をどんなに説得しても無くなりませんでした。



とくに、一般的な見方の「過去世・前世」や「未来世」、

輪廻転生という捉え方にはすごく違和感を感じていました。

「原因と結果、カルマ」という考え方についてもそうです。


また、

もっと直観的と思えるエネルギーヒーリングなどにも携わりましたが、

やはり私の魂は「イエス、これだ♪」とは言いませんでした。


宗教が根源にあったり(コースは異例でしたが…)、

「これがすべてだ」という設定をするような教えには、もともと魅かれなかったし。



そういう経験は楽ではなかったです。

いつでもどこでも、結局、「独自の道」を探すようなことになったから。スナフキン


でも、そのおかげで、今ブログに書いているような理解があります(*^.^*)



なので、読者の方でもし、

違和感を感じるものの中に属して揺れ動いている方がいらっしゃったら、

必ずあなたは自分自身の答えを発見されるので、

無理にそこにい続けたり、自分を説得しなくて大丈夫だよ(笑)(・∀・)/



みなさんも聞いたことがあると思うのですが、


「盲目の人たちがゾウに触ったときに、なんと説明したか」

というたとえがありますね。


正確にそのお話を覚えていませんが、要するにこういうことでした。


ある人は、像の足をさわって

「ゾウとは、柱のようである」と、言った。


ある人は、像の鼻をさわって、

「ゾウとは、ヘビのように細長いものである」と言った。


ある人は、ゾウの耳をさわって、

「ゾウとは、平たく、うちわのようである」と言った。


ある人は、ゾウのしっぽをさわって、

「ゾウとは、ロープのようである」と言った。



どの人の描写が間違っているというわけではないけれど、

どれもゾウの全体像をあらわしてはいない。




さきほどもリンクしたこの記事「死後のこと&意識の使い方☆」の中で、

ゲシュタルト

という言葉を使いました。


全体は、部分の総和以上であるということです。


たとえば、「音楽」


楽譜の一音一音や、楽器のひとつひとつ、

それらと、構成された音楽(曲)そのものは、イコールではありませんね。※


(※後で気づいたので補足です!肝心な説明が抜け落ちてましたあせ

たとえば、音楽の曲は、一音一音が集まってできているものと言えるけれど、

その楽譜の一音一音を足したもの、イコール曲全体を理解したこと、

という風にはなりませんよね。

曲、すなわち全体は、構成要素の単純な足し算なのではなくて、

それ以上の何かです。
そういうことを言おうとしていました!(^^ゞ )



この意味はわかってもらえると思います。



ただ…


このアイディアから一歩すすめて、

私が「意識」に関してなら、お伝えしたいのは、


音楽のたとえでいうと、

「一音・一音」の中にも、曲の構成全体が入っている。

そのアイディアのすべてが入っている。

そして、一音一音が自律性…自らの意思を持っている!


という風になるでしょうか!キラキラ☆


その多様性、無限性、多次元性、

それが言葉では言い尽くせないひろがりを持つということに、

私はあらためて、ぎょっとしているところです☆




今までも、それを認識していると思っていましたが、

より、「実感レベル」で、情報が流れてきたと言いますか…。


窓口がひろがったと言いますか…。


たとえるなら、これまではネット上の「立ち読み(試し読み)」だったのが、

本当にデータをダウンロードしちゃった感じ、と思ってください!



私たちが「無」だとか、「空間」だと思っているところにも、

別のフォーカスをすれば情報がぎっしりです。



☆☆☆


サッカーって人気ありますよね。

あれって、キーパー以外は「手を使わないでボールを動かすルール」でしょ?

わざわざ足を使って技術を磨くところも面白いわけですよね!(笑)


こういうのって、

サッカー以外のゲームにも思い当たるところがあると思いますが、

ゲームを面白くするためにあえて、「制限」しているということですよね。


そんなことを考えつくって、クリエイティブですよね~☆



さて、あなたはどんなゲームで遊びたいですか!?


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