BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

敵に見える相手はあなたを助けてくれている

こんにちは!ミッフィー


だいたい、「新しい扉」という記事を書いたあたりから2週間ちょっと、

私はいままで「ヴォイド」という感じの時期にいました。


ヴォイドは何もない状態とか、空っぽの状態と訳されているかな…

でもそれだと、私の感じているところを表しきれないな。うう


いつかどこかの記事で書いたのですが、この場合の


ヴォイドとは、たとえば、あるステップから次のステップに移行する途中、

一時的に視界が見えなくなるような状態です。


らせん階段や登山など、たとえは何でもいいのですけど、

きっと皆さんもご経験がありますよね。


昇ってる途中に、一時的に風景が見えない期間があり、

そこを抜けるとまた、次の景色が見えてくるんです。




その間、「内面的な作業」が何かしら起こっていることが実感できるのですが、

それが何だ、とは、はっきり言えないのですね。


でも、感じてはいるのです。



それはぽっかりした状態であると同時に、

まさに、何かを整理している途中のカオスのようでもあります。



しばらく続いたそんな状態を、ようやく抜けつつあるな、という今、

「新しい扉」の記事で表現した「より広い世界」をあらわすためにも、


私は自分の日常をはじめ、このブログでもますます、

どこにフォーカスしたらよいのかがはっきりしてきたように思います。キラキラ☆



そこでの不可欠なポイントは、すべてを

「自分の意識の世界として見る」

ということなのです。



ここからここまでは自分の意識がつくっているけど、

この先は、自分の意識とは関係ないとか、

そんなことは無いんです。


上の考えのように、“2つの極”の間で揺らいでしまうことを、英語で

vacillate

と言いますが、


意識(自覚)についての姿勢としては、

vacillateの状態というのは、成立しないんです。



たとえば、

「安全な世界だ」

と思うのと同時に、

「安全ではない世界(非・安全な世界)」

を体験することというのは、できないのです…。


つまり、幾分かでも、“安全でない”ということをあなたが信じるのなら、

あなたはやはり「安全でない世界」にいるということなんですね。



このことを私自身、とっくり考える機会がたくさん与えられました。星



これに気づくことはすばらしいけれども、

色んな観念をまるで「事実」と信じてしまっている私たちにとっては、


「き・び・し・い!」 w川・o・川w


…うっかりすると、また眠り込んでしまうものだなぁ


ということも実感してます。(・・。)ゞ



こんなこともふまえていただいて、♪

今日のテーマは、

「敵に見える相手はあなたを助けてくれている」 です。


☆☆☆



関連記事として、まず、こちらの過去記事をあげます↓

「それも自分であるということと、夫婦円満のシンボル☆」


この中の、「乾電池のシンボル」を覚えておいてください。


また、上の記事では、

パートナーや夫婦という関係を前面に出していましたが、

これはどんな関係性にも当てはまることです。


☆☆☆


どなたの心の中でも、その度合いはともかく、

自分が「敵」のように見なしてしまう相手が、いたことがあるでしょう。

(現実の知人か、そうでないかすら、関係がないと思いますよ。)


それがはっきりと自覚している強い思いであっても、

あるいは、アグレッシブな・攻撃的な思いではなくて、

「あの人さえいなければなぁ…」

「なんであんな人がいるんだろう…(疎ましいな)」

という思いであったとしても、


積極的にせよ、消極的にせよ、

心のどこかで、あなたはその相手と「勝負」や「競争」をしています。



そんなことすべてがバカバカしくなって、

そんな思いにかられる自分もいやになって、


「ただ無視する」

「相手やものごとを切り離す」

という作戦に出たこともあるかもしれません!(`・ω・´)ゞ



でもね、エネルギーの向く方向がどんなベクトルにせよ、

あなたが心を動かした(気になる)他者の姿というのは、

あなた自身の中にある何か、なのですよ。


「外」に、その要素や引き金があるのではなくて

(それが他者の絶対不変な属性としてそこにあるのではなくて)

あなたの中にあるのです。



それをあなたが「見た・体験した」ということは、

あなたは自分の内側にある何かを見てみたい、確認したい、

そう思って「現実というスクリーン(鏡)に映し出した」のです。


ですので、安易に…

色恋や、人との“相性”や、好き嫌いとして片づける前に、

自分の心を眺めてみてはいかがでしょうか。



「蓼食う虫も好き好き」という記事でも書きましたが、

あなたの内面には色々なものがあるとはいえ、


ただ気にならず「素通りするもの」だってあるでしょうし、

そうではなくて、「目を引くもの(エネルギーを向けるもの)」も、

あるというわけなのです。


☆☆☆


自分が「敵」と感じたり、そう見ている相手を、蹴落としたり、

“相手に何かを負わせたまま”切り離すことはおすすめしません。


それが実際の行動であれ、心のはたらきの中であれ…


何らかの「勝ち負け」に「勝つ」のは、

一時的には気分がいいでしょうが、

そこであなたが蹴落としているのはあなたの一部に他ならない!

のです。


これは、「懲罰(罰が下される)」という観念とは、関係ありませんよ。

そういう心理的な含みではなくて、実際的なお話です。


あなたが見ている他者は、あなた自身のあらわれなのです。



冒頭で引用した記事の中の、「乾電池のシンボル」を、

思い出してください。


両極に見えるものは、実は ひとつ なのでした。


敵とあなたは表裏一体。


だからそれ(二元性)を超えたところから見て。



あなたがその対象をただ自分として…

「自分の側面」としてよく見るならば、

自分が何を信じていて、何を伝えようとしているかを、

そこから知ることができるはず。



そして、そうやってあなたが、

自分の意識が発信している内容への理解を深めれば深めるほど、

あなたの現実は(そのままでは見えなかった、)

自己のあらゆる側面を統合して、

調和したひとつを、現実というキャンバスに表現していくんです。



あなたが自分を理解するため、

自分自身で見えていないところに気づくために、


「敵」というよそおいであらわれてくれた他者のことを、


他者の姿をとった「あなたの意識の側面」だと心得て、

その真の価値を認めてください。


それは本当に、あなたを助けるために形をとって現れました。


あたかも「その人(あるいは物事)によって」

問題や苦難が与えられたように見えるときですら、そうです。


☆☆☆


今回のお話は、「なすがままになる」だとか、

「ただ耐える」と言うこととはまったく違います。

自分に対して「懲罰的になる」ということとも、違います。


いかなる場合にも、自分と離れた外があると信じるのではなく、

(そう信じているときは、眠りこんだ状態です)

自分の内にあるものをよく見る、ということなのです。


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