BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

真実と権力、統合と統一の違い

おはようございま~す


昨日は火星と地球が最接近、の日だったそうですね!

私はそれを今朝、

昨日セッションを受けてくださった方からのメールを読んで知りました。


そういえば昨夜は、

満月前日のまるい月と、火星が一緒に並んでいたのを眺めましたっけ。


きのうの記事 で書いたように、私は

まだ若干、「ヴォイド感」を引きずっているのですが、


なんだか「遠心分離機」のイメージのように…

かくはんされながらも、上澄みというか、ちょうどいいものが残る。


そんな感覚がしてなりません。バラ


今日のテーマは、

「真実と権力、統合と統一の違い」

です。


☆☆☆


きのうの記事でも「統合」という言葉を使いましたが。


統合と、統一、ということの違いについて話してみようと思います。


といっても、これは「言葉」の使い方によっては、

どちらもの言葉が、違う意味で使われることもありますから、

その「字面」よりも、内容的なものにフォーカスしてくださいませ♪



自分の内面を統合していく…

これは、

「いつも同じであること」だとか、

「ルールを定めること」とは違います。


統合するというのは、


それぞれの多彩な要素や変化を肯定したまま、

ひとつの自分であるということなんです。



どれかを抑制するとか、

こうあるべきだと強いるとか、


「統一」という名のもとにひとつの基準に沿わせ、

別のものにならせようとするとか、

そういう働きではないのです。


この違い、みなさんにも感じることができますよね。(^∇^)



それが自分の内に見えるものであれ、外に見えるものであれ、

「統合」していくとき、あなたは愛情深く「それ」を包み込む。


一方、何らかのルールで「統一」しようとするとき、

あなたは何かを敵と見たり、排除しようとするかもしれない。



たとえば個人よりも大きな規模で…国境をなくすとか、

世界の国々の「“ひとつ”としての統一」という案があったとして、


そのときに、どれだけ

「それまで各々の国や、文化として持っているもの」が、

尊重されるのか…、


それぞれが自然に、

「多様な文化や価値観があっても、

私たちの中に、壁や境界はなかったね!」

と、つながりを感じるならば、それはすばらしいことです。


でも、どれかひとつの価値観が「至高」や「善」とされて、

その基準の下に、統一をされる…となるならば、

それはおかしいよね、ということです。



「真実」という言葉もそうなんです。


普遍の真実というものがあったとして。

その「真実」の感じ方も、体験の仕方も、

たくさん、たくさんあるはずです。


その「真実」をどのように味わっていくか

どのような角度から遊んでみるか、

それは自由です。


「新しい扉」という記事で描きました、

ゾウのたとえも思い出してください。



源が「ひとつ」であるならば、

想像して…

たくさんの鏡に自分の姿を写したとする。

それは無限の数ある。

そして、鏡に写った自分のそれぞれが、

自分と同じ創造の能力も持っている。


源が自由であるということは、

それぞれの「分身」も自由だ。


「分身」も、自分の創造をする。


「源」は、そうやって色んな自分を体験し、

色んな能力を試し、味わい、


なんとすばらしいことに、

その中での「コミュニケーション」という可能性すら、

創り出したわけだ。



「真実」に力はあるけれど、

それは個々の自由を光らせる力だ。


それを無効にしたり排除するような力ではなく、

みんながうれしくなって、思わず元気が出てしまうような、

あぁ、自分が自分でうれしいなぁ!とあらためて感謝してしまうような、

そんな力です。


「真実」という呼び名をつけて、「権力」を使っている場合、


そこには決められた「ルール」があること、

同一の考え方以外の、他のものの見方を否定すること※

(※あるいは、許容しているように見えても、

「ほんもの・にせもの」、「わかっている・わかっていない」

などというように、自分の外にいる“他者”を基準で分けていく。)


隠れた「排除性」や「独占性(exclusive)」があるのがわかります。

(私もその状態に陥ったことがあります。)


実際はどんなあらわれも“他者”とは言えないし、

「ひとつのラベルの下に見えるもの」ですら、

均一な中身などなく、色々なもののブレンドなのだけど。


ここからは、今朝流れてきたメッセージです。


☆☆☆


人は、奇跡に憧れる。

憧れるだけ憧れて、

本当に自分の中から奇跡が起こりそうになると

「だめだめ、そぐいませんよ。この世界に、この私に、

奇跡だなんて…!」

と、しりぞけてしまう。


自分から背を向けてしまうのだ。

なぜって?

怖いからだ。

よろこんで受け取って、また取り上げられたり、台無しにされるのが…。


(…実はそう信じているのは、「傷」をたくさん経験し、

がっかりしてきた「観念」の積み重ねの作用なのだけど。)


それは自分の中にあって、出番(許可)を待っている。

消えてなくなることもない。


おとぎ話は、大人になると、子供向けの「幻想」だと片づけられる。

魔法の力にわくわくした子供の心は、死んではいないのに。


シンデレラが「魔法使いのおばあさん」を疑ったらどうだろう?

この人は私をだましてる…

魔法なんてあるわけない…

かぼちゃはかぼちゃだし、ねずみは御者なんかになりやしない。

私の着ている服はただのボロ。

そもそも私が、お城の舞踏会などに入る資格はないと。


おとぎ話には、きらびやかなドレスや王子様お姫様との結婚という、

一般にわかりやすい表現・「うわべの成功ストーリー」を超えた、

真実が含まれていることがある。


それを読めるのは、「心の目」だ。


☆☆☆


あなたは、あなたの心に響かない、“かなしい真実”も、

胸がちくっとさみしくなるような違和感をおぼえる真実も、

受け入れなくていいんだよ。


誰かが、「同意できないお前は間違っている」

「まだ、わかっていないだけだよ。」

と言ったとしても、信じなくていい。


むしろ、フォーカスをくるっと自分の内側に向けて、

なんでそんな言葉を「自分」を使って「自分」に言わせるのか、

自分の心を確めてごらん。


自分で自分を疑っていたことがわかるかもしれない。

「事実」と思って採用していた「観念」が働いているかもしれない。


「自分をかなしませた」というかけらすら、

自分自身の多種多様な表現のひとつとして、

新鮮に驚いて、あなたはよく見る。


すると、そんな風に役立ってくれたことに感謝しながら、

その「元(もと)」を統合することができるんですよ。


具体的には、

「見せてくれてありがとう」と、自分の一部として

“それがほんとうにある場所”を認識するということ。


そうしながら、

内から湧くものをストレートに生きるということ。


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