BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

二元性を超えるということは?

こんにちは~♪

こちらはおだやかな、気持ちのよいお天気です☆ ヤッホー


このブログを読んだり、コメントくださったりしていた方々と、

スピリチュアルカウンセリングを通してお話しする機会が多くなって、

私が実感していることは「より大きなネットワーク」です。


「より大きな」っていうのは、表面に見えている、

「ブログを読んでくださっていた読者さん」とか、

「コメントくださった○○さん」という以上の…

ということです。



言葉でうまく表せないのですが、


カウンセリングにおいて、相手の方が話してくださっている内容は、

中立に聴き、必要なところではご質問させていただいたりと対話しながらも、


同時に自分の中の別の層では、

その「自分とのつながり」の部分にも気づいています。



これは「個人的(私的)に捉えてしまう」ということとは、違っていて。



私の現実にあらわれてくださるどんな方も、やはり「私」なんですね。

自分の意識の中で起こっていることがはっきりわかる。


それは、ふだん自覚している自分の範疇にありながら、

「もっと大きな自分」としての視点も使うということ。



そうやって見ると、カウンセリングでお会いする方々は、

「驚くほどぴったりの形で」、(うまくできてるなぁ~と感心するくらいキラキラ☆

かならず、

今の私だからこそ、相手の方のお役にたてる部分があるし、

相手の方のお話も、私がシェアさせていただくことで、

私にとっても、何らかの形で役に立つようにできているのです



…こういうことは、私は以前は「心構え」のようにしてわかっていましたが、

今は、「構えなくても」自然に、そうだとわかるんです。


その変化は大きい。



「他者」の人生に関わりながら、

相手の方の「いち個人」の力を信頼しながら、

同時に私が見ているものは、「他者」ではないとわかるから。



さて、今日のテーマは、この感覚とも、密接につながっています☆

しばらく書くのを待っていたテーマでした。


「二元性を超えるということは」 です。


☆☆☆


◆こちらの記事も、関連した内容が含まれてました↓

☆ハンガーゲーム2と「この世界」☆



二元性を超えるということは

相対するものを必要としないということです


善、悪

幸、不幸

正しい、間違い

真実、非真実


これら二元性がないなら、

どういうことを基準にあなたは生きると思いますか?



ただ自分がそうしたいと思うもの

ひかれるもの

心地いいと感じるもの


それを生きるのではないでしょうか



二元性がなくなるということは

あなたがあなたの選択をするということで


「誰かが、何かが、こうだから」

という“付随する理由”のせいには、なりえません。


「私」が主体になります



それは、あなたが「私」を生きることに対して、

反対の極が生じない

(倒置関係の中にはいない)

ということでもあります。


これをもっと説明してみましょう。


☆☆☆


ときに私たちは、

「こんなのおかしい!」

と言いながら、反発しながら、


同時にその対象を、

自分の世界にそれが必要なのだと信じているので、


その結果として、板挟み になります。



これはどういう状態なのかというと、

自分に「相対」するものがあると信じている状態です。


「私は、こうしたいけど、世界が・他者が・状況が、

ゆるさないんだ」
と信じている状態。


世界や他者は、「私とは別のもの」なので、力が及ばないと考えます。


すると、「生」を、誰かに強制させられているように生きている、

と感じることもあるかもしれません。


一方、主体が「私」で、何かを見たり体験したときに、

ただ、それを必要としない、選ばないと知るだけなら、

エネルギーをあえて、そこに向け続けることはないですね。


自分が選ぶのですものね。



○○はいやだ

○○はおかしい

でも、

人間として生きるには…

私の人生には…

この状況では…

“しょうがなく” あるいは “避けられない形で”

これが必要(不可欠)なんだ

こうしなければならないんだ


そんな風に感じたことがないでしょうか?


この場合、言うなれば、

自分が、自分の人生からなくしたいと思っている要素の、

必要性を、自分自身がはっきりと認めています。

避けられないものだ、という風に。


逆に言えば、自分で選んでいると知っていたら、

「板挟み」にはならないということですね。



「相対するもの」がないとき。

そこには、「二元性」がないんです。



幸の反対に不幸があり、

豊かさの反対に欠乏があり、

正しさの反対に間違いがあり、

安定の反対に不安定が待ち受けている。


勝者は敗者に、

信頼は裏切りに。


このような二元性の、対になっている概念を信じている限り、

そこに「平安」はありませんね。


どちらかを感じ体験していても、いつその表裏が反転するかは、

誰にもわからないということですから。


☆☆☆


私たちが何を選んでも、何を好んでも、自由ですが、

そこに倒置の関係を付随させると、困ったことになります。


たとえば、あなたが、「私は正しい」と思うのは、結構です。

(実際、あなたは、あなたなりに正当で、正しいでしょう。^^)


でも、

「私は、正しい。だから、彼らは、間違っている」

という風になると、倒置の関係が生まれていますね。

(片方が正しいなら、片方は間違っているだろうという二元性の考え。)


誰もが“中心”で、誰もが自分の人生の主人公です。

誰もが人生を創造し、生きています。


倒置関係を作る必要がないんです。

あなたがそう信じなければ、そこに「邪魔」はありません。

あなたを遮るためにあらわれるような対立要素は生まれません。


それが大いなる調和です。

(だって個々の中心は、皆ひとつにつながっているのですから。)


「私はひとつ」と知ることが、

二元性を超えるということです。


あなたはあなたの世界の中心です。


あなたを侵害するもの、あなたに何かを強制するもの、

そういう存在をあなたが認めるならば、

そうと信じるのならば、そういう体験も実際に、できます。



だけど、それはあなたがつくっているだけ。

ぜんぶがひとつだとわかれば、

そこに「二元性」はないんです。


自分がいくつの形に見えても、(他者、べつの存在、世界…)

あなたは、あなた自身の表現を見ているにすぎない。


「二元性」の中で倒置していることに気づいたら、

ハッと目を覚まして、エネルギーを自分に戻してください。


そして、「反対」を作らずに、

ただ自分であることを選択してください☆




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