BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

自分で決めるのはわるいこと?

こんにちはぁ!☆ヾ(^∇^〃)

今日からは、通常のスケジュールに戻った方が多いかな?^^


私は引き続き、自分の「水面下」での動きを色々キャッチして、

発見があったり、感心してうなったり、しています(笑)


ときどき気が向くと、「私の中のお姫さま☆2」の記事の中で登場した、

意識の中で使うコロコロをかけたりもしています。星



過去記事「自己内2WAYコミュニケーション」シリーズの連載の中で、

シンボルやイメージを使うやり方をお伝えしましたが、

そうすることが楽しかったり、得意だったりした人はぜひ、

コロコロもやってみてくださいね!(*^▽^*)


使い方はごく簡単で、ふだんカーペットやマット等をお掃除するときと同様、

意識の中で粘着力のあるコロコロをかけてクリーニングするだけですよ~。キラキラ☆



“私はすでに完全な存在であり、

クリーニングする必要のあるものなど、何も存在していない”


と、悟りすましてしまうのもいいかもしれないけど~(笑)


心がもやもやしたり、なんだかノイズが多いな~と感じたり、

すっきりしたいなという気持ちのときには、遊びでやってみてくださいな☆


イメージは、一般に信じられているようなイメージではなく、“現実”ですよ~。



さぁ今日の記事も、

前回の内容、「神にゆだねるコンプレックス」からつづいています♪


意外かもしれませんが、このテーマは、

「私の中のお姫さま☆1」「2」にも関連しているんだと、気づきました。


この一連のテーマが、何を象徴していたかというとね…


「依存からの脱却・ひとり立ち」のお話なんですよ☆


今日のタイトルは、「自分で決めるのはわるいこと?」です。


☆☆☆


前回のお話「神にゆだねるコンプレックス」の中で、「神」が…


ともすれば、私たちにとって、

「承認を求めるべき相手

になってしまうということに、読者の皆さまは気づかれましたか?



つまり神に、「全能の父や母」

人間にとっての「親・保護者」のような役割を、投影しているわけです。



これまで、宗教の中でも、そのような枠組みは用いられました。


それぞれの歴史、それぞれの文化によって、

必要とされているものが、そこに投影されてきました。


荒々しく力強い神もあれば、

慈悲深く、万物を守り育む神というのもあったでしょう。


いずれにしても、昨日の記事に書いた通りの点が、重要です。

投影を行っている動機は、私たちの心にあります。



私自身もかつて、


子供が、「親」に、自分よりも大きな力を投影し、

そこから「答え」や「承認」を求めようとする、


というプロセスから離れた後、


気づくと、同じ枠組みを「源(ソース、ALL THAT IS、神)」に、

ただ当てはめていたのでした。



その枠組みを利用すること自体が「わるい」というわけではありませんが、

それを利用していること、それが一時の手段であるということに、

やがて気づくことは大切です。



子供が、ある時期になると、

それまで定義付けしていた自分像から離れ、自然と違和感を抱き、

親というものに対する見方も変わっていき、


「親の付属物(belonging)」としてではない、

一個の存在としての自己を見つめながら、

独自の能力や世界を自ら試し、創り上げていく…



それと同じように、


たとえ私たちが神や、源というものに対して、

親や保護者に対するような観念を持っていたとしても、

あるとき私たちは、その枠組みから、はばたくのです。


「私」を知って、「ひとり立ち」するのです。



皆さんもご存知のように、子供が大人になって、

新たな価値観を採用したり、独自の人生を切り拓いて行ったからといって、

そのベース、家族との「つながり」が消されるわけではありませんね。


「分離」という概念と、「独立」という概念を、

いっしょくたにしないことが大切です。



あなたは独立した存在であり、創造者です。

同時にあなたは、すべてとつながっていて、そこに分離はありません。

すべての源は、ひとつです。


これが両立するということを、受け入れてください。



あなたの体験する世界はすべてあなたの意識にあり、

あなたの現実に表出しているものは、あなたの心のあらわれです。



あなたが親にせよ、他の誰かにせよ、「神」にせよ、

どこかに「承認」を求め続けるのなら、


あなたは「自分と、自分でないもの」という構造の中で板挟みになりながら、

自分を探し続けます。



「自分で決めても、いいのかな?」


本当は、ほかに誰が決められるというのでしょうね!

あなたが、「私」です。


そして今も、たとえ無意識的であるにせよ、あなたが決めているのです。

自分とは何か、自分の人生とは、現実とは、何か…。



「意識的に選ばない」選択をしても、

「意識的に選ぶ」選択をしても、


「私」の効力は、及び続けます。


それを無効にすることは不可能なのです。



なのでもし、誰かが、

「自分で決めるのは、わるいこと」

極力、主体性をなくして、受動的であれと教えられたのであれば、

その人は、「私(自分)」の創造性に対して、目をふさいで知らないふりをする以外、

手段がなくなってしまいます。


そして「なにか別のもの」が自分に代わって決めているのだと、

信じる他はなくなります。


☆☆☆


「必要とされる自分」を作ろうとしなくていいんですよ。

あなたはすでに、必要だから存在しています。


あなたは、何かを「earn」(かせぐ、得る)する必要がありません。※


(※この部分は私の内なる声の用いた言葉のままに書いています。

英語のearnの意味がどんなニュアンスかわかりづらい方は、

ぜひ、調べてみてください。)


ただ、するということと、

何かを埋め合わせるため、証明するためにする、ということの違い。



あなたの自然な状態を、何かに照らし合わせて、

それが「規格外」だなんて、決めないでくださいね。バラ


そういった規格を採用しているのは自分自身で、

自分を守るために閉じこもったり、

外と闘う必要すらないということに、立ち戻ってみましょう。


どうあがいても、「外」も、あなたの延長なんです。



「あなた以上に」崇高なもの、力のあるものの忠実なしもべになろうとするより、

「私」とは何かに目覚めてください。


そして、「私」が、「個の私」を生きることで、

こんなにも多様な可能性を表現しているという奇跡を満喫してくださいハート



★スピリチュアルカウンセリングのお申込みはこちらからどうぞ^^★
「個人セッションのご案内」



ご訪問ありがとうございます♪
ぽちっと押していただけるとうれしいです!ハート

精神世界ランキング





人気ブログランキングへ

ありがとう!きゃー

広告を非表示にする
サイトポリシー
Copyright©2011 BEATS AND LOVE All Rights Reserved.