おはようございます♪
起きてベランダから眺めたお空が、とってもさわやかで見入ってしまって!
タイトルにした「龍空(りゅうぞら)」は、私の造語です。
自然て、なんで、見るだけで癒されるんだろ。
それだって、同じ意識の中にあるんだけど、
ふだん自分が使っている意識の表層に、
細かいちりや、ノイズ※のような層があるとすると
(※ここでは便宜上、ちりやノイズと表現するけれど、
地球体験を楽しむ以上、どうしても出てくるものでもある!)
そのベースとなっている、それを支えている層、
そこのエネルギーの反映として、見ることができるのが「自然界」かなぁと。
これを画像イメージで、グラスの中に入っているお水にたとえると、
細かい沈殿物はやがてグラスの上の方にのぼってきて、水の表面に集まり、
残りのほとんどの部分は、澄んだ透明のままに見えるでしょ。
その澄んだ透明の部分です。
そういったエネルギーこそが私たちのベースだから、
同じものの反映として現れる「自然」に、癒されるんだと思う。
自然崇拝もそうで、
自分の中にあるそれが形になったものを、讃えているんですよね。
タイトルにもつけた龍(精霊としての龍)は、私は…
肉眼で、とか、雲を見て判断する、とかよりも、
「感覚」でとらえています。
あー 龍がたくさん泳ぐ空だなぁ、今日は!
(小さめのがたくさんたなびいてるな)
とか、
大きい龍が移動しているんだな…
とか、感じています。
それは、天候や空気を感じることとあまり変わらないです。
でも、ただ天候だとか空気だとかと思うよりも、「気配」を感じているかな?
龍は自然の精霊、自然エネルギーの活動なのだけど、
対象が「自然」だからといって、
それが「無生物」…生命でないというわけではないんです。
私たちは、人間とか動物とか虫とか、植物や微生物なら生物だとか、
そこに個性はあるか無いかとか、
「生物」の定義を定め、色んなことを基準に信じているけれど、
天体も何もかもが生命だと言えます。
龍や精霊を「見たい」方は、心で感じてくださいね。
「見えない存在」とか、「エネルギー」と聞くと、
超常的な・特殊な能力を使わなきゃ!と考える人もいるかもしれないけど、
ただ感じているとき、自分がシークエンス(場面)に溶け込んだとき、
境界なく入ってくるのが、それなんですよ。
その体験と、日常の感覚との間に、本当のオンやオフはないんですよ。
こちらはご近所の生け垣の、とてもいい香りのお花♪
満開でした。
むわっと取り巻くような濃厚な香りも、届くといいな♪
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