BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

売れないあの子の価値観・Day3

ふたたび、こんにちは~(*´∇`)ノ♪


さっき更新した記事の内容に沿って、このテーマを先にお届けしちゃいます


「売れないあの子の価値観・Day3」


そう、今日は「観念の洗い出し」から始まって3日目ですね~。

参加してくださってる皆さま、どんなご様子でしょうか♪


タイトルはちょっと挑発的な感じもしますけど(笑)

これも結局は私自身のこと、

私が経験したことを、書いているので。


ひとつの例として応用してみてくださーい☆


☆☆☆


前記事で、「宣伝活動」についてふれましたが。


私は基本的に、もし、趣味でブログを書いているだけだったら

「多くの人に」

見てほしいとすら、思わないタイプです。


何かで目にして、気に入った人が読んでくれたらそれでいい…

もともとはこのブログだって、それに近いスタンスでした。



でもね、私自身もそうだし、

スピリチュアル・カウンセリングのセッションをしていても、

多くの方が望んでいることは、


自分の好きなことで、生活していきたい


っていうことじゃないでしょうか。


要するに、「生活するため」の仕事と、自分の情熱とを、分けたくない。

ところが私たちの多くに根付いている観念が、

「それは難しい。幸運なごく一握りの人だけが達成できることだ。」

というもの。


好きなことをやってもいいけど、生活は…

それで食べていくのは困難…


それなので、とりあえず(妥協できそうな)仕事に就きながら、

自分の情熱は趣味として追求する、とかね。


このバランスそのものが、悪いというわけではありません。

それでちょうどいいという人がいたって、全然OKなのです。


ただ、私もそうでしたが、そうしていると病気になったり、

心のバランスを崩したりして、ギブアップする人がいる。


この場合、

「では、妥協ではなく、自分が本気でやりたいことをただやる」

というところに、向き合わざるをえない。



私も、前述の観念からちっとも自由ではありませんでした。

なので、「生活するために」色々なアルバイトや仕事に就きました。


もう無理!今度こそ、自分の希望を尊重しよう。

そう思っていても、結局、「生活をしていくには…」

と、似たパターンを繰り返していました。


今のように「ひとりの仕事をやっていく」と決めてからも、

周囲の人の支えがなければ生活できなかったので、

それを批難されることもしょっちゅう。


私はそんなに悪いことをしているんだろうか?

自分自身の力だけで生活できないって、そんなにいけないこと?

と、苦悶しました。


では、お金さえ「稼げていれば」、文句を言われないのか?

逆に、「お金という形にならなければ」、無価値なのか?


こんな状況を体験するということは、

私にはどんな観念があるのだろう。


その流れで、お金というものについても色々考えました。



ところで私は先日、ある本を購入しようとしたのです。

それは、『エンデの遺言』という本で、

作家のミヒャエル・エンデがお金というものについて、

その未来について、語っている本だということでした。


買おうと思って、結局やめました。


それは、私自身の「すすみたい方向」が、

「社会にあるシステム自体を考察し、変える」ということではなく、

自分自身の観念を変えることだったからです。


そういった、「お金の仕組み(お金は幻想である)」や、

では、未来には貨幣システムはどういう風に変化すべきか、

という話はおおよそ、知っていました。


むしろ、最初から、「お金」というものに夢中になれず、

それを目的とすることはできないので苦しんできたのです。


だけど、自分の問題を「現代のお金のシステム」のせいにするのは、

私の場合、根本解決とは違う。

そう、はっきり、感じたからです。


☆☆☆


タイトルにつながるエピソードです。

ある会社にいた頃の年上の友人で、

とある活動分野の、売れないアーティストがいました。


その人の性格や個性も私は好きで、

会社を辞めた後もときどき会っていました。


そして、彼女の希望通り、

「きっと夢は実現するよ。それ(芸術活動)で暮らせるようになるよ。」

と言って、応援していました。


ところが、ある時期から気がつきました。

彼女は、「あるところから先には」自らすすもうとしないのです。

つまり、まるで、「売れない状態」にとどまっていたいみたいなのです。

もちろん、本人はそんな風に思ってもいないでしょうが。


そして、夢見ているのです。

いつか、どこどこの国でこういう風になって…

やがて、「お金」というシステムが地球上から無くなって…

今より自由に暮らせるようになる。


「早くそういう風にならないかな」

と、彼女は熱心に願っていました。



私は、そこにとても違和感を持ちました。

そりゃ、私も同じように苦労していました。

彼女とは、そういうところも引き合っていたのだと思います。


でも、私はこう感じたのです。


そこに期待するのは違う。

外のシステムに変わってもらうのを待つのは、違う。


だんだん、

「まったく変化しないまま、外に期待し続ける彼女」

と会うのが苦しくなり、

彼女は彼女の世界の中だけにいたいように感じて、

そうこうしているうちに、彼女とは自然と疎遠になりました。


ずいぶん経ってから、新しい活動をしていると小耳にはさんだので、

今は全然違っているかもしれません!



私がここで書きたいことは、

彼女はやはり私自身の側面であった

ということなんです。


「友人(他者)」として、彼女を見ると、

色々感じたり思ったりしたことが、

結局は、その質が、当時の私自身にも当てはまっていた

というわけなんです。


彼女はどこかで

「私の作品はいいものだ。絶対これでやっていく。」

と、思いながら、見い出されるのを待っていて

自分に見向かない世間に対して、失望していました。


「なかなか、わかってもらえないよね。」

「見る目がある人なら、わかるのよね。」

という感じでしょうか。


でも、今の私なら観察できるのは、

本人自身が、ほんとうはそんなこと信じていない

自分の価値を確信できなくて、同じところにい続けたい

のだということです。


そこには、あきらかに怖れがあります。



先の記事で、私は、

多くの人に読んでもらうことに価値を置くか否か、は置いておいて、

多くの人に読んでもらうということ自体は中立、

という意味のことを書きました。


そして、自分の中に、

そこに向かわないように向かわないようにと思考する自分、

がいるということに気づいたと書きました。


私の、この根本にある怖れを見る前に、

関連する「小観念群」を容易に見つけ出すことができました。


それは、マイノリティーの価値観、とでもいうようなもので。

少数派であることに、どこかで誇りを持っている。


気づくと自然とそうなる(少数派になる)ことが多かった、

という背景もありますが、

これがいきすぎると、偏った固定観念になり、たとえば、


◇大衆は愚かである

◇大勢が支持するものにはろくなものがない

という観念があった場合、


自分自身のところに「多くの人」が訪れることは、

自分が愚かであったり、ろくなものではないものを提供している、

ということになってしまいます(笑)


だとしたら、そんな証明になることを「実現」させたくないでしょう(笑)


そしてさらに深く見ていくと、


一度も世の中に受け入れられなければ

(最初から自分を失望させるものとして、)

世の中に非があると言い続けていられる

というメリットもあるのですwww


結局のところ、自分自身が許可できないこと、

自分にはその価値がないと、何らかの形で信じていることの、

防衛として、巧みな「現実の状況」をつくっているんです。

「世の中」というものを敵に回して!



非情な世界を見続けるのもいいですが、

「世界」ですら自分の中にあるということを思い出すと、

するすると観念はほどけていきます。



なんだかんだで誰もが、創造者。

自分がちょうどいいと許可しているところにいるんです。


私は、ここで、何が成功で、失敗で、上で、下で、

なんて定義するつもりはありません。

そんなものは、無いから。


ただ、もしも、ほんとうは自分が望んでいるのに「売れない」なら、

「売れたくない」の可能性もあるということ。


その背後にあるものを見つめるきっかけとして、

この記事を考えていただければ幸いです。


★スピリチュアルカウンセリングのお知らせはこちらから~
「個人セッションのご案内」


よかったらクリックしてね~

精神世界ランキング






人気ブログランキングへ

大感謝♪♪

広告を非表示にする
サイトポリシー
Copyright©2011 BEATS AND LOVE All Rights Reserved.