こんにちは!
昨夜の七夕、私の住んでいる辺りは、最終的には晴れました!
お月さまが出ていたので、寝る前にパチリ
織姫さん彦星さんカップルの逢瀬は、楽しかったでしょうか…
我が家では、ふだん通りのメニューにプラス、「極上海鮮巻」を1人前!
分けながらおいしくいただいて、七夕メニューにしましたよ
私は太巻をあまり買ったことがなかったのですが、
その海鮮巻は、店員さんによる赤マジックで「極上」と書かれているだけあって(笑)
とってもおいしかったです♪ヾ(@^▽^@)ノ
乾杯のかけ声は「七夕!」で(笑)
彼に「今日は七夕パーティーだよ♪」と言うと、
前回の記事で書いた子供の頃の私と同じように、
「今日晴れてないから七夕じゃないよ!」
と、言っていました。
昼間も夕方も、ずっと雨模様でしたもんね~。
寝る前、夜空が晴れているのを見て、なんとなくうれしかったです☆
それはさておき、昨夜もそうだったのですが、
最近、野菜がおいしくておいしくて、
食べるたびに幸せになります。
彼の要望もあり、うちでは冬も生野菜のサラダをよく食べていたんですが、
やっぱりレタスやキュウリ、トマトなどの生野菜は、今の方がおいしいね~
旬の野菜のおいしさは格別!!
今の時期のレタスは甘みがあるし、その他の野菜も風味がしっかりあるので、
私は、ドレッシングもお塩も何もかけないでおいしく食べています。
この間の記事◆「直観と食べ物の話」はゴーヤを使ったけれど、
最近リピートしているのはオクラです!
茹でたオクラを輪切りにして、かつおぶしと少量のしょうゆであえるだけで、
めっちゃおいしいですよ~☆旬のものの幸せ ですね。
それから、冷ややっこに「叩き梅」をのせるのにもはまっています。
私は梅干しが大好きなのですが、
「減塩」とか、「はちみつ」や「かつお」の風味がついているものではなくて、
塩とシソの味付けのみのシンプルな梅干しが好きです☆
その、お気に入りの梅干しの種をとり、梅肉を叩きます。
これをお好みの分量、お豆腐にのせるだけ♪
これまた何も調味料をかけなくても、叩き梅だけでおいしいですよ!
豆腐の甘みが引き立ちます。
☆☆☆
食べ物の話も、ときどき記事に登場していますが、
今回はタイトルに「過去世と食の好み、よもやま話」と付けています。
多くの方に意味が通じやすいように「過去世」という言葉を使いましたが、
これは実際は、「終わっている過去の人生」なのではなくて、
あなたの中に、今、同時存在している別の人生のことを指します。
(この意味がよくわからない方は、他の記事も色々読んでみてくださいね♪)
タイトルのテーマを絡めながら、「食」のよもやま話をお届けします。
☆☆☆
ある時期から私は、求める食事がシンプルになってきて…
食材をそのまま食べたり、せいぜい茹でるとか、他の方法で熱を加えるにしても、
単純な形で食べることで満足するようになってしまいました。
このように自分の好みが変わってしまうと、ほとほと自覚したのが、
「料理」というものが、とっても億劫になってしまったということ。
「これ!」と何かひらめいたときにはかろうじて情熱がもてるのですが、
それ以外のときは、
「なんで料理するかなぁ。そのまま食べた方がおいしいのに~。」
という気持ちが素直な感想になってしまいましたよ。
色んな調味料や調理法を加えることによって、
「生きてない味」になっちゃう…と私は感じるので、仕方がないです。
外食でおいしいものを食べるのは好きですが、
その好みすらけっこう変わってしまい、
食べていても「負担だな…」って気づくことがあります。
たとえば、以前は好きだった「パスタ」。近頃は苦手の分類です。
(これは自分でもびっくりですよ~!)
何味でも、どうもパスタを食べると体がだるく、重くなるというか…
なかなか消化できないのか、体調に響くんですよね。
あと、もともと私が苦手なのは焼肉です。
焼肉!ワーイ!!というよろこびがまったく私にはわからない。
お肉自体は、今でも避けることなくふつうに食べています。
でも、お肉を食べなくても生きていけるなぁ、とも思います。
料理のバランス的に入れることはあっても、個人的にはそんなに食べたくなく、
いらないな…と思うことがあります。(必要なのはダシ、という感じです。)
魚介も同様かもしれません。
精神世界のお仕事をするようになって何年目かのある時期、
私はお肉をいっさい食べたくなくなったことがありました。
厳格に禁止していたとか主義とかではなくて、食べたくなかったのです。
その頃は、なぜだかチョコレートも食べたくなくなり、食べませんでした。
魚介は、そのときはよく食べていて、
アボカドに茹でエビとかを組み合わせて食べてました。
自然とその時期は終わりを迎えましたが、
「食の傾向」は時期によってかなり変化するんだなぁ
というのが私の感想です。
その後、アーユルヴェーダに基づく調理にはまって、
ひとりで暮らしていてもせっせと料理をする日々もありました。
それが過ぎ去ると今度は、
野菜類をむしょうに生のまま食べたくなる時期があり、
茄子とかホウレン草、人参、小松菜、白菜、いろんな野菜を生で食べてました。
そこからさらに時は過ぎ、
「かなり適当に、体の要求(直観)にしたがうだけの、シンプル食生活」
になってしまったわけです。( ̄▽ ̄)ゞ
…で、お肉の話なのですが、ときどき、ハンバーガー食べたいなとか、
鶏肉食べたいな、ということがありますが、なくなったらなくなったで平気です。
魚介も滅多に食べず、お寿司も嫌いというほどではないのですが苦手な方で、
取り立ててしょっちゅう食べたいものでは、ないのです。
それよりむしろ、私にとって大事なのは穀物と野菜、果物!
穀物は、個人的にすごく「パン(小麦)」にお世話になっているので、
お米より小麦に対する思い入れの方が強いほどです。
日本のモチモチしたお米は、どうも得意ではないのですが、
この間それについて、母から興味深い話を聞きました。
又聞きですので、正確かどうかはわかりませんが、
個人的にはなるほど!と印象に残った話なので書きますね。
※後日、この話は、私自身が読んだ後に母に貸した、こちらの本の内容が元だったのだと思い出しました!木村秋則さんの「百姓が地球を救う」に正確な情報が出ています。
今、日本でよく食べられている人気のあるお米のほとんどは、
品種をさかのぼると祖先が「もち米」なのだそうです。
もちもちしたおいしさ、甘みなどを追及して品種改良した結果だそうです。
そのおかげで味はおいしくなったのですが、
昔のような量を毎食の食事として食べると、糖を摂りすぎるそうです。
もち米が祖先ではないお米の品種も、まだ流通しているそうで、
母の故郷の方の「ササニシキ」は、モチ米がルーツではないお米、
と言っていました。
「こしひかり」や「あきたこまち」など、人気のお米はもち米系と聞きました。
(正確かどうかわからないので、興味ある方は調べてみてくださいね。)
それは、私には腑に落ちる話でした。
みずみずしくもっちりしたお米の美味しさ、人気は理解できるのですが、
私は昔から、食事のときにそれを食べると苦しいのです。
おかずと一緒に食べると、つかえたようになって消化に負担なようです。
なので、アーユルヴェーダ式の調理にはまっていた頃は、
バスマティ米(サラサラした細長いお米)をわざわざネットで購入していました。
今では同居の彼も、お米を毎食必要とする人ではないので、
日本のお米を買ってありますが、5㎏の1袋がなかなか減らないような家です。
☆☆☆
◆「ピグライフと食べ物についてモノ思フ」
という過去記事でも書いたのですが、
私の育った実家はみんなお米大好きな家族ですので、私のこういった食の好みは、
自分の内にある「別の人生」のエネルギーの影響が強いと思います。
日本の人生へのエネルギー的繋がりが、私の中でほかにゼロだというわけではありません。
たとえば私は昔、「古文」がすごく好きで、小学3年生のときには、
百人一首の中の詩に胸打たれて、光景が浮かび涙する体験がありましたし。
でも、きっとそれを凌駕するほどに、他国の文化とのエネルギー的繋がりが多そうなのです。
あるいは、今回の個性(パーソナリティ)の都合で、
「現在の私」に影響している度合いが、他国の文化の方が大きいのかもしれません。
ものごころついた頃から、家族とは違った好みがありました。
胚芽や穀物の使用された甘みのない雑穀パンなどが大好きですし、
スパイスやハーブ類の好みも幼少期からありました。
果物も、日本では手に入りづらいベリー類が大好きです。
今生で口にしたことのない食物の味や香りも、よく知っていました。
食べたことがないお菓子やお料理を、
「あれが食べたいなぁ~」
って、味を思い出して懐かしんでいました。
あと、洋酒の味も知っていましたね。
(こどものとき飲んでいたというわけではなく、知っていた 笑)
お酒に弱いので、大人になっても強いお酒は滅多に飲みませんが、
デザートに使われるラムやブランデー、リキュールの味とか…
小さい頃から洋酒の香りにもなじみがありました。
(うちの家族で洋菓子を手作りしたり、洋酒を買う人はいませんでした。)
眠っている間にみる夢にも、しょっちゅう他の国の人々や、
他の国の人間として登場する自分があらわれます。
今でもそうです。多国籍なんですよ、私の夢は~(笑)
こういったことに気づいて他の人々を眺めると、
どんな人も、「別の人生」の好みが「現在の人生」にもあらわれているので、
面白いです。(*^▽^*)
他に、音楽や服装、インテリア等の日常の好みにも出ますけど、
食べ物はかなり、わかりやすいですよね☆
そうそう、逆に、
今生でその国に行ったことすらないのに、
なぜか「超嫌い!苦手っ」という国や文化や料理があったら、
それもまた、その国や文化と関連した人生がある可能性大、ですよ!
☆☆☆
一緒に暮らしている彼の「別の人生」も(本人が信じているかどうかはともかくとして)、
私は複数感じとっていますが、食の傾向を見ていても興味深いです。
その一例として、本格的なメキシコ料理を食べてみたいと言っていて、
おつまみにもコーンチップスやタコスのスナックをよく買っているのですが、
「そちらの方の人生との繋がりもあるものねぇ…」なんて思いながら眺めています。( ´艸`)
もちろん実家の家族の「別の人生」も、これまで感じてきました。
一部をご紹介しますと…
たとえば父には、ヨーロッパの山の景色(スイスの方と思う)や、
モンゴルの草原の景色も見えます。
(今生でも父は、山や自然が大好きです。)
妹は、私の夢の中へ、
東欧での人生のときの姿、(かわいい民族衣装に三つ編みを束ねた髪形)で、
満面の笑顔であらわれたことがありました。
(本人にも伝えてありますが、まだその国には行ったことがありません。)
エジプトの人生が見えたこともありますが、
本人もいつかエジプトを訪れてみたい!と言っています。
母には中国大陸や、アジアの他の国の人生も見えますが、
(中国料理や韓国料理が大好きです)
日本の他の時代の人生のエネルギーもけっこう感じます。
それから私と一緒に、バリ島に2度行っていますが、
今「インドネシア」とまとめられている場所の中で、別の時代の人生があります
父から気づいた「モンゴル」は、おおよその場所のことで、
今のモンゴルという国そのものではないと思うのだけど、
この家族全員に共通したエネルギーらしいと感じてきました。
同時代に、家族全員そことの繋がりがあるんじゃないかな、と思ってます。
こういう「別の時代、別の人生」の話をしていると、
「現在でいうどこどこ(地名)」という風に場所を説明しなければならないのですが、
実際は、その時代にはその「国」ではなかったりするのでややこしいですね。
場合によっては、今私たちがそこについて抱いているイメージと、
全然違う文化や風習がひろがっていることもありますから。
「別の人生の情報」にふれるときに大切なのは、
どの人生も、ひとつの形で完了している、
不変のものだというわけではない、ということです。
それは、「現在」のあなたと相互にエネルギーを交流しあいながら、
同時進行している、「生きた構造」なのです。
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