こんにちは~! 今日のテーマは、「幽霊の正体」です。
ブログを読んでくださっている方の中には、
「霊」って結局何なのかな…?
と、疑問に思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私は、意識・心を扱う分野のセッションを自分で始めてから10年以上になります。
そして、この現実でそういう活動を始めるよりずっとずっと前から、
夢で多くの不思議な体験をしていて、自分ではどう解釈していいかわからず、
大量の記録をつけていたこともありました。
そのため長年、“意識・心の別な側面(この世界に見えているだけでない側面)”
についても、独自に観察してきました。
人は、さまざまな「不思議な」体験を…
この世界の常識では「無いこと」にされている体験を…
本当は、日常的にしているものだと思います。
今日のテーマでもある「霊現象」にしても、
ただ幻覚であるとか、無いことにして片づけるのは、
(精神世界の中でも時折、そういう向きもありますが)
あまりに乱暴だなぁと、私はつくづく思います。
これから私のご説明するお話が、
ほんの少しでも誰かの心に響けば、うれしく思います。
☆☆☆
ブログ記事でもたくさんお話ししてきた通り、
私たちは、今も「霊」です。
亡くなった人のみが「霊」なわけではなく、生きている私たちも霊です。
この「物質的な、合意の現実」の体験にフォーカスしている間は、
自分が姿のない存在だということを忘れて、物質的な何かであるふりをしています。
でも、夢の中、とくに起きてからも「記憶に残している部分」では、
こちらでの体験と非物質的な経験とのリンクが張りやすいように、橋架けできるように、
「体というイメージを通して活動(解釈)」しています。
こちらのルールに準ずる仕様に、体験を自分で翻訳しているんですね!
夢の体験も、こちらの現実での体験も、同じように「現実」です。
ただ、そこでの合意、適用しているルールは異なります。
そしてどの現実も、私の「意識」がつくっています。
では、「幽霊」とは何なのでしょうか。
ここでは、現在の私たちのような「霊」ではなくて、
私たちから見てすでに死んでいるはずの存在、
一般に「幽霊」と呼ばれている現象についてフォーカスします。
結局、意識として眺めるなら、そのベースは一緒なのですが。
生きている人との区別のためにあえて「幽霊」という言葉を使わせていただきます。
幽霊は、地球のデータバンクに属している「記憶」と、
それにともなう思いや感情のエネルギーです。
私たちの「この人生」も、もちろんそのように表現することも可能です。
そして、私たちひとりひとりの人生が「ただの幻想」ではないように、
幽霊も同じくらい「ただの幻想」ではありません。
私たちが目撃したり、体験したりすることのある幽霊とは、
地球にストックされているデータから、
何らかの理由で「あなたにシンクロしている」周波数のものです。
そしてたとえば、幽霊として表れたAさんという人が亡くなっている人だとしても、
Aさんの存在全体が、そこに「囚われて」いるわけではありません。
あなたがもし、ご近所で電柱のところにたたずむ幽霊を見たとしても、
そこに見えるご婦人なり紳士なり、お子さんなりが、
「存在全体としてまるごと」囚われているわけではないのです。
これをなじみのある状況にたとえて説明するなら、
あなた自身も、過去の記憶の中の特定の一部が、
自分の内側でまだ「生々しく生きてる」って感じることがありませんか?
時は過ぎ去って、あなたの中でもう、それは「過去」なのに。
今のあなたはすでにもう、あのときのあなたではないのに。
それについての感情は、思いは、感覚は……強いエネルギーを持って生きている。
そういう場合、あなたの意識の一部がそこに「囚われたまま」かもしれません。
あなたは依然としてエネルギーをそこに投影し続けているかもしれません。
そしてそれは、幽霊と同種の現象です。
(実際に、幽霊のように形やイメージを持って見えることもあります。)
私たち「存在」は、無意識のうちに自分の意識の一部を、
強いインパクトを持つ特定の出来事へ投影していることがあります。
自分のエネルギーの一部を、そこに流し続けているのです。
夢などの体験でもわかると思いますが、
実際は、「時」とは合意のフィクションですから、
エネルギーを向けたものは「今」活動しています。
その状態とは、神経症やトラウマ、心の病にも似ています。
自分の中で統合してない部分、腑に落ちていない一部分へ、
繰り返し繰り返し、エネルギーを送り続けている状態ということなんです。
よく、霊能者的な表現で、霊を「あげる」とか言いますよね。
誤解が起きがちだと思うのでこのことを説明すると、
たとえばとあるお侍さんの霊が解き放たれた(あげられた)として、
それまで、そのお侍さんが「あちらの世界に不在」だったわけじゃないんですよ。
私たちは今でも、「こちらにいると同時にあちらにも」いますから。
そうではなくて、「存在」としての彼の一部(記憶)が、
その特定の箇所に投影され続けていた、
エネルギーを注がれ続けていた、というわけなんです。
肉体を持って生きている私たちにも、
「繰り返し見る悪夢」や「繰り返してしまう思考」という経験があるでしょう。
それと同じです。
何らかの「気がかり」や、思い残し、エネルギーを注いでしまう理由があるわけですよね。
その上、もし、あなたの中に類似した経験や共感できるエッセンスがあるとなると、
似たヴァイブレーションを持つ誰かのエネルギーにシンクロして、影響を受けるなり、
あるいは影響を与えるなり、するかもしれません。
いずれにせよそういった体験は、「私」が引き金となって起こる、
共有する地球データの「立ち上がり」と見ることができます。
(地球データ全体も、「私」の意識の中にあるわけですが、)
大きく見ればそういう記憶は全て、
「地球の経験データ・ストック」に属していると言うことができるのです。
幽霊に憑かれていると一般に言われる状態は、
その中の特定の波長にシンクロしている状態のことです。
私たちは「送信」と「受信」、どちらも機能しているラジオ機器のように
自分のヴァイブレーションを送り出しながら(送信)、
自身の意識をチューニングして、受信もしています。
以前からお伝えしている通り、すべては「自身の意識状態」がキーなんです。
あなたがもし幽霊を見たり体験したり関わるなら、
何らかの理由で、その波長とシンクロしているということです。
かといって、それ自体が良い・悪いというように、
善悪の観念で語れるものではありません。
外観はどうであれ、あなたに必要な経験であることもあるのですから、
(どんな経験もあなた次第で生かすことができます☆)
経験そのものを、二元論でジャッジしないでくださいね☆
今日の話題の最後に…。
「動物霊」という言葉を聞くことがあると思います。
ただ単に、亡くなった動物の存在を指しているならいいのですが、
いわゆる「怨霊」みたいに語られるときのことについて、私の意見をお伝えします。
動物には、思考も感情もありますが、それは人間のあり方とは違います。
動物が恨んだり、執着したり、あるいは「死そのもの」を怖れたり、※
ということはありません。
(※人間のような「死」にまつわる誤った観念を持ってはいないということ。)
動物は自然の叡智と一体のままで生きています。
人間と暮らしていれば、人間の観念を反映し、その影響を受けることがありますが、
彼らが自発的に恨むとか怨念を持つということはないです。
つまり、怨霊のような意味で「動物霊」と言われるとき、
それは「人間の思い」が投影された想念形態です。
動物たちのあり方、意識の本質が、
ときどき歪められて誤解されているような気がしましたので、書きました。
また、人間と動物との間の親愛の絆も、
もちろん「ひとつの人生を超えて」繋がっているんですよ。
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