こんにちは~♪ スラマッソレ~(インドネシア語で午後の挨拶)
今日のタイトルは、「エネルギー!発端は自分」。
どんな出来事も、発端が自分にないものはない、
端を発しているのは自分だよ、ということです。
(これは罪と罰の概念とか、自業自得という意味とは違いますから、
混同しないよう気をつけてくださいね。)
それが今のあなたにとってポジティブに見えるにせよ、
ネガティブに見えるにせよ、
現状のあなたに必要な気づきをすべて含んでいるという意味で、
あらゆる状況はパーフェクトです。
そんなわけで、私たちは、
うわべの状況そのものに囚われるのではなく、
状況の奥にあるものを見つめる
という姿勢を持つ必要があります。
この世界で実際に力を持っているように見えるのは、
言葉や態度や行動だったりしますが、
それらは、元になる「エネルギー」に着せる衣服のようなもの。
元になるエネルギーの“表現”ではありますが、
「そのもの」ではないこともあります。
そして、私たちは一見すると、
言葉や態度や行動などの目に見える要因で、
反応したり自分の立場を決めたりしているように見えますが、
本当は、しっかりと、「エネルギー」が伝わっているものなのです。
どんな衣装を着せても、中身は伝わってしまっているものだ、
ということです。
ではなぜ、エネルギー「だけが」、
そのまま効力を持っているように見えないかというと…
それは、私たちは、自分自身をだますからです。
自分の気持ちすら、誤魔化したり、
あえて見ないようにした経験は、どなたにもあることと思います。
自分がそのように生きている間は、やはり、
「自分が自分に覆い隠す習慣の分だけ」、
外の世界のエネルギーを見抜くことも、むずかしくなるでしょう。
自分の中に「見たくない」怖れの領域があれば、
外にそれを見ることもまた、苦痛です。(*v.v)。
苦痛を避けるために、本心では、
「衣装」をわざわざ取ってみたいとは思わないのです。
「知りたい!」と言いながら、「知りたくない」ことがあるのです。
その前提に「怖れ」があることはもちろんです。
自分にとって不都合なことがあらわれるのではないかと、
内心怖れていると、
私たちは巧みに「見えない(unable)」とか、
「自分にはどうにもできない」という状況を作ります。
☆☆☆
一方、このようなことを知ったからといって、
容赦なく、「ぐずぐずせずに、すべてに直面しなさいよっ!」
というようなスパルタ自己鍛練
を私は奨励しているわけではありません。(^▽^;)
やはり、個々のペースやそのときどきのちょうどよさがありますので、
それを尊重した方がいいと思います。
目的がたとえ、本人にとってポジティブ?なものであれ…
余計な負荷をかけて回線が焼き切れる!
というような状態(これは比喩ですが)は、望ましくないと思います。
結局それって、常に自分に何か足りない!
そう思って、急いでいるということでもありますから…。
どこか力み過ぎている、そんなやり方でなく、
眠っている間にみる夢しかり、
インスピレーションや直観を通して教えてくれるヘルパー存在しかり、
自分自身の「チーム」との調和も信頼して、
(それすなわち自分自身を信頼することでもあるのですが)
現実にあらわれていること、すでに提示されたことについては、
真摯に見つめていくのがいいでしょうね。
そういった姿勢からは、
人生の中であらわれるどんな「現実」もまた、
あなたの盟友とすることができるのです。ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ
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