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ジェンダーの観念、女性らしさ

こんにちは~(*´∇`)ノ♪


きのうの太陽
 


前回の記事で、ジェンダーにまつわる観念についてふれたので、

今日はその話題にしますね☆


タイトルは、

ジェンダーの観念、女性らしさ」です。


☆☆☆


ここ数日、ネット上で、

女性のアーティストやクリエイティブなお仕事の方(複数)の作品や、

考え方の一部を拝見する、ということが続きました。


とくに意図を持ってそうしたつもりはなく、

ネットサーフィンのような流れで、それらの情報にたどりついたのですが、


こういう機会を得たおかげで、前々から自分が考えていたことを、

今回のようにあらためて認識したり、記事に書くという流れにつながりました。星



ちなみに、以下は、

その方々の表現・作品そのものに批評や評価をつけたいわけではなくて、

それらが「きっかけ」となって、私が感じたこと、考えたことを書いています。




まず、とある女性のアーティストの方の作品について。


こちらの話題は、アーティストのお名前や作品名を出さないと、

わけのわからない話になってしまうので、名前を挙げます。


「ムーンウォーク☆マシン、セレナの一歩」

という作品で、アーティストは、スプツニ子!さんという方。

多彩な活動をしていて有名な方のようですので、

すでにご存知の方も、多いのかもしれません。

私はそれまでまったく存じ上げませんでした。 (;´▽`A``


ご本人の公式サイトや、Youtubeで動画を見ることができるのですが、

スプツニ子さんのサイト内、作品のページへ

この作品の内容を抜粋すると…


月面には、いまだ女性の足あとはない。

この作品の主人公“理系女子セレナ”は、

強くかっこいい足あとを月面に残すべく、

ハイヒール付き月面ローバーを発明する…
というストーリー。



この方の、ほかの作品やインタビューも拝見して、

ご本人が、(とくに日本という国での)女性の立場について思うところあったり、

ジェンダー」について考えさせる作品を多く作っている方だと知ったのですが、


もちろんそのクリエイティビティーや表現の才能は感じつつも、

私は何か…疑問に思ったのです。



その、「ん?」という、どうもすっきりしない感じが解けたのは、

しばらく経ってあることに気づいてからで…星


気づいて、ああそうか!なるほど、と思ったことをここに書きますと。




ご紹介した作品中には、

女性の月面着陸がまだない…という説明文とともに、

“理系女子”がハイヒールの足あとを月面につける、

というストーリーが出てきます。


動画の中では、ガーリーなお部屋に住むガーリーな女の子が、

マシーンに向かって月面ローバーを開発している場面が出てきます。


また、作中で「女性の足あと」を象徴するアイテムは、ハイヒールです。



私は、これこそ、ステレオタイプなジェンダーの観念に縛られてない!?

と、不思議に思ったわけだったのです。


ハイヒールを履いたり、かわいらしく飾ったお部屋が好きなのが、

“女性”のイメージなのだとしたら…


それはそれで、窮屈な観念というか、うう

世間が押しつけているイメージに結構どっぷりな気がするなぁ、と。


たまたま、それがご本人の趣味だったり、

そういう感じが作品に(コントラストとして)ぴったり!と、

フィーリングで作られているだけなのかもしれませんが…


この作品に限らず、色々見て、なんとなく、


作者は、女性に着せられた観念を解放したい人なのでは…?

でも実は、そう言いながら、「女性であること」のティピカルなイメージや、

そのリアリティに、ある意味、はまっているのではないだろうか…??


と、疑問をおぼえたんですよね。



女性で、ガーリーなアイテムやお部屋が全然好きではない人もいるし、

だからといってそれが「女性らしくない」わけではないし、

ハイヒールなんか全然履かない、「女性らしい女性」もいるでしょうし。


余談ですが、ハイヒールって、そもそも、

本当は女性を代表するアイテムとは言い難い(微妙な)ところがあるんです。

ウィキペディア「ハイヒール」


たとえば、こんなまとめサイトもありますよ~(笑)

「ハイヒールを履いた男性の歴史と今」


あと、

月面着陸したのと類似の宇宙服とセットで、あの靴を履いている人の中には、

女性の宇宙飛行士さんもいるわけで…

あの格好(宇宙用靴)にジェンダーの要素があるわけではなく、

あれは宇宙での機能性を重視して設計をした結果のデザインなのだろうし、


作品について、なんだかわかるようなわからないような…?

というのが私の感想となりました。



その後日には、別の女性のアーティストの方の作品を見る機会があって。

その方は、また、表現の方法が違う畑の人ですが。


その方も、やはり、ときに「女性であること」に葛藤をもちつつ、

「女性らしさ」に縛られている方に見えたのです。


(…続けてこういう現実に向き合い、考える機会に恵まれるって、

あぁ私は今、ジェンダーの観念について取り組んでいるのかなぁ~と、

感じた次第です。



その人の見つめる自己や、世界の中には、

「女として…これでいいのか」

とか、

「男性受けを考えると…(これはOK、これはOKではない)」

などの表現が多く、それは見る人へのある種のサービスだとしても、


作品のはしばしに、「女はこうでありたい(あるべき)」という、

作者の観念やルール決めが前提として見えるのです。


そして、自分が「それに沿ってないとき」は、自分にもダメ出しをする感じです。



彼女たちの根底には、自分たちにそういう心の負担を強いる、

異性の存在…“男性”への怒りもあるように感じました。



さて、私が、どうしてこういうことに注目したかというと、

過去に散々、自分が似たワナにはまって(笑)苦しんだことがあるからです。



「女性らしさ」って、

「つくること」から生まれるものではないんですよね。


また、それにまつわるあれやこれやで、

「外」を説得する必要もないのです。



私も過去には勘違いをしていて、

私は女性らしくないんじゃないだろうか…?という怖れから、

もっと女の子らしくせねばあせ 、とか、

もっと「女性がきれいに(かわいく)見える格好」をしなければ、とか、

迷走した時期もあったのでした。



もちろん、「ただ好き!魅かれる!」というワクワクから、

自分の好きな格好や研究をするのと、この場合とは、

違うんだってこと、読者の皆さんはわかりますよね。



そうやって紆余曲折して、結局私が気づいたことは、

拍子抜けするような事実。


「女性は何もしなくても女性なのである」

ということでした。


この人生の私の性別は、女性なのです。

そのシンプルな事実がありました。


そして、それ自体に「属性」はないというか、ニュートラルなんです。



たまに、

「ゲイやニューハーフの方にこそ、美容や女性らしい仕草を習うべき!」

ということを言う人がいますよね。


その意味するところは、私もよくわかります。


ですが、「女性っぽく(作って)見せる」ということと、

「ありのままで女性である※」ということは、違うんですね。

もちろん、体の性別は男性でも、心が女性である方も含みますよ。)


客観的に見ていると、


どんなにボーイッシュな格好をして、

「女の子でーす」という仕草や飾り付けを一切していなくても

そこから「女性」を感じることはあります。


いえ、かえって、そういうときこそ、

「男性との違い」が自然に際立ってしまうこともあります。



自分がそのままで女性なのに、

「どうしたら女性らしく見えるのか?」と悩み、

苦悶すらすることは、ありがちな罠だと思います。



女性は、このように繕うものだ…これが女性らしさだ…

とかの色々な観念が世間にはあふれているけれど、

(それが好きだったらそれをしてもいいのですけれど、)

それに従わなければ、「女性として失格!」なんてことは、ないんですよ。バラ


今日の記事は私が女性ですので、女性向けのメッセージになっていますが、

男性の場合でも、この内容の“本質”には共通する点があると思います。

「男性らしさ」に縛られるのも、同じことですから。



最終的には、性別というカテゴリを超えた「個人の味」。

ひとりひとりの、存在そのもののきらめきに、目がいくものですが。キラキラ☆


人間として生きていると、「ジェンダー」というテーマには、

向き合うことが多いと思いますので。


もう一言、添えます。



たとえば、フェミニズム…というのかな、

女性の権利についてや、女性の解放について話をするときにも、やはり、

「自分がどんな観念を持っているか」

これを見ないことには、話が始まらないと思います。星


というのも、

自分の意識の中に「女性差別」という観念が居座っていると、

色々な現実をそのレンズ(前提)を通して見つめ、

かえって「女性差別の視点から現実を体験する」という、

色付けをしてしまうことがあるからです。


これまでも、この仕組みについてはブログでお話ししてきました。



集団での「運動」、「ムーブメント」というのは、

一見頼もしいものですが、

似た観念を共有している人たちが、それを強固にし合ってしまうこともあります。


まず、「私」が何を社会に投影しているか。


投射機である自分自身の、個人の意識の中身を知ること、

自分が持っている観念を、よく見直してみること、


それが一番大切な上に手っ取り早いと、私は思います。



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