BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

情報について考える

これは最近、ブログ運営の基準、自分はどうしていきたいか?

ということを考えていたときのお話です☆


仕事でも何でも、組織の中にいたときには漠然と従っていたものが、

個人で経験してみて初めて、その意味が本当にわかる、ということがあります。


ルールも、作る側になってみると、なるほどそういうことか…

と、内容が理解できたりします。


このブログのサイトポリシーは、そうはいっても簡単なものですが、

beats-and-love.hatenablog.com

それでもたとえば、

当然、こうだよね?こういうものでしょ?

…という暗黙の了解が、心の中の基準はひとりひとり違う可能性があるので、

不特定多数が訪れる場では必要なこともあるんだな~と納得しました。


また、「作る側(発信側)」になって実感したこととして、

情報のルール、その「中身」についての気づきがあります。


スピリチュアル系、精神世界の中では、ときには一辺倒に

「開け放つこと」、「ゆだねること」がよいことと見なされることがあるので

規則を定めるなんて~

それって、信頼してないよね~

みたいな風に考える人もいるかもしれません(…いや、いないか?笑)。


たとえば、情報は万人にどんどんフリーで流すのが良い!とか。

でも、

情報というのは、一部だけを抜き取って解釈され、歪められてしまったり、

その真意が伝わらないままに、ひとり歩きしてしまうこともある。



つまり、「これは私、○○という個人の作った作品(情報)です!」

という「所有」の意味での著作権の問題ではなくて、


情報の「本質」をそのまま伝えたい、正確に理解してもらいたい

と思ったときに、たとえば文章ならばたとえ長文でも記事の全体、

前後の流れがあるならば前後の記事もそうですし、

もっと言えばその発信者の、サイト全体への意図。

そういうものがもし欠けてしまったら、難しいものがあるよなぁと思ったんです。


もちろん、情報を発信した以上、

最終的にはどんなときでも「受け手」にゆだねるしかないのですが、

その前の段階の話ですね。


インターネットが使えるようになってから、

私たちはとても手軽に情報を手にすることができるようになったけれど、

同時に、情報の曲解、その一部だけ切り取ったひとり歩き、デマ、勘違い…

色々なことも起こるわけで、それは社会問題としても浮上してますね。


実はこれは、現代のテクノロジーの発達のせいでは決してなくて、

ずっと昔から、色々な教えや、聖書のような書物や、経典、文書、

さまざまな情報の伝達の過程に置いて、起こりうることだったのですね。


重要な情報はあえて「口伝」でしか残さない人たちもいました。

文字で残すのではなく、資格のある者だけに音として直接伝え、

伝えられた者は、体ごと覚えたのです。

色々と、情報の本質を失わない工夫をしていたのですね。


たとえば“秘伝”もそうなのでしょうけれど、

ある種の情報や技術の伝達は、やはり、

その周辺の情報も含めて経験して理解しなければならないので、

表面の情報だけを伝えて「はい、免許皆伝です~」みたいなことは、

できないものだと思います。


そのように情報の「質」をなるべく正確に伝達したい、ということを考えると、

記事の引用や紹介をするときには元サイトへリンクを張ってね、

などのルールの意味が、形式としてではなく、わかると思います。


2次情報、3次情報として出回っていく情報だけではなく、

少なくとも引用元や、著者本人へのリンクがあることで、

興味のある人は自分の目で「全体像」を見るチャンスが与えられます。


ところで、こんなことを色々考えていたら、

以前も記事でご紹介したことのある文庫本、

『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等』

クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 (ちくま文庫)

クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 (ちくま文庫)

  • 作者: 姉崎等,片山龍峯
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2014/03/10
  • メディア: 文庫
 

こちらの本をちょうどここ数日、なにげなく読み返していたのですが、

本の中の姉崎さんの言葉や経験と、かぶるテーマがあることに気づきました。


それはたとえば、私なりにまとめてみると、

山のこと、クマのことを本当に知っている人だから、わかることがある。

こうしたらいいんじゃないかとか、こうなるだろうと、予測できることがある。

でも、その情報の一部だけをかいつまんで聞いても、理解はできないし、

「定めたルール」の方だけを聞いたら、その真意に気づけない人が多い。

実際に、姉崎さんと同じように山を歩いてみて、クマを知って、初めてわかる。

ということについてなのです。


今は亡き姉崎さんは、いち早く、

どんぐりなどの実がなる広葉樹をなくして針葉樹ばかりを植林する、

国のやり方にも異議をとなえていた人なのですが…

人間の行った植林が、後年、動物たちや自然界にどう影響しているか、

詳細は、本を見ていただくとして。


クマとの私たちの関わりについて、こうおっしゃっていることも印象に残っていました。

『規則をよしんば作っても、クマの方は守るかもしれないけど、

人間の方は守らないでしょう。』

(同書298ページより)


『クマと共存していけるものだったら

クマにもいい環境をあたえてやりたいものだと思います。

地球の上にもともと住んでいたものみんなが暮らせることが、

美しい地球なんですよ。

どれか一種類だけが増えたってそれはいい地球ではないと思う。


(310ページより。太字は私の選択による。)


「人間」もそうですね。

多様性を侵害しない、共存できる社会であるといいなと思います。


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