BEATS AND LOVE

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経験の舞台と観念

こんばんはー!!

今日の記事は、前々回の「アジア近郊友好ラリー」の中から、

beats-and-love.hatenablog.com

あるテーマにフォーカスしてもう少し、解説をいたします☆

未読の方は、そちらの記事から先に読んでね♪


タイトルは、「経験の舞台と観念」です。



今日の午前中の富士山~☆ 雪で白いお姿です。






青空にとても映えていました。

☆☆☆


前々回書いた夢の内容を、


今の時代の地球、アジア人で生まれてくることを希望した人の、

霊的次元での参加手続きや、その会場の光景。



これを見ているようだった、と解説しましたが。


(ちなみに、「そういえば北朝鮮の人は…どうなのだろう?」

ということも、後で考えたのですが、この夢の中のラリー会場では、

日本、韓国、中国の人々の印象が強く、

北朝鮮の人は含まれていない感じがしました。


それは、北朝鮮が近隣諸国に含まれていないという意味ではなく、

いわば「ゲームの種類、内容設定」が異なるために、

今回の夢の会場には含まれていなかったのではないか?と思いました。

これから書く内容とあわせて、お考えください。)



この中で、なかなか面白い形で、

「メタファー」になってくれていたシーンがありました。



それは、私が夢の中で入った和式トイレです。

それは、日本人のホスト風男性の集団が経営していたのでした。

(くわしくは元記事を見てね!)


夢というのは、あるコンセプトを「シーン」として描き出してくれている、

無形のものを、そのように有形のものに“翻訳”をしてから、

「こちらの概念で理解できる形に持ち帰って、記憶」していますから、


このシーンももちろん、そのままの意味ではないのです。



これは、霊的存在が「日本に生まれることを選んだ」とき、

(あるいは「日本人」になることを選んだとき、)


日本という場を、経験させてもらう際に、

日本の観念をもれなく共有する(買わされる)


ということを、象徴的にあらわしている
のです。



ホスト風男性のボスが、和式トイレを使った人に、

「○○番さまに、お土産○○個、ご用意お願いします!」

と、もれなくお土産を買わせようとしていましたよね。(^▽^;)


この「お土産」が、国で共有している観念です。


(これを国のカルマ、という言い方をする人もいるでしょうが、

私からすると、ただ「観念」とあらわすのが適切に思います。)



日本人に生まれたり、日本で生活をすることによって、

日本という国のエネルギーをある程度まとう、ということです。

(それがゲームの設定でもあるのです。)



ちなみに、私の友人のえむちゃん(仮名)は、トイレに入らなかったのですが、

すでに逝去した彼女の人生を考えると、それも納得がいきます。

(くわしくはえむちゃんに関する記事をお読みください。)


えむちゃんの、このたびの個性や人生にとって、

日本の「観念」をそれほど多くは、真っ向から背負う必要がなかった。

なぜなら、彼女の人生には全く別のメインテーマがあったからです。



ところで、この「和式トイレ」の個室のドアは、鏡張りになっていました。

「鏡」は、反映する、映し出す、ということの象徴です。


日本人として生まれたり、日本で暮らす以上、

(その“扉”の中に入る以上、)

「日本」という国のエネルギーを反映することも、

それぞれが引き受けている、というわけです。星


(また、日本という国、自分の“外側の環境”を使って、

それを鏡に、個々人が自分自身のエネルギーを反映させもする。)



もちろん、それは私たちが霊的存在として自分で受け入れた「設定」であって、

課せられた「制限」や、「縛り」であるということではありません。


その設定が、今回選んだ自分の人生にとって、

何らかの形で有用であったからこそ、採用しています。



そして誰もが、

こういった「あえて纏った(まとった)」エネルギーが、

自分にとって窮屈になったり、変えたくなった暁には、


自分がブレイクスルーするしかない、

自分自身のものとして変容させるしかない、


というのがこのゲームの特徴です。



“ゲーム”という言葉がお気に召さない方もいるかもしれませんが、

「魂」目線からすると、こう表現するのもある程度適切な感じですので、

ここではそのようにご理解くださいな^^



その意味では…


あなたの住んでいる場所や、育った“地方”の共有観念もあるし、


“日本”の共有観念、

“アジア”の共有観念、

“地球”の共有観念、


こういうものと、私たちは無縁ではないのです。



もちろん、それらをどの程度「自分のものとして取り込むか」は、

個人にゆだねられるわけですが。



そこで観念を変え、「変革」をする人も、

観念を使って自分の「学び」を深める人もいるし、


人によっては、「合わない」ところから移動し、

より適切な観念の元で暮らす、という選択をする人もいるでしょうね。



いずれにしても、

あなたが地球における「このあなた」として、

過ごせる時間はいつか終わります。


私たちは、(特に自分がある程度健康だと思っている人は、)

「人生の終わり」を、まるで遠いもののように仮定して、

日々を過ごしていますが。



人生の終わりが、

たとえばあと2年、そのくらいだったら?


参加したこのゲームの中で、何を優先してプロセスしたいでしょうね?

ときには、こう考えて人生を見つめ直してみるのもいいかもしれませんよ。



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