今日のお話は「共存」です。
前回記事の流れとも関連しています。
前回はこちら◆「死後とドラマ」
意識内にあるあらゆるヴァージョンの自己。
並行現実や多数の現実。
そのことを受け入れると、
私たちが「今」フォーカスして生きている世界がすべてではない、
と実感します。
私たちは、「時間」や「空間」という概念を受け入れているので、
あたかも、現在という時間(2015年)、この場所(地球)は、
私たちの舞台である!という風に認識していますが、
時間や場所というのも意識の中の取り決めにすぎないとわかると、
なかなか面白いことが見えてきます。
たとえば、「場所」というのも、
私たちが物理的に認識しているようなあり方ではありません。
宇宙の…遠く離れたあの星の…だとか、
「この世」に対する「あの世」の…だとかの、
「離れたところにあると描いている所」も、
実は、ここに折り重なって存在しているとわかるのです。
また、「時間」の方は、これまでかなり話題に出しましたが、
やはり、別の時代・時が「離れて」存在するわけではなく、
すべて同時にあります。
こう知ると、今、私たちのもののように感じている地球も、
多種多様の存在によって重なり合って「舞台」になっているということが、
わかると思います。
別の時代の人々、動植物、自然環境…
そしてまた、並行して存在する別の現実の存在たち。
おのおのが、地球という「焦点」を利用しているのです。
その中には、私たちの常識から見れば「不思議」だったり、「奇妙」だったりする、
そんな存在もあります。
でも、彼らが「正当な存在ではない」ということはなく、
私たちが「正当な地球人」だと感じているのと同じくらい、
彼らにも存在根拠があるのです。
先日書いたように、(身体を持ちながらのフォーカス先としては)
別の時代に焦点をあてていたはずが、
ひょっこり、この現実にも姿をあらわしてしまっている方もいるでしょうし、
「時」という観点からは同時代にいるけれども、
波長の違う地球に存在している者たちもいるでしょうし、
私たちとはかなり違った基準の存在感覚を持ちつつ、
やはり地球にフォーカスしている者たちもいるでしょう。
人は、自分の認識に当てはまらないものだと、
既存のフィルターにかけて知覚&理解しようとしますので、
すでに人間の知っているもの…
「動物」や、「物」や、「人」に近い形に翻訳されて、
かろうじてその存在を認識されているということもあります。
妖精や精霊なんかもそうです。
また、私たちが今、「これが人間の肉体の形」と思っている常識と、
違う形態の肉体を持っている人間の並行現実もありますので、
ときどき、そういう姿をこの現実でもひょっこり目撃してしまうと、
すご~く不思議な体験になるでしょうね。
(夢なら、もっとすんなり受け入れられそうですけどね 笑)
こういったことに気づくと、
「これが正しい人の姿」とか、「あり方」とかって決め付けることは、
本当に視野が狭いんだなぁ~と、感じるのです。
黒か、白かと言うように、私たちが「これが正しいのだ」という答えを、
ひとつに定めようとし続ける限り、対立はなくならないでしょうね。
「尊重し、スルーする共存」というのも大事だと感じています。
どういうことかというと、
あなたの考え方や選択を尊重します。
私の考え方や選択も尊重します。
どちらも存在してよいのだから!
というあり方です。
どれかに正しさを“統一”するのではなくてね。
多種多様のあり方が存在する中で、必ずしも、
すべてに「関わらなければならない」・「交流しなければならない」
…という決まりはありません。
自由意思と選択があるからです。
お互いの存在を知っていても、それぞれのあり方で共存している。
それって素敵なことではないでしょうか。
これは日常の、人間同士のことだけでなく、
たとえば昨日の話では、亡くなった後の霊のあり方、にふれましたが、
死後のあり方も含めて、それぞれが尊重されるといいなと思うのです。
特に、亡くなった後の霊の状態だと、
「こういう風になってなければ悪いんだ(マズイらしい)」というのが、
偏見に近い形で、広まっているような気もします。
生きている人の人生がそれぞれなように、
死後の人生も選択もそれぞれなので…
気が済むまで、その人らしくいさせてあげたいなぁ~と、私は思います。
そしてまた、重なって「地球」を共有しているたくさんの存在が、
それぞれの価値を認められて、その「共存」に気づかれるといいですね。
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