今日のタイトルは、「根本にある恐れについて」です。
生きていると、色んな悩み、苦しみ、恐れ、迷いが生じることがありますが、
私なりに、その根源にまつわるお話をします。
今ではこのように日々スピリチュアルブログを書き、
仕事もスピリチュアルカウンセラーをしている私ですが、
はじめからスピリチュアルな視点で物事を眺めたり、
理解したりしていたわけではありません。
昔から、「達観した性格でした~♪」なんていうわけでは全然なくって…(´ω`)ゞ
いわば、人生の早い時期の方に「濃縮して」、色んな悩みや恐れを体験し、
それらを味わい尽くし、くぐり抜けた結果、
今お伝えしているようなことが「机上の空論ではないレベル」でわかり、
お話しできるというわけです。
つまり、最初から恐れの少ない人間だったわけではなく、
思いっきり多種多様なシリーズで(笑)悩み苦しみを経験して、それでも、
「その先にあるもの」を身をもって知ることができたよ!ということです。
もちろん、今回の私というパーソナリティが「全てを」網羅することはできないから、
経験については、私の人生の範囲内で、ということですよ~。
たとえば、私には「家族間で生じる苦しみや葛藤」という経験はできたけれど、
「生まれながらに両親も、家族もいない」という経験は無いわけですから、
家族というテーマ1つをとっても、すべてをカバーしているとは全然言えません。
ただ、まるでこの「一個人の限界」を補足するかのように、
昔から夢の中で、色々な…本当に色々な他者の人生を観察しており、
その経験と一体化することで、様々な思いや感情も理解してきました。
このブログをスタートしたばかりの頃の、
◆「悲しみの淵にあるときは」という記事中でも、
夢でのそういった体験について、触れています。
…そのおかげで、「この私」のいち個人の設定以上には、
人種も、性別も、環境も、時代も、持っている肉体の性質もまるで違う、
様々な人生がどういうものか、知ることができたんです。
昔はね、こういった夢の経験について、
「自分の起きている間の人生でも手いっぱいなのに、
なんで知らない誰かの人生まで、夢でたくさん体験させられるの?!」
と、(特にそれが苦しいものや悲しいものであった場合など、)
とても不可解に思っていましたし、疲れることもありました。
でも、その経験が人生にも、スピリチュアルカウンセリングにも役に立っています。
もし、私がスピリチュアルカウンセラーにならなかったら、
無数の人生やストーリーを書くことで表現できる小説家や漫画家など、
何かしらの表現関係の道に、進んでいたでしょうね!
人生の途中までは、それが自分の進む道だと、ごく自然に思っていましたし。
スピリチュアルカウンセリングとか霊的な世界は…考えたこともなかった!(笑)
それはさておき、
あらゆる恐れ、悩みは、形を変えても、
「自己の不確かさ(自分に対する不安、恐れ)」からきていると言えます。
容貌、運動能力、健康、ダイエット、仕事、恋愛、人間関係、経済、才能…
何が悩みだとしても同じように、
「それらはうわべの隠れ蓑」
なんです。
私は、カウンセリングではもちろん、
お客様が言葉にしてくださる具体的なお悩みに耳を傾けますが、
その根本は、違うところにあることを知っています。
だからもっと深いところの答えを得ようと、心を澄まします。
たとえばですが、世間でよく見られるように、
自分の満足いく、(あるいは人に好かれる)容貌になったら…
体型がこう変化して、素敵な服を着られるようになったら…
収入がこれくらいアップしたら…
○○の会社(学校)に入れたら…
理想のパートナーが見つかったら…
誰々が思い通りになったら(変化してくれたら)…
幸せになれる?
本当に、そう思いますか?
もし、そういう「“条件”を満たした人が羨ましい」なら、
見ているところが「オフ・ザ・ポイント(的外れ)」なんです。
どんな条件も、ぜーんぶ、人生のひとつひとつの「要素」にはなってくれますが、
それら自体にすがってしまうならば、蜃気楼です。
なので、場合によっては(機がふさわしければですが)、私は、
お客様のうわべの「望みをかなえるための」アドバイスをするよりも、
さらに深いところにある「恐れ」を、あえて指摘するようなことも、します。
なぜかというと、それに気づくことこそが、
大きなスパンで見たときには、絶対に必要だからです。
○○を変えたい、能力、生活、健康は十分かと気にする、あの悩み、この悩み…
そういったメンタルの中で、もし、一時的に自分が納得できる「基準」を満たしても、
根底にある恐れは、依然として消えないのですよね。
それよりも、そういったメンタルセットそのものから、
自由になった方がいいと思いませんか?
ここで念を押しておきたいのは、
どんな条件をかなえることも、望みを達成することも、
それ自体は何も、悪いところはありません。
むしろ、人生に必要な要素であることもありますよね!
でも、
それによって「あなたの価値が」
左右されると思うことが、問題なんです。
だから、不安の元が断てないんです。次々とテーマを変えて、恐れるんです。
この不安は、結局、「死」についての誤解にまで繋がっています。
自己が消滅するという誤解。
自分が経験したこと、築き上げたことはすべて、はかなく、
死によって失われ、ムダになる。無になる。なんてむなしい…という恐れ。
ところで、
私は、意識によって現実を変化させることについてよくお話ししますが、
その絶対の基盤にあるのは、何だと思いますか?
すべての存在が永遠にある、「中立」なポイントです。
何かが達成されても、されなくても、
ある結果が現実になっても、ならなくても、
姿がどのように変わっても、
間違っていても、正しくても、
あなたの存在価値は変わらない。
ということです。
それを知っているから、確信しているから、
特定の物事について望みがあっても、
「極端な話、どっちでも大丈夫なんだよね♪」というくらいの中立な気持ちになれる。
心がその立ち位置に立っているときにこそ、
あなたは「自由に創造する」ことができるんです。
この基盤を実感するには、
「ここがすべてであり」、「この人生しかない!」という限定された価値観から、
心を自由にする必要があります。
時も、空間も超えて「紡いでいる」広大な自分を自覚すると、
何かあって、急死に一生を得た。奇跡的に生き延びた。
そんな非常時の経験を待たなくとも、今の1日1日が、
ものすごく貴重で夢のようだということに気がつくことができるんです。
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