BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

観察者の愛☆映画『フェイス・オブ・ラブ』レビュー

こんばんは(。・ω・)ノ☆ 日曜日いかがお過ごしでしたか?

今日は、最近みた映画DVDについてレビューしながら、

「観察者の愛」をテーマにお届けします。流星


映画作品はこちらです。↓

『フェイス・オブ・ラブ』

フェイス・オブ・ラブ [DVD]

フェイス・オブ・ラブ(字幕版)


ラブ・コメディに分類されているようですが、コメディではないよ!汗☆

公式サイトはこちら。↓

「公式サイト 映画『フェイス・オブ・ラブ』」

(※トップページは動画が自動再生されるので、

イントロダクションにリンクを張ってあります。)

私としては、あまり公式サイトの口上を鵜呑みにしないのがおすすめです。



今回の映画DVDも、てつやにお任せした「てつや’sチョイス」で、

実は私はもう長いこと映画に対するこだわりがゼロなんですが…。

(以前はあったのですが、今は映画そのものへの関心がほぼ無くって、

これまでの記事での映画のレビューも、自分で希望して選んだものは少数。

レビュー記事は、おもに★テーマ別「雑記」★のカテゴリに分類してあります。)

人任せにしていると、

自分の趣味や好みの枠内では出会わなかったであろう、

意外な素晴らしい作品に出会うことができる
のがなかなかいいんですよ。きらきら



そんなわけで映画は毎回、予備情報も期待もなく、ただ見ているのですが…

今回の作品は、見ながらこらえきれずに号泣しました!泣

しかも、終わった後も悲しみがなかなか抜けなかったんです。


…なんて悲しい映画だろうと思っていたのですが、

ひと晩あけて翌日になって、「ハッ!」と。

この映画からの気づき、「奥深いメッセージ」に焦点が合いました。星



記事を書くにあたりネットでレビューを見てみると、酷評もありましたが、

私なりの見方で映画の内容を解釈しつつ、メッセージをお届けします。


これ以後は「ネタバレあり」です。

これからまっさらな気持ちで作品を観賞したい方は、

映画を観終わるまで読まないでね☆


☆☆☆



主人公の女性ニッキーは、結婚30周年の旅行中、

仲の良かった最愛の夫ギャレットを水難事故で亡くしてしまいます。

それから5年経っても、ギャレットがこの世にもう存在しないと承知しながらも、

心の中ではギャレットを変わらずに愛し続けるニッキー。


そんなニッキーの目の前に、ある日、ギャレットそっくりの男性が現れました。

姿が瓜二つなのです。

思わず、ニッキーはその男性が現れるのを待ち伏せし、追跡し、

身元を調べて会いに行ってしまいます。


ギャレットそっくりの男性の名は、トム。

トムは大学で絵の教師をしつつ、プライベートでは離婚を機に、

筆を折っていたアーティストでもありました。

ニッキーはトムに、絵画の個人レッスンをお願いするのですが…。


というのが導入部です。芽



…ニッキーとトムは恋に落ちるのですが、トムの方は、

ニッキーの亡き夫が自分にそっくりだということを知りません。

妻との離婚以来、いえ、それ以上の、

初めての「本当の愛」をニッキーによって実感したトムは、

また精力的に絵を描き始め、アーティストとしての力がよみがえります。

トムは、実は心臓病をわずらっているのですが、それはニッキーに隠しています。


ニッキーの方は、トムとギャレットは別人なのだと自分に言い聞かせながらも、

トムを思い出の場所に同伴したり、ギャレットに似た服を試着してもらったりと、

「自分の中のギャレット」を生きたトムに投影することがやめられません。



一見幸せで、順調な恋のさなかにある2人の関係は、

ニッキーの娘サマーが帰宅したことにより揺らぎます。



サマーは、父親そっくりの「母の新しい彼氏」を見て取り乱し、大声をあげ、

トムを家から追い出します。


そんな娘をいさめ、「私には彼が必要なの!」と激高するニッキー。

ニッキーはトムにひそかに電話をかけ、

娘が眠っている間に家を出るから、一緒にメキシコへ行こうと誘います。


承諾したトムですが、メキシコのホテルに到着すると、

ここはニッキーが夫と来ていた場所で、彼が亡くなった場所でもあると察し、

ニッキーにその旨を確かめます。


認めたニッキーでしたが、それを無視してただ楽しく過ごそうとするのです。

トムは何か奇妙に感じつつ、ついに、ひょんなことから、

亡き夫ギャレットが自分にそっくりだったことを知ってしまいます。



秘密がばれたことをきっかけに崩壊するニッキー。

ギャレットに生きていてほしかった!というニッキーの強い思い、

深い深い悲しみ、自分を残して去っていったギャレットへの怒り…。


トムは、そのすべてを「あえて、ギャレットとして」受け止める役をこなした上で、

事情を知ってしまった以上、ニッキーのもとを去ったのです。



1年後。

ニッキーはトムの元妻から送られてきた「追悼展」の案内状を受け取りました。

心臓病で余命が短かったトムは、亡くなっていたのです。

個展の会場に出かけ、ニッキーは元妻からトムの事情を初めて聞かされます。

彼が、ニッキーと出会った後の死ぬまでの1年で、これだけの作品を残したことも。


ニッキーはその中で、「The Face of Love」と名付けられた1枚に目をひかれます。

その作品はニッキーがモデルで、2人がまだ一緒に過ごしていた頃、

トムが「完成したら見せてあげる!」と言っていた1枚でした。


トムの描いたその作品の中では、

ギャレットの溺死以来プールに入ることができなくなったニッキーが、

水着を着て水の中に入り、ほほえんでいました。


そして、その目線の先にはある男性が…

さらに、見つめるもう1人の男性が…印象的に描かれているのです。



作品を、明るい表情で見つめるニッキー。

映画は、ニッキーがほほえんで自宅プールで泳いでいる姿を映し出します…。



☆☆☆


おおまかにストーリーを述べましたが、

私はまず、「愛するものとの死別」が自分にとってもウィーク・ポイントなので、汗☆

ニッキーがすでに亡きギャレットを忘れられず、心の中で追ってしまう気持ちは、

痛いほど理解できました。


何も知らない「別人」のトムを、外見が似ているからという理由だけで

「ギャレットとして」見てしまうニッキー。

その姿勢に、映画観賞者からは批難も多いようですが、

トムの立場に立ってみると、切なく悲しいことと痛烈に感じつつ、同時に、

ニッキー側のその心情も私には否定できない気がするのです。


深く愛する者を亡くした場合、そうなってしまうことがあります。

たとえば、愛する子供を亡くしたら、よその子供を見ても、やっぱり、

自分の愛していた子供を、その子の中に見てしまうでしょう。


私も、大好きだったうさぎがこの世を去った後、

やはり他のうさぎを見ても「その中に」、

自分の家族だった愛しいうさぎの姿を見ていました。


ですから、あまりにも外見がそっくりだったら…

「違う人なんだ」とわかっていても、色々思い出して本人のように錯覚してしまう。

その影を追ったり、重ねて見てしまう。それは、わかる気がするんです。



一方で、トムという人、別の人間である彼そのままを、

ニッキーが愛していなかったかというと、それは違うと私は思います。


ニッキーはギャレットの幻影を追いつつ、やっぱり、

トムという生きた一個人に、同時に魅かれてもいたと思います。


ただ、彼女の中でもその点を「はっきり分ける」ことはできず、

まるでギャレットの存在の復活のようでもあり、

同時に新しく出会ったトムでもあるという、難しさがあったのでしょうね。


それは、2人が一緒にいるシーンの最後の台詞で、

ニッキーが「トム」という名前を呼びつつ愛を伝えたという所に要約されています。


ニッキーとトムの間にも本当の愛があったからこそ、

ニッキーはトムが残した「絵」を見て、明るく強い力を人生に見出したのです。




それまでのニッキーは、(トムと出会うまでは、)

たとえ明るく振る舞っていても常に、ギャレットの不在感にさいなまれていました。

しかし、トムまで亡くなった今、ニッキーの心には喪失感ではなく、

トムの絵に表されていた「愛されていた」記憶が力になって生きているの
です。



一方、ともすれば同情ばかりが多く寄せられる立場のトムですが、

トムもまた、ニッキーとの出会いにより、新しい境地を見出しました。


彼は、ニッキーが

「トム自身を見つめていたわけではない(ギャレットの幻影を追っている)」

ということに気づいた後ですら、ニッキーを愛し続けることができたのです。


だからこそ、ニッキーと出会った後の余生だった1年間、

物理的には2人の関係が終わった後でも、表現したいことが内からほとばしり、

芸術に専念することができたのでしょう。


トムが描いた「The Face of Love」の絵の中では、

水着姿でほほえむニッキーと視線を通い合わせる、

ちょうど向かい合わせの位置にある男性の顔のほかに、

その男性とそっくりなもう1人の男性が別の位置からニッキーを見つめていました。


それは、ギャレットと見つめ合うニッキーを見つめるトム。

または、トムと見つめ合うニッキーを見つめる、亡き夫ギャレット。

そのどちらとも取れると私は感じます。バラ



結局、この映画から私が見出した素晴らしいメッセージは、

最終的に、「個人」を超えた愛まで導いて描いたところだと思うのです。


つまり、スピリチュアルな表現で言うなら、

「この舞台(現実)上の登場人物」としての愛よりもっと広い、「観察者」の視線。



私たちは、「個人の、○○○○(名前)としての“私”」と、

「別の登場人物の、△△△△(名前)」との関係に執着します。


それが、「この現実を生きる」という経験のひとつでもあるのですが。


この視点からは「愛」も、個人間で、

得たり、失ったり、与えたり、奪ったり…

まるでそんな風に見えるものなのです。


ところが、

「観察者」の視点、この舞台の登場人物を超えた視点から見ると、

「愛」はただ「愛」なのです。


他の誰かを思っているニッキーをも、そのまま愛せる。

その思慕が「個人の自分」に注がれているわけでなくても、

それが自分ではない別の人間に向かっていても、

彼女のあるがままを、全体として、愛することができる。


愛に、「個人の差異や境界」が無いと知るのです。



誰かが、誰かを、愛している。熱心に、見つめている。

でも、その誰かを見守っている誰かもいて、そのままで愛している。


言うなればトムは、「人生という“絵”の中にいる人」でありながら、

「その“絵”の外にいる人」の大きな目線で愛を持つことができたのです。


それはきっと彼が、“トムである自分”という一個人の視点から、

アーティストとして「芸術」にフォーカスを移したときに、

自然とできたことなのかもしれないですね。蝶々キラキラ☆



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