BEATS AND LOVE

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「歯に衣着せない」行動

こんばんは!

今日のテーマは「『歯に衣着せない』行動」です。ヘ(゚∀゚*)ノ


歯に衣着せない発言…という表現は一般的なんですが、

今日お伝えしたいメッセージは「行動」なんですよね。



昨日の空です♪



この話のきっかけとなったのは、少し前に見た「夢」でした。

それまでの夢では一度も見たことのなかった、

珍しいエクスプレッション(表現)があったのです。ヾ( ̄0 ̄;ノ


夢の中では、まず、

若い女性の芸能人(現実には見たことのない、ハーフの外見の人)が、

歯に、爪用のおしゃれマニキュア

を塗っていたんです!


歯科治療では決してなく、ファッションでしている様子でした。

ネイルに塗る用の半透明のマニキュアを、歯の全体に厚く塗っていました。

正確には、歯の全体ではなくて笑ったときに見える歯並びの方、

歯の外側表面一帯の部分に、ですね。

いわば、お歯黒のマニキュアバージョンみたいなものを想像してください。


それを見て「うわぁ…Σ(゚д゚;)」と思った私も

自分の歯の外側に、同じようにマニキュアが塗られていることに気づいたんです。


うそー、こんなの塗ってあって大丈夫なの?!(´Д`;)

そう思った私は、気持ち悪いのでマニキュアを落とすことにしました。



マニキュアはさっきも書きましたが、少し色が付いてはいるものの透明タイプ。

芸能人の女性が塗っているのを見ても、かなりたっぷりと重ね塗りするようです。

うっすらのコーティングじゃなくて、それなりの厚みがあります。


私は、「いつのまにこんなの塗ったんだっけ…?(-"-; )」と疑問に思いながら、

道具を探し「エタノールの原液」で拭きとってみることにしました。


このエタノールは実際に自宅にもあるもので、お掃除や消毒用のエタノールです。

ただ、原液そのままなので、「強すぎやしないか」が夢の中の私には心配でした。


マニキュアのコーティングは思った通り、それで拭くと落ちていくのですが、

そうやって落としていくときにエタノールの強さで歯が傷まないだろうかと、

私は心配しながら鏡を見て作業していました。


(夢の内容、ここまで。)



…この夢を見てからの起床後、「歯にネイル用のマニキュア!?」と驚きましたが、

それが何を表現しているかはかなり理解しやすかったのです。


なぜなら、「歯に衣着せる」という表現そのままだったからです。


まさに夢では歯に衣(=マニキュアによるコーティング)を着せていて、それを、

元の歯が大丈夫かハラハラしながらも、私は鏡を見て落としていたのでした!


鏡は、経験している「現実」のことでもありますね。

そしてまた、「歯の外側(表面に見えている部分)」だけに、

マニキュアが塗られていたというのも、考えてみれば象徴的です。


心の内部ではなく、「外側に向けてのみ」衣をかぶせていたとも読めます。


それに気づいて強烈な「浄化」をしているので(夢のエタノール)、

素の状態に影響はないか、大丈夫なのか…と、私は心配に思っているのでしょう。


夢は、最近私の見つめ直しているテーマをはっきり表していました。

その一部は、前回の記事「嫌なことはやらないの極意」で書いています。


自分にとって不快なコーティングを落とす。

(でも、人によってはそれは「身だしなみ」なのかもしれない。)


「歯に衣を着せない」の意味は、

『相手に遠慮せず、思っていることをつつみかくさずに言う。

へつらわずに率直に言う。(広辞苑より)』

なのですが、


私は今回、この夢からさらに、

自分仕様のインスピレーションを受け取りましたので、シェアします。星



今回私に奨励されたのは、「歯に衣着せぬ発言」ではありませんでした。


「発言(言葉)」というのもなかなか注意が必要で、たとえば日頃から、

あなたの「感情にまかせて」・「勢いで」発言してしまうことは、おすすめしません。

いつもあけすけに「ズバズバ言う」ことが良いこととは限りません。

そのあたりはもう個人の機微やケースバイケースなので、ルールは無いですが。


そういった一般的な「歯に衣着せない」の意味ではなく、

私に促されていたのは「行動」についてでした。星


行動を、自分の意思に沿ったものにせよ。


夢の方が先だったけれど、☆昨日の記事☆とも繋がっていますよね。



それは、世間の思う正しさや、誰かのルールブックにある通りに、ではなく、

あなた自身の本当の気持ちに沿った行動をする

ということなのです。


たとえ「一般的には」遠回りをしているように見えても、

もし失敗しているように見えても、パッとしない人に見えても、

あなたの本心に沿っているのであれば大喜びしていいのです。


笑いたくなかったら、笑わないでいいし。

気分が直らなかったら、直さなくていいし。

前向きになれないなら、今は前向きにならなければいいじゃん。

悲しいときは悲しむことも大事だし、

怒りを感じていたらしっかり怒ることも必要だよ。


こんなナチュラルなことが、私たちにはできなくなっていることがあります。


何がゆえに、「そのままの自分」に背いてまで、

別の「仮面」を張り付けるようなことをしてしまうのでしょうか?


それは、そうしなければ愛されないと信じているからです。

自分の存在価値がなくなると信じているからです。

そうしなければここで生きていけないと感じているからです。



大切なのは、上記のような「自然な私」のことを、

人に受け止めてもらおうと頑張るのではなくて、

自分自身が認める、受け止めるということです。キラキラ☆


私をわかって!え~んということを誰かに対して延々とやってしまう場合は、

何よりも「自分が」自分を認めていないんですね。

その役割を、外の人に投影して、そこで認めてもらおうとしてしまうのです。


また、

歯に衣着せぬストレートな発言ならぬ、ストレートな行動についてですが、

私はこれまで、こんなことをしていました。


誰かが、自分の感性からすると「痛いこと」や、

「それは私的にはノーだな!」と思うことをしていたとします。

そんな状況が、あったとします。


すると私は、相手が自分にとって意味のある人であればあるほど尚更、


「いや、でも、これには事情があってこうなっているのかもしれない…」

「私の思っているような・感じているようなことではないのかもしれない…」

「きっと、わかり合えば、話し合えば、これも解消されるはず…」


などなど、

「自分の率直な反応や感覚を曲げて、自分自身を説得すること」

を、していたんです!


!!!!

皆さん、これはしない方がいいよ(汗)泣



そのように自分を「説得」することで、「行動」ももちろん本心とズレます。

「歯に衣着せた行動」になるわけです。


「嫌だな」とか「それは無いよな」とか、思ってはいけない!

そう思ったり感じたりしたからって、そこであきらめてはいけないんだ。


こんな風に、私は信じてしまっていたんです。汗☆


でも、

あきらめるということと、ただ「ノーの選択をする」ことは全然違うし、

「自分自身の(誰かとは異なる)感覚を尊重する」ということが、

「相手の存在を否定すること」とイコールになるわけではありません。



このあたりがごっちゃになってしまっている方、かつての私以外にもいないかな?


もしいらっしゃったら、そこにはしっかり区別をつけて…

あなたの本心をそのまま認めた「行動」をしてくださいねー☆



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