こんばんは~。ヾ(^∇^〃)
国立駅周辺は、今日から谷保天満宮のお祭りなようです。
屋台がずらっと並び、お神輿も用意されて賑わっていました!
毎年のことなのですが、今回は急に気になり谷保天満宮について調べたら、
御祭神は菅原道真公と、その三男と言われている道武公なのですね。※
(※菅原道武という子息は実在しないという説がありますが、
実名を隠して道武と名乗ったのだという説もあります。)
菅原道武直系の子孫という津戸氏が谷保天満宮の神主となり、
こちらは東日本最古の天満宮であるそうです。
昨年は谷保天満宮へ初詣に行っておきながら、(◆記事は☆こちら☆)
並んだこととニワトリと甘酒の記憶しかありませんでした…( ̄∇ ̄+)
ちょうど私は最近、菅原道真の情報にふれたばかりだったので、
そうだったのかとびっくりしたのですが、さらには…
過去記事で何度かご紹介した『更級日記』※の作者、
菅原孝標女の父である菅原孝標は、菅原道真の直系5世の孫…。
そのことを、私はすっかり忘れていました!
いやー、歴史にゆかりある場所は意外と身近なところにあるものです。
※関連記事はいくつかありますが、◆「古典を楽しんじゃおう!」
beats-and-love.hatenablog.com
それから、もっと前の◆「満月と半妖、更級日記」という記事と関連する、
◆「精霊・妖怪的な記憶」もそうです。
beats-and-love.hatenablog.com
さて、今回の記事テーマは、
「罪悪感と投影のカンケイ」です。
少し前の記事、◆「自分を赦すことが大切なのは…」にも書きましたが、
私たちは、自分に罪悪感があると、それを外に投影してしまいます。
本当は自分の心の中にあるものが発端になっているのに、
「外がこうだから…他者がこうだから…」という思考に変えてしまい、
さらにあなたの経験では実際に、「そう見える、感じる」という風に、
現実が色付けもされてしまうのです。
これは日常の小さなことでもよく起こります。
あなたが、何か些細なことであっても、
自分のことを「申し訳ないな、(私は)至らないな!」と思うなどして、
「自分自身を責める思考」に入っていたとします。
すると、その罪悪感を何とかしようとする心の機能が働きます。
罪があると信じているからこそ、埋め合わせをしよう、償おうとします。
…そうして自分なりに「償う」ためにあれこれするのですが、
動機自体が「罪悪感」なので、後ろめたさや不快感はぬぐえません。
そのつらさから、こんな状態に自分を追いやった「外」へと思考が向かい…
「そもそも、この状況が起こらなければ…(状況、起こった出来事を責める)」、
「もし、誰々がこうしてくれていたら…/○○しなかったら…(他者を責める)」、
などなど、「外」に原因を転嫁することが始まります。
もし心当たりがあっても、ご自分を責めないでくださいね(笑)
ここで大切なのは、こういった心の動きはどれも、
罪悪感をリアルに捉えているからこそ起こっているということ、
何か「罪」があるということを前提にしているという点なのです。
ところが、その前提が真実ではない!
罪があるという考えそのものが錯覚なのです。
罪があると信じている限りは、その罪を、あなたが請け負うか、
誰かや外の何かに請け負わせるか、どちらかしかありませんね。
どんなに軽い罪悪感でも、「罪」を感じるということは苦しいことなので、
知らず知らずのうちにそれから逃れようと、
「外」に原因を投影して、怒ったり悲しんだりすることになるのです。
でも、根本をまっさらな視点で眺めると、
それは「罪」ではないのだけれど、
あなたの現実に属するものなので、発端は「あなた」です。
自分で変えられるということに気づかなければなりません。
自分の心にあるものを、他者や外の何かに投影している間は、
「相手・外の何か」にその権限(力)があると見なしているので、
自分では何も変えられなくなります。
たとえば、
あなたが「人に何かを頼む」とき、罪悪感を感じるとします。
(詳細を見れば罪悪感を感じる場合と、感じない場合があるでしょうが、
罪悪感や引け目を感じるケースを想定してください。)
あなたにとっては、それは大切なことだしぜひ伝えたいのだけど、
何かを言ったら相手に「うるさい」と思われたり、「過剰な要求」と思われたり、
何か嫌な思いで受け取られるのではないかと、本心はおびえています。
最初から、あなたの心は「拒絶される恐れ」を発信しているんです。
すると、あなたの「現実の経験」も、それを反映したものが多くなります。
実際に拒絶されたり、要求を受け入れられても嫌な態度を取られたり…。
または、相手は実際のところ何とも思っていないという場合にも、
あなたには、相手が不機嫌そうに見えたり、不愉快そうに見える
という具合に、現実への「見え方、感じ方」も歪んでしまうのです。
これを、
「私が恐れているからだな。罪悪感を持っているからだな。」
と、外に投影してしまっているものの根本を見つめ、
自分の中にある「因」に気づくことができればいいのですが、
それができないと、
「頼み事をすると、人から嫌がられる、拒絶されるんだ」
など、あなたが元々持っていた方程式、
つまり、あなたが採用している「観念(信じていること)」を、
その通りに経験して、さらに信じる、ということになるのですね。
罪悪感と投影の関係、見えてきたでしょうか。
どのような形であれ、「罪の意識」をリアルに信じている人にとっては、
「何でも自分が引き受けてたまるか!全部自分のせいなのかよ!」
と、投影しているものの「源」が自分だと認めることはつらいのです。
自分がさらに、「背負わされる」ように感じてしまうからです。
ところが、
「罪」そのものが幻想だと知っていれば、
自分の「投影」に気がつくことは、とても大きな「救い」なのです。
なぜなら、それは「外」には存在していなかったから。
あなた次第で変わるものだから。
あなたの「力」を取り戻すことになるから。
現実と、あなたの持っている罪悪感との関係。
ぜひ、注意深く観察して、力を戻すきっかけにしてくださいね。
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